チュートリアル徳井義実という人が、1億円以上の脱税をしたという。ここ数年、ほとんど税金を払わなかったというのだから、すごい。会社までつくって、それでも払わないというのは、たいへんな吝嗇なのか、想像を超えるルーズさなのか。
気になったのは、別のこと。徳井氏が吉本興業を通じて出したコメントについてだ。
その中に
「・・・私自身深く反省し、当面の間、芸能活動を自粛させていただくことになりました。・・・」
「自粛させていただく」が気になった。
悪いことをしたと自分で認めて、自粛することを決めたのだから、端的に「自粛する」あるいは「自粛いたす」でよいのに、え?アンタの「自粛」が、なんかこっちと関係あるの?という居心地の悪い気分になる。
申し訳ないような表情で「させていただく」と云われると、なんだか足下にすがられているような気がして、気持ちが悪い。勝手に自粛してなさい、と云いたくなる。
コンビニで、お茶一本買って、
「袋に入れさせていただいてよろしいでしょうか」
「はい」と返事をするのに、「うむ、苦しゅうないぞ」みたいな気持ちになる。お茶一本で時代劇はやりたくない。
で、店員を見ると、目も合わさずに特段かしこまっていない。それどころか、無関心。
渋谷でハローウインの仮装をしている若者が、インタビューに答えて、
「南アフリカの〇〇選手をやらせていただいてます」。
勝手にやってなさい。誰も頼んでねーし。
仕事をしていたころ、生徒会長が全校生徒の前で
「生徒会長をやらせていただいている〇〇です」と自己紹介していた。もう、7,8年も前のことだ。
生徒会を指導している複数の若い教員の口癖が移ったのだろう。
気持ち悪いからやめさせたら?と云ったが、それから何人もの役員が同じように言うようになった。
いったん使い始めるとやめられなくなる。ふつうに
「生徒会長の〇〇です」
と云えなくなる。そのうち「やらせて」が「やらさせて」になっていく。
「召し上がりください」が、どこかぞんざいに感じられ、
「お召し上がりください」が普通に感じられるようになる。
明らかに変な言い方なのに。
言葉は変容するものだけど、気持ち悪さはどうにもならない。とくに、気持ちとは裏腹にひたすら敬語を重ねるのは。
「トイレに行ってきます」を「おトイレに行ってきます」という女性が多いと感じる。
おパソコンとか、おクーラーとか、おガスとか言わないのに、なぜおトイレなのか。
たぶん、御不浄や御手水、お手洗い、お便所などから影響を受けているのだろう。
外来語に「お」は付けないほうがいいと私は思う。
思うのだが、
「やっぱり付けさせていただいた方がよかったでしょうか」
なんて云われたりして。