8月21日(水)
少し季節が回ったような。
川風の中にわずかに秋の風の冷涼さが感じられる。
蝉の声と虫の鳴き声が川の中州で拮抗する。
読み飛ばし読書備忘録⑤
『眩(くらら)』(朝井まかて・新潮文庫・2018年・単行本2016年)
初めての作家。1959年生まれ。2014年に直木賞。時代小説ではよく知られた作家らしい。
己の才能に自信のもてない北斎の娘お栄が主人公。
外面ばかり気にする夫と別れ、父北斎の看病をしながら、扱いの難しい甥の乱行の後始末に追われ、兄弟子善次郎への恋情を抱えながら、自分の画業を見出していくお栄(葛飾応為)の生涯。
貧弱で断片的な北斎の知識があちこちでつながれて、具体像として立ち上がっていくのが愉しい。
素敵なシーンがいくつもあるのだが、ここでは馬琴が、中気で倒れからだがままならない北斎見舞うシーン。
この時馬琴は「下男を連れた六十をいくつか過ぎたらしき老人」とあるから、馬琴より7つ上の北斎は60代後半。当時としてはどちらもかなりの高齢者。
『・・・湯帷子((ゆかたびら)の前がはだけ、痩せさらばえた胸や腹がむきだしだが、腰帯がどこかでほどけてしまい、前の見頃を合わせようともしない。
馬琴は蒲団から畳一枚ほど離れた場に腰を下ろし、その様子を黙って見ていたようだ。ややあって、嘲笑を泛べた。
「無様よのう」
吐き捨てるような言い方だ。
「葛飾北斎がかような掃きだめで恍惚としおって。その身ではもはや、筆もおぼつかぬであろう」
寝床の周りには盥や布、着替えの類が積み上げてあるが、そこには筆一本、神の一枚も無い。小兎が頑として持ち込ませないのである。
そして馬琴はぐいと親父どのに迫るように、目を剥いた。
「絵師風情がこのまま草木のごとく枯れ果てようと、儂には何の痛痒もござらぬ。いかほど名を上げておろうが、たかが浮世絵師一匹、浮世の波に呑まれて人並みの退隠をいたして往生を望もうが、儂の知ったことではない。人は等しく生まれを選べぬが、死にようは選べるでの。要らざる欲を捨てて安穏に過ごし、世間がうらやむ大往生を遂げるもよかろうて。」
そこで馬琴は口を閉じ、「だが」と声を高めた。
「儂はかような往生など望まぬわ。その覚悟で卑しき物書きに身を落とし、家人を養うて参ったのだ。たとえ右腕が動かずとも、いや、この目が見えぬ仕儀に至りても、儂は必ずや戯作を続ける。まだ何も書いてはおらぬのだ。己の思うままにかけたことなど、ただの一度もござらぬ。その方もさようではなかったのか。児戯に等しき絵を描き散らしおって、これでもう満ち足りたか。これからが北斎画業の本領ではなかったのか。描きたきこと、挑みたきことはまだ山とあるのではなかったか」
馬琴は親父どのを見舞うどころか侮蔑し、責め立てていた。
「もう勘弁しておくんなさい、師匠」
お栄は父の躰を支えながら、馬琴に頭を下げた。
「勘弁して」
すると馬琴はやにわに立ち上がった。
「葛飾北斎、いつまで養生しておるつもりぞっ」
噴くように言った。
親父どのよりも遥かに小柄なその戯作者を見上げながら、お栄は奥歯を噛みしめた。口惜しさと、ここに通すべきではなかったという悔いが募る。
いかほどに偉い戯作者か知らないが、あんまりだ。酷が過ぎる。』
背中に塩をぶちまきたい気持ちのお栄に、戸口で立ち止まった馬琴は、家でとれた柚子を差し出す。柚子を使った卒中薬のこまごまとしたつくり方をお栄に告げ、馬琴は去っていく。
北斎はこの日を境に、馬琴の卒中薬を呑みながら驚異的な回復を見せていく。そして馬琴よりも10歳近くも長生きするのだ。世に知られた「神奈川沖浪裏」を完成するのはこの数年後のこと。80歳を過ぎて小布施を訪れるのも。
馬琴は北斎を嘲弄しながら、実は自らも表現者としてぎりぎりのところで生きていること,「まだ何も書いてはおらぬのだ」という物書きの気概を重ねて、精一杯の励ましを送る。傲岸さだけでなく馬琴の性格の面倒くささがよく見える。「よっ!馬琴、いいぞ!」と声をかけたくなるシーン。
入院中に時間を忘れることのできた1冊。