6月16日 日曜日
あらかじめ決まった予定があるとき以外は、日曜日の外歩きは極力避けている。
人がたくさんいるところ、狭いところに人が集まっているのは居るのも見るのも苦手である。
昨日の夜、急に出かける気分になったのは、映画『主戦場』が気になっていたのと少し体調が回復気味だから。込むのを覚悟の上で出かけた。
伊勢佐木町のひとつ裏通りのシネマ・ジャック&ベティ、若葉町にあるが最寄り駅は京急線黄金町か市営地下鉄の阪東橋。どちらからも5分ほど。
近くを流れる大岡川
『主戦場』は1日1回だけの上映。ここはすべて事前整理券配布方式。早ければ早いほど早い番号がとれる。1週間後の映画の整理券も入手できる。
10時40分到着。一階の入り口付近に客がたまっている。窓口へ。
『主戦場』上映5時間前で整理番号は27番。これなら通路側がほぼ確保できる。ベティの方はジャックより少しだけ広く115席。
11:00からは『誰もがそれを知っている』。これも人気で整理番号47番。2本目は『ザ・プレイス』整理番号10番。3本ともベティ。終わるとすぐ次が始まる算段だ。今日はポイントカードがいっぱいに。一本はタダに。
『誰もがそれを知っている』(2018年・スペイン・イタリア・フランス合作・133分・原題:Todos lo saben監督アスガー・ファルハディ・ペネロペ・クルスほか・6月公開)
監督のアスガー・ファルハディはおととし公開された『セールスマン』をつくった人。
これがとっても面白かった。心理的な機微を丁寧に描く人という印象。本作は『セールスマン』に比べて深みはさほど感じないが、とにかくよくできている、まとまっていると思った。若干長いかな?という感じもするが。
ストーリーは単純。妹の結婚式のためアルゼンチンからスペインの田舎町の実家に帰ってくるラウラ。子ども二人を連れているが夫は同道していない。
かつての恋人パコや家族と再会し、喜び合うラウラ。
教会の結婚式での神父の物言いに微妙な違和感があるが、その後は歌い踊るにぎやかなパーティーが延々と描かれる。そして停電。
雨が降ってくる。気分が悪いと部屋で寝ていたラウラの娘16歳のイレーネが誘拐される。高額の身代金の要求に家族それぞれの複雑な思いが交叉するが、そこに農園を経営するパコも加わるのは、農園の土地の購入をめぐってラウラ、ラウラの家族、パコには古い因縁があるからだ。
高額の身代金に対して、ラウラの父親、夫、兄弟、そしてパコ夫妻の思いが入り乱れる。そこにはラウラ夫妻しか知らない秘密が大きな要因となって横たわっているのだが・・・。原題のTodos lo sabenはそのまま「誰もが知っている」の意味。
身代金が支払われ、イレーネは帰ってくる。
ストーリーの面白さではなく、まさに人の心の機微、ずれ。人はこういうふうにしか生きられないものかという諦念。このへんにしておこう。ぎりぎりネタバレ回避というところ。演技の下手な役者ゼロ。画面の緊張感とリアリティーはかなりのもの。
『ザ・プレイス 運命の交差点』(2017年・イタリア・101分・原題:The Place・監督パオロ・ジェノベーゼ・主演バレリオ・マスタンドリア・4月公開)
私は見たことがないが、アメリカの4,5年前のテレビドラマ『The Booth 欲望を喰う男』のリメイク版だそうだ。
ザ・プレイスというカフェのはずれの席に終始陣取っている謎の男。この男を中心にして映画のシーンはすべてこのカフェの中だけ。
人生に悩みのある人々が次々に彼のもとを訪れて「願い」を伝える。すると男はそれぞれに具体的なミッション=交換条件を与える。
小児がんに侵された息子を救いたい男にはある少女を殺害すること、アルツハイマーの夫を治したい老妻には爆弾の製造と爆破を、息子とうまくいかない刑事は被害届の握り潰しを、もっと違う顔になりたいと願う女には窃盗を・・・。殺害の標的となった少女を「救え」というミッションも。
ミッション遂行のシーンは一切なく、何度も彼のもとを訪れる依頼人たちの表情と物言いが次第に変化していくのが見もの。というか、これしかない。
いつも微笑んでいるやや妖艶なウエイトレスとの微妙な会話、謎の男は彼女の前では普通の男。
彼女は男が人々の運命を左右していることなど知るはずもなく、ジュークボックスから「サニー」を流す。こういう雰囲気がとってもいい。あざとい奇譚になるのを免れている。
相談者はみな謎の男に反発するが、辿り着くのはみなそれぞれ、自分が願ったことのむなしさ、所詮、人は自分の枠を越えられないといったところに。
自分が実はどんな人間であったのかに気づいていく。
演劇的な映画で退屈と言えば言えなくもないが、私は愉しめた。彼が何のためにこんなことをしているのかも明かさず、疲労感の中に沈んでいくだけというのが、よくわからないのだが、いい。ほら、こんなに面白いぞといった匠気がないのもいい。
謎の男が面談するごとにペンで書き加える分厚いノート、運命を左右するかにみえるこのノートにサニーの歌詞が重なる。
よくもまあ、こんな映画、つくるものだ。
『主戦場』(2018年・アメリカ・122分・原題:Shusenjo: The Main Battleground of the Comfort Women Issue・監督ミキ・デザキ)
『ザ・プレイス』をみ終わってロビーに出たら人があふれかえっていた。27番は正解。結局補助椅子まで出て150人くらい入ったのではないか。この様子だと上映は来週も続いて、ロングランになるのでは。
この映画をめぐって、出演している保守系論者らが「商業映画への出演には協力していない」と抗議、上映中止を求めているという。これに対し監督の日系米国人のミキ・デザキ氏は、「彼らの声をねじ曲げたり切り取ったりしていない。(抗議は)自分たちの主張が大きく取り上げられると思っていたのに、内容が気に入らなかったのではないか」(東京新聞6月4日)としている。
藤岡信勝、櫻井よしこ、ケント・ギルバート、杉田水脈など主だった右派論客のオールゲスト出演。これだけの規模で右派が自らの主張をしたのも珍しいのではないか。
ミキ・デザキ氏は日本の従軍慰安婦問題や靖国、教科書などについて日系米国人の立場から素直な疑問を発し、きっちり整理しようとしている。
どう判断するかはみる方に任せている。
いたずらに右派論客を貶めてもいないし、左派に依拠しようともしていない。
ただそう感じられるのは、右派論客の主張があまりに皮相的で内容がなく、思い付きで学問的ですらないため、映画のなかでミキ・デザキ氏が簡単に反証してしまうせいかもしれない。そのぐらい彼らの、とりわけ国会議員杉田水脈のでたらめさは際立っている。
映画は従軍慰安婦の問題を中心に、日本会議と政権の蜜月、靖国神社の存在、教科書問題の推移など具体的に追いかけていて迫力がある。それは、具体的なエビデンスこそが重要であって、差別的な思い込みや勝手な読み替えは許さないという姿勢がしっかりとあるからだ。殊に従軍慰安婦問題については韓国の反応も含めて知らないことがいくつもあった。認識不足のところがよく分かった。
味があるなと思ったのシーンが一つ。櫻井よしこに対し、「あなたは、従軍慰安婦問題について右派の主張を取り上げてくれるアメリカ人記者にお金を払いましたね」というインタビュアーの質問に、余裕の笑みを浮かべて「その質問には答えたくありません」とかわしたシーン。化けの皮がはがれても役者は役者。杉田水脈とは役者が違うと思われた。
いずれにしろ、私も含めてこうした映画をみて、「ほらね」と留飲を下げているようではしょうがない。
つくる会や日本会議がこの20年で、たとえはりぼてであろうが、一定にその位置を築いてきたことは事実だ。たとえば教科書採択なども含めて彼らが市民を巻き込んだ独特の戦術を展開してきたことは間違いない。
いくらなんでもそんなひどいことにはならないだろう、とあるはずもない戦後民主主義の遺産に頼りきってきたこと、拠って立つ新たな基盤を見いだせず、現場での争闘に負け続けてきたことを忘れてはならないと思う。
抵抗はしてきたけれど、現場で何かをつくりだしてきたかと言われれば心もとないのは私自身でもあるからだ。
良質なドキュメンタリーである。上映が広がってほしい。