『ファースト・マン』と中澤晶子さんを囲む会2月14日

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 2月14日、桜木町・みなとみらいブルク13でファースト・マン』(2018年・米・141分・原題:First  Man・監督デイミアン・チャゼル・主演ライアン・ゴズリングを見る。平日の13時過ぎ、7割ほど席が埋まっている。

 かなりの長尺だが、全編惹き込まれ、時間を感じなかった。


 アポロ11号による月面着陸という極大の世紀の偉業に、一人の父親という極小の存在を対比させ、見事に結晶させた佳作だと思う。


 みる方のことをほとんど考えていないほどの轟音と画面の激しい揺れそして徹底した静寂。

 こうしたこだわりは、若いすぐれたドラマー志望の学生を完膚なきまでに叩きのめし、わずかな愛情さえも見せない音楽教師を描いた『セッション』に通じるものだ。

 チャゼル監督は映画をつくるにあたって、ニール・アームストロングを家庭にあっては敬愛される良き父として、宇宙飛行士としては歴史に名を刻むヒーローとして描くこと拒否するという地点からスタートしたようだ。

 映画は、生涯多くを語らなかったというアームストロングの人生を描いた、ジェイムズ・R・ハンセンによる伝記「ファーストマン」が下敷きになっているが、この伝記とチャゼル監督の人間へのこだわりの強さが良質な化学反応を起こした。

 

 公開後、映画の中にアームストロングが月面にアメリカの国旗を立てるシーンがないことが物議を醸したという。アメリカ国民からすれば、米ソの冷戦対立の中、血税を使って偉業を成し遂げたのはアメリカ人だというプライドは当然だが、チャゼル監督は「船長が月面に星条旗を立てるシーンこそないが、月面に星条旗が立っているシーンはある」と釈明、「この作品ではアームストロング船長の内面や知られざる一面を描き出したかった。船長が月面に星条旗を立てるシーンはあまりにも有名で、知られざる一面ではない。」(引用はWikipediaから)と疑義に答えた。前段は言い訳であり、後段にこそ彼の明確な意図があると思われる。

 しかし、たとえアームストロングの内面を描こうとしたとて、ほんの数秒の星条旗を立てる部分をカットする必要があったのか?

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 アームストロングという人間の中に分け入って彼を描き切ろうとしたとき、星条旗のシーンはかえってそれを阻害するものと考えられたのではないか。


 この点をとらえて反米映画だとする論調はまったく笑止である。主演のゴズリングやアームストロングの子息のコメントを読むまでもなく、星条旗のシーンがカットされたことで、よりアームストロングの深い奥行きのある人間性が浮かび上がり、映画としての輪郭がはっきりし、風格が与えられたように思う。これは、反米映画どころかアームストロングへのオマージュを下敷きにしたむしろ上質なアメリカ映画である。

 

 アームストロングの中には、幼くして亡くなった娘のことが長く澱のように沈んでいた。ジェミニ計画に選ばれながら拒否するも、娘の死去後に彼は、宇宙飛行士への意欲をかき立てる。と云っても、それは静かな内省的なもので、未知への挑戦をといった英雄主義とは懸け離れたもの。

 そのアームストロングの内面的な葛藤をライアン・ゴズリングが見事に演じていると思う。

 家庭でのアームストロングは、子どもたちに対して時に明るくひょうきんな態度で接するが、出発前夜、妻に「子どもたちに父親としてしっかり思いを伝えてほしい」と何度も促されながら、煮え切らない態度に終始する。

 なんどか妻にせがまれ、深夜2人の息子、8歳と12歳ぐらいだろうか、に対峙する。

 そこには偉業に臨む偉大な父親とは懸け離れた、家族を至上のものとする平凡で等身大の父親しかいない。

 あどけない質問をする幼い次男に対し、思春期を前にした長男は「帰ってくるのか」の問いを鋭く発する。

 「わからない」。

 妻が求めた言葉とはたぶん違う。一瞬の沈黙。

 促されて寝室に向かう二人。次男は父親とハグをして別れを表現する。長男はおずおずと右手をさし出して、父親に握手を求める。

 

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 出発前のインタビュー。アームストロングは同僚の派手なパフォーマンスに対し、味もそっけもない態度。記者たちの評判は良くない。

 月までの長い苦闘にかなりの時間が割かれるが、冒頭で述べたように轟音と激しい揺れに観客も付き合うことになる。音楽はやや派手すぎる感があってよいとは言えないが、その分、音声がカットされた月面地平線のシーンは美しい。


 月に降り立ったアームストロングは、亡き娘の小さな腕飾りをそっと地面に置く。「人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては偉大な一歩だ」という言葉が、どこか紋切型に聞こえてしまうほど、このシーンは痛切だ。

『セッション』同様、妥協を許さない映画づくり。チャゼル監督、次は私たちに何を見せてくれるのだろうか。

 

 

  夜、中華街・香港路・牡丹園で広島在住の児童読み物作家「中澤晶子さんを囲む会」。市内の中学でヒロシマ修学旅行を行っている若手の教員を中心に30人ほどが集まる。会は十数年続いているが、この会場で行うようになったのは6年ほど前だろうか。

 

 中澤晶子さんが横浜の中学の修学旅行の手伝いを始められてもう20年以上。

 

 きっかけは1988年に発行された『あしたは晴れた空の下で』という作品の一部「いのちということ」が、光村出版の中一国語に掲載されたことによる。

 チェルノブイリ事故に遭遇した日本人一家を描いた物語。横浜の中学校では、この作品を読んで広島を訪れ、中澤さんにお会いするというのが、修学旅行の一つの定番となっている。

 ある時は旅館の大広間で、ある時は平和資料館の講堂で、ある時は平和公園を一緒に歩いてなど、中澤さんはさまざまな形で各校の修学旅行に深みを与え続けてきてくださった。

 また新たな見学場所の発掘?にも熱心だ。広島県が現存する被爆遺跡としては最大級の旧陸軍被服支廠の保存に動いたことにもかかわっている。ここは原爆投下後、爆心地からある程度の距離があったことから臨時救護所として使用された。峠三吉の『原爆詩集』所収の長編詩「倉庫にて」の舞台となった場所である。

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陸軍被服支廠の一部

 出席者の中には、実際に修学旅行で生徒として中澤さんのお話を伺ったことのある教員も複数いた。また教職にはついていないが、中学を卒業して十年以上になる卒業生も出席していた。

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お話をされる中澤晶子さん 

 今回も、人権の問題を中心に原発問題から広川隆一批判まで、いつもながら縦横無尽なお話を伺ったあと歓談に入るのだが、その合間に出席者全員が一言ずつ話をする。学校のくびきを解かれた若者たちから自由闊達な発言が続く。これが中澤さんのお話と併せて、この会の醍醐味である。

 気がつけば、10時をとうに過ぎていた。見送ってくださった女将さんからエントランスで、一人ひとりに中華の赤い袋に入ったチョコが手渡された。

 今日、バレンタインデー。