「年の瀬」の「瀬」は行ったり来たりのお金の流れが激しく、借金を払わないと新年からはつけがきかなくなるぎりぎりのところという意味だそうだ。

12月27日
 さっき印刷屋のWさんがカレンダーを届けに来てくださった。長年付き合っていただいている印刷屋さんだが、4月から組合関係のほとんどをやめてしまった身としては、例年のように届けていただくのは大変に恐縮である。仕事の中身同様、きめ細かな心遣いと律儀さに頭が下がる思い。

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    カレンダーといえば今日27日、年の瀬である。
    瀬と書くと「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」(崇徳院)の歌が口を突いて出てくる。国語教師の習い性、名残りなのか。


    12月も終業式の前になると成績事務や保護者面談、大掃除やらで、学校の中もそぞろ落ち着かなくなる。生徒も授業に身が入らなくなるそんな時期に、百人一首をよくやった。国語の学習指導要領には百人一首をやれとは書いていないが、年に4,5時間はやっただろうか。通常の授業でないから生徒は喜ぶ。

    学校によっては百人一首大会というのがまだ続いていて、年明けには体育館いっぱいにカルタを並べて授業2コマほども使って競い合ったりする。その練習という意味合いもあったりするのだが、若い学級担任は札を読むのが苦手という人が多い。授業でやってもらえれば助かるというので、時には授業が空いている学級担任が入り込んで一緒に遊ぶということもあった。

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    100枚すべて憶えていますという剛の生徒もまれにいる。生真面目な生徒は3,40枚か。彼らは読み上げを聞いて律儀に札を探すのだが、ようやく見つけていざという時に、横合いからすっとかっさらうハゲタカのようなやつがいる。こういう生徒は読み上げも聞いていないし、札も見ていない。歌の意味はもちろん、一枚の札も憶えてはいない。ひたすらに「できる人」の手の動きを注視しているのである。こういうところが、中学生の百人一首の面白いところ。「ずる~い」という生徒もいるが、ルール違反ではない。これも「生きる力」である。

 

 時に「好きな歌、ありますか」と訊いてみる。「わたしは、この歌が好きです」と「瀬をはやみ」を挙げる生徒が毎年必ずいた。悲恋にあこがれる中学生の人気首である。

 「知らねえ!聞いたことねえ!」とほざく生徒を相手に、「瀬」や「せかるる」「われても」などを説明する。瀬は「河の流れが速く浅いところ」。「逢わむ」の意味は「逢わない」ではなく「逢いたいと思う」なのだと付け加える。中学生は打消しと意志を取り違えて悩む。

「立つ瀬がない」ともいう。深みにはまって安心して立つような浅瀬がないということだ。そうすると「身を捨てて浮かぶ瀬もあれ」の俚諺も分かりやすい。

 

 では年の瀬の「瀬」とは何か。そのままネットでひけば「借金清算の最大の攻防の時期」という意味が出てくる。「年の瀬」は行ったり来たりのお金の流れが激しく、借金を払わないと新年からはつけがきかなくなるぎりぎりのところという意味のようだ。

 

 落語の「掛け取り万歳」(6代目圓生)を聴くと、江戸時代は買い物のほとんどがつけで盆暮れ払いだったという。大晦日までに払わなければ年を越した後は多少融通が利くことになったようだ。そのため、八五郎は年の瀬、大晦日の攻防にもてる知恵を最大限動員して借金取りとやり合う。



 私が小さかったころ、まだそうした慣習が残っていた。通い帳というものに店ごとの借金が記入されていた。
 よく覚えているのは、町の中のかかりつけの医者の治療費の支払い。
 遠い親戚筋にあたるいかめしい医院のこともよく覚えている。

 北側の道路に面した門から10歩ほども進むと両開きの重々しいくもりガラス戸。開けるとけっこうな広さの三和土があり、患者の履物が並んでいる。お寺にあるような木の階段を2段ほど上がるとまたガラス戸。中は4畳半ほどの畳敷きの薄暗い待合室。窓はない。診察室は待合室との間の廊下を隔てたところにある。待合室の薄暗さとは対照的にここは南側にあたり、明るい陽射しが入っていたのを覚えている。


 でっぷりと太ったつるっと禿げ上がった先生、やさしいせんせいだった。浣腸などをしに往診にきてもらったのを憶えているが、乗り物はスクーターだった。1960年代の頃の医者の定番の格好だ。
天井の高い待合室の、診察室に向かって左側に小さな小窓がある。この奥が薬局になっていてここから薬をもらう。
この小窓の奥にいたのが、細ぶちのメガネをかけた痩せた中年の女性。彼女が自転車に乗ってお金を取りに来たのを覚えている。


 どれだけのものがつけだったのか。人が移動することの少ない時代、というと大げさかもしれないが、小口の信用取引があちこちで成立していた、貧しいけれど幸せな時代だったのかもしれない。

 

 八五郎はけんかっ早い魚屋の金さんが「借金、払わねえなら払うまでここを動かねえ」というのを逆手にとって、「払うまで5年でも10年でもそこに居ろってんだ。動くんじゃねえぞ」と脅しつける。立場逆転である。「いや、そうもいかねえからまた来るわ」という金さんに「帰るってことは「払った」ということだな」それならそれで「受取をもらっていねえ」と八五郎が畳みかける。金さん仕方なく「は、は、払ったよ、ほら受け取り!」と領収証まで渡ししてしまう。調子に乗った八五郎、受け取りを見ながら「なに、借金は8円50銭か。たしか10円で払ったからまだお釣りをもらっていねえ」がサゲとなる。
庶民が留飲を下げる噺である。

書いたあとにチコちゃんの録画を見たら、同じような話をやっていた。こんなことを知らなくても「ぼーっと生きている」わけではないと思うが。

 

 25日、二人で初の”MIDETTE”。福島のアンテナショップ。出店しているうえんでのラーメンを久しぶりに食べた。店名「うえんで」は、「上の田んぼ」という意味。母屋より高いところにある田んぼのことを指す言葉のようだ。耳で聴くだけだとwendyという変わった名前のラーメン屋かと思われがち。日本語でもかなり変わった店名であることは確か。懐かしい味。うまい。塩味が少しきついが。

 会津鉄道芦ノ牧駅近くのうえんでの本店はかなりの人気店。なぜか大ぶりのやきとりも人気。すぐ近くに新横浜のラーメン博物館に出店している牛乳屋食堂がある。

 

 写真は呑み比べセット。キンメのかまぼこは浜通りの磐城産。本醸造の「ちどりあし」は西会津の栄川酒造。さかえがわ酒造。磐梯町の栄川(えいせん)酒造とは別の蔵。創業はえいせんが明治。さかえがわは文化年間。

 真ん中が仁井田本家の純米吟醸「穏」。この蔵は1711年創業。郡山のお酒。郡山駅から歩いて2分のところに「酒蔵金寶(きんぽう)」という老舗の居酒屋がある。この蔵が経営しているお店。店名は本醸造酒の名前。コの字型のカウンター。新幹線の乗り換えの時に30分でも寄りたくなる店である。

 右端が喜多方の大和川酒造の弥右衛門大吟醸。1790年寛政年間の創業。価格も味も三つのなかではいちばん。大吟醸だが重口。

 ここの当主は代々佐藤弥右衛門を襲名する。3・11の被災を受けて2013年、この方が中心となって「原子力に依存しない安全で持続可能な社会作りと会津地域のエネルギー自立」を掲げて会津電力株式会社を設立。現在も講演で全国を駆け回っていらっしゃるようだ。

 この呑み比べ、MIDETTEのHPに予告が出る。週がわりである。

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 正月の小づゆ用の豆麩と銘酒花泉、柏屋の薄皮饅頭、かんのやのゆべしなどを購入。

 

 MIDETTEは日本橋三越の並びにあるが、向かい側には奈良、新潟、島根、三重のアンテナショップが並んでいる。茅乃舎も。奈良以外の4軒に入り買い物。日本橋島館の店頭、宍道湖しじみの味噌汁のサービスは美味。

 

 ちなみにMIDETTEは、「見ていって」の会津弁である。