「サラリーマン教師」はもう古い。今、ブラックな学校で働く教員は「コンビニ教師」だ。

 昨日は雨で散歩ができなかった。今日は気温6度、一昨日に比べればかなり温かい。らいはマンションを出たばかりのところの坂でウンチをしたあと、4本足を突っ張って体重を後ろに乗せ前に進もうとしない。リードを緩めると一人でマンションのエントランスの方に向かおうとする。いつもそうなのだが、今日はいつになく強硬。仕方ないので部屋まで連れて行き、置いてくる。出かけるときは嬉しそうなのだが。


    散歩も終わるころ、境川の上空の低いところをサギの群れ20羽ほどが何度か飛びかった。冬枯れのモノクロの中の純白が目にまぶしい。オオバンのつがいも見た。この間は、カワウの群れを見た。カモやカワウは首を伸ばして飛ぶが、サギは長い首をすくめるようにして飛ぶ。このところカワセミを見ない。


    ブラック企業大賞というのがある。民間のものだ。ブラック企業大賞企画委員会が選考している。選考委員は次の通り。
●古川琢也(ルポライター
●白石 草(OurPlanet-TV 代表)
●河添 誠(首都圏青年ユニオン青年非正規労働センター事務局長)
佐々木亮(弁護士)
●川村遼平(NPO法人POSSE事務局長)
●松元千枝(レイバーネット日本)
内田聖子(アジア太平洋資料センター〈PARC〉事務局長)
●須田光照(全国一般東京東部労組書記長)
●水島宏明(ジャーナリスト・法政大学教授)
竹信三恵子(ジャーナリスト・和光大学教授)
●土屋トカチ(映画監督)
 
 今年ノミネートされているのは

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1.株式会社ジャパンビジネスラボ
2.財務省
3.三菱電機株式会社
4.株式会社⽇⽴製作所・株式会社⽇⽴プラントサービス
5.株式会社ジャパンビバレッジ東京
6.野村不動産株式会社
7.スルガ銀⾏株式会社
8.ゴンチャロフ製菓株式会社
9.株式会社モンテローザ


 ウエブ投票もあって、それを参考に決定するようだ。HPではノミネート理由がそれぞれ示されている。その基準は、


長時間労働●セクハラ・パワハラ●いじめ●長時間過密労働●低賃金●コンプライアンス違反●育休・産休などの制度の不備●労組への敵対度●派遣差別●派遣依存度●残業代未払い(求人票でウソ)
 

これらを総合的に判断して決めるらしい。残念ながら学校はノミネートに入っていない。

 公立中学校の教員の6割が過労死ラインを超える時間外勤務をしているということだけでもノミネートされてもよさそうなものだが、総合点で弱いのか。

 学校で長時間労働の他に該当するのは、セクハラ・パワハラ、いじめ、コンプライアンス違反などが挙げられる。

 育休、産休などの制度はあるにはあるが、男性が取得することは極端に少ない。

 労組はほとんど機能していないから敵対も何も。

 派遣というより非正規職員への依存度が高く、そして勤務条件はかなり悪い。時給で働く非常勤職員のほかに正規職員と全く同じ勤務条件で働く臨時的任用職員がいる。違いは採用試験に合格しているか否か。雇用は1年以上にならないように途中で切られ、昇給は年齢で頭打ちがある。

 

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 もちろん教員には残業代は支払われない。4%を給与に上づむだけ。4%というのは6時間ぐらいの時間外勤務手当の額である。あまりに少ないから、1972年の法制定時にも4%は時間外手当相当額だとは言っていない。教員の勤務は自発的創造的なものであって計測不能、だから勤務時間の内外を包括的に評価して支給するのが4%。つまり時間に対するものではなく質に対するものだというのだ。屁理屈である。そのうえ教員には「超過勤務を命じない」のが原則だと法はいう。そういわなければ理屈が合わなくなるからだ。

 教員の仕事のほとんどは計測可能。たしかに自発的な部分もないわけではない。だからと言って初めから計測もしないというのはおかしい。時間規制がなかったからこれ程のブラックをうちに抱え込むことになったのだ。

 まともに時間外手当が支払われたとすると、わたしなど終身の残業代は2000万円はくだらないだろう、たぶん。自慢にもならないが。

 80年代以降の学校でまっとうに教員に時間外勤務を支払うことになっていたら、学校は今とはかなり違う場所になっていたのではないだろうか。


 セクハラ・パワハラ、いじめは学校にはかなり多い。生徒のいじめ根絶は言われるけれど、職員間のものは別と思われている。そのほとんどが表には出てこない。まれに組合に相談があったものは加入してもらって、直接役員が学校に出向いて交渉するのだが、ここまでいけばかなりの率で改善はされる。しかし相談だけで終わる事例も多い。矢面には立ちたくないという人が多いのだ。


 コンプライアンス違反は挙げればきりがない。たとえば休憩時間。労基法で定められている休憩時間の存在を知らない若い教員も多い。知っていても取ったことがない教員が多い。休憩時間は校長が教育委員会に届け出る“勤務時間の割り振り”のペーパーの中だけに存在するという学校がほとんどだ。休憩時間を取らせない場合、管理者(校長)は6か月以下の懲役か30万円以下の罰金という罰則規定が労基法にはあるが、いまだかつて懲役に行ったという校長、30万円を払ったという校長を知らない。
 

 教員は休憩時間が取れない仕事、給与の4%をあらかじめ支払われるが残業手当は一切支払われないことなどからすれば、かなりのブラック企業であることは間違いなのだが、なぜかこれほどかなりディープで魅力的な陣容の選考委員会でも学校を選ばない。

 教員の実態は「高プロ」というほど給与は高くないから、どちらかというと裁量労働の押し付けに近い状態か。裁量労働は民間企業の中でも労働者泣かせの手口によく使われる。裁量労働の悪用はブラックの温床であるはずなのに。
 
 さてさて話は変わるが、世間でこうした教員の勤務の話をしても、どこか軽くスルーされてしまう空気を感じるのは私だけだろうか。そうした空気とこの『選考漏れ』は、やはりつながっているのだろうか。


 「そんなこと言ったって公立学校の教員は恵まれているでしょ」という古い風説がいまだ通用しているふしもある。公務員に対するルサンチマンの対象に教員は挙げられやすい。

 そんなに恵まれているのなら、公務員はともかく、教員志望者の競争率の低下をどう見ればいいのだろうか。

 都市部では教員採用試験の倍率は一桁の前半、目も当てられぬ数字だ。教委は数字を発表するのに一工夫も二工夫もしている。内定しても逃げられることが多いから、最終の倍率は出さず、応募人数と採用人数だけを出す。

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特に意味ありません

 こんななのに、どうして世間は教員の労働に冷たい、あるいは無関心なのか。
 

 多くの人々は子どもとして学校に通い、大人である教員を長い時間見続ける。学校体験の中で心に残っているのは教員の仕事の大変さなんかよりも、どちらかといえば教員の勝手さとか横暴さのようなものではないか。そりゃ日常的にほとんどべったりの時間を共有していれば、なかなかいい思い出ばかりとはならない。

「いい先生もいたけれどね・・・」、という口ごもる、学校に対するルサンチマンのようなものが世間一般にはあるのではないか。

 たいてい「いい先生」というのはかなり少数で、ほとんどの教員には問題があり、「だから学校のセンセなんてさぁ・・・」というまとめになることが多い。
 

 学校とか教育が本質的に暴力的で理不尽な面をもつが、この国では、そうした共同体社会の中のルールを次世代に強制することで共同体を維持していくという教育の根源的な一面よりも、個人的な師弟関係に教育のあるべき姿を見てしまう傾向が強い。その中で教員に対して求められるのは、子どもたちのお手本になる行動の高潔さと寸暇を惜しまずに向かい合う生真面目さだ。

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 金八先生はじめ多くの学校・教育を舞台とするドラマでは、さまざまな問題をともに乗り越える美しい師弟関係が語られる。そこには長時間労働も休憩時間の不取得も出て来はしない。そこでは暴力は忌避されるべきものであり、教育は常に子どもたちのためにある善なるもの、私はそれを教育幻想と呼んで、学校の実態を見誤らせるものと考えてきた。


 かつてその対極にあった「サラリーマン教師」や「組合の先生」は最近はあまり言われなくなった。90年代以降、年功序列型賃金体系や終身雇用制度の崩壊、合理化、非正規労働者の増大などサラリーマンという層を一言で規定できなくなってきた。サラリーマンにもいろいろいる時代なのである。

 組合に至っては組織率の低下は留まるところを知らず、企業内組合となっていてその存在意義が疑われて久しい。

 

 今の教員を名付けるとすれば、“コンビニ教師”ではないか。

 

 コンビニと言えばセブンイレブン。教員の働いている時間は一般的にセブンナインぐらいか。学校はコンビニと違って勤務時間が始まるかなり前から「開店」している。セブンナインで計算すれば、過労死ラインは軽く超えてしまう。


 コンビニの業務は内容がすさまじく多く多岐にわたっている。公共料金の支払いから宅配便の扱い、各種チケットの販売、おでんにから揚げ・・・なんでも持ち込まれる学校とよく似ている。○○教育というものが90年代以降どれだけ学校に持ち込まれたか。学校は何でも入る巨大な容れ物だ。

 

 クレームも同じ。最近ではコンビニ店員にクレームをつけることで、憂さ晴らしをしているとしか思えない客も多い。店員はいわれのないクレームにも正面から反論しない。謝って済ませようとする。そう指導されている。学校も同じだ。学校には何を云っても許されると思っている保護者が増えている。学校はどうせ反論しない。それはそうだ。校長は教員に、クレームには「まず謝れ」と言ってはばからないからだ。店長と店員の関係はそのまま校長と教員の関係だ。本部(教委・行政)の手前、トラブルは最小限に抑える。そのためには・・・。

 

 今や学校は、コンビニ同様サービス業となっているということだ。その中で労働問題が発生しているのだ。

 

 教員にはほとんど勤務時間規制もなく、時間外勤務手当も支払われない。学校に求められるサービスは増えるばかりだ。学習指導要領はどんどん肥大化し、その一方で働き方改革だという。右手と左手が別々に動いている。

 

自分はもう現場にはいないけれど、若い友人たちのことを考えると、ため息が出る。
                               (この項続く)

 

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ピントも?甘い。