久しぶりにメガネ屋に行った。長年かけているメガネのレンズの片方に傷がついてずいぶん経つ。そろそろ替え時かな、と考え始めて2か月ほど。
大型スーパーに隣接したチェーン店。
きれいに磨かれた自動ドアの前に立つ。開かない。
「あれ?」つれあいと顔を見合わせる。
次の瞬間、中から若い男性の店員が、満面の笑みに3%ぐらいの戸惑いの表情を込めてドアを開けてくれる。
「まだ、開店時間じゃなかったの?」
「いえいえ、大丈夫でございます」
すぐに店内に招き入れてくれる。現在時刻10時15分。開店時間は10時30分だったようだ。無理に入ってしまったような居心地の悪さを感じさせないような接客。ほかの店員もニコニコしている。
ドアを開けてくれた店員が、「今日のご用命はどのような…」。
「遠近両用を新調して、今までのフレームに新しい老眼用のレンズをつけてください」。
名前を言うとすぐに私の記録というか情報が出てくる。
「そちらのメガネは2011年につくられていますね。それから昨年も、来られています。手元用のメガネをつくられていますね」。
そう言えば、夏の暑い時期に老眼鏡をつくった。私は寝床で本を読む癖があって、寝返りを打ちながら読むため、遠近両用は使い勝手が悪いのだ。それに照度が高くないと遠近両用は機能を発揮しない。寝床のスタンドぐらいでは、文字がぼやけてしまう。メガネをはずして読んだ方がまだいいのだが、ここはやはり専用のものがあった方がということで新調したのだった。あんのじょう、老眼鏡にしたら、照明まで明るくなったように思えた。
「そういえば老眼鏡、つくったね」
そう言うと若い男の店員は
「手元用のメガネは・・・」。
こちらが老眼用とか老眼鏡と言っても、店員は「手元用」で返してくる。この店の中に老眼用や老眼鏡と呼ばれるものはないのだ。
老眼鏡など一つあればいいようなものだが、家の中を持ち歩くのが面倒だ。すぐに置き忘れる。首にぶら下げるのは鬱陶しい。百均で買ったメガネストラップでは、メガネがすぐに落ちてしまう。そこで、自分の部屋用にもうひとつあると便利かなといつからか考え始めた。
それにもうひとつ、前回買った老眼鏡は、一式まとめて5000円ほどだった。今回新調する遠近両用はレンズとフレーム併せてそれなりの値段になるのだろうけれど、もうひとつ5000円ぐらいの老眼鏡を買っても、年金生活者であっても罰は当たらないだろうという胸算用があった。
メガネ屋の検査は時間がかかる。「このあとけっこう込み合いますので、先に検査の方だけでもされたほうが」。
どこまでもていねいな言い方。フレーム選びを中断して検査機械の前に。
あとでこのタイミングの妙に気づくことになる。
遠近両用だし乱視もあるし、遠近両用の方の度数と専用の「手元用」の度数の違いもある。なかなかに厄介な検査。
小一時間かかって終了。フレーム選びも、今までと違う視界が開けてみえるノンフレームを選ぶ。あとは値段だけ。
両用のほうは、フレームと値段を合わせて価格表示がしているので、どうということはない。ただいろいろなオプションがあるので、これをクリアすればよい。色がどうたら防護がどうたらと言われるが、もうあまり外にも出ないし、中学生とふざけ合ったりするようなことはないから、すべてスルー。
「手元用のほうですが…」と店員、
「一式5000円ぐらいで…」と私。
「お客様、それがですね、前回のときには格安のフレームのメーカーが入っておりまして・・・現在その会社との契約は切れており…」。
動揺を気取られないように「で、いくらぐらい?」「1万円を超えるぐらいですが…」
誤算である。考えていた価格の倍ではないか。八百屋ならば、手にとった大根が高かったら台に戻せばいい。メガネ屋だって「やっぱ、やめた!」というのもアリなのだろうけど、今まで小一時間も検査をしてきたことを考えると、無下にやめたとは言えない。
入店からずっと慇懃に対応してきた若い店員、私が値段を聞いてキャンセルすることなど万に一つも考えられないといったすっきりした表情で、「それでは、お支払いのほうですが…」。
もう戻れない。ルビコン川を渡ってしまったのだ(大げさか)。
結局、入店からずっと彼らの接客のペースにはまってきたのだということに気づく。
お店の出がけに松重豊のSansanのコマーシャルの科白を、店員に聴こえないようにつぶやく。
「それさぁ、早く言ってよー」。
10月も今日で終わり。このブログは備忘録という性格が強い。9月から10月にかけて読んだ本ぐらい、書いておこう。
① 『花筐』(檀一雄・光文社文庫・2017年・720円+税)
これを原作に大林宜彦が169分の映画をつくった。『野のなななのか』の二の舞か。少し迷ったが、みにいかなかった。どうも合わない。
② 『きみの鳥はうたえる』(佐藤泰志・河出文庫・2018年・初版単行本は1982年・650円+税)
80年代、若者はどうやってカッコつけていたか、よくわかる。多少同時代でもあるし。映画はまだ未見。楽しみにしている。
③ 『彗星夜襲隊』(渡辺洋二・光人社NF文庫・2003年・686円+税)
特攻隊がらみで何冊か読んだ本のひとつ。字が小さいのが辛かった。
④ 『掏摸』(中村文則・2013年初版単行本は2009年・470円+税)
大江健三郎賞をもらった作品。もっと期待していたのだが…。
⑤ 『氷の轍』(桜木紫乃・2016年・小学館・1555円)
目くるめく時間と人の邂逅と別離、北の空気を感じるほどにうなった。
⑥ 『裸の華』(桜木紫乃・2016年・集英社1500+税)
ダンスやストリップの世界、女性の内奥まで迫る。こんなふうに?。一気に読んだ。
⑦ 『シュンスケ!』(門井慶喜・2013年・角川書店)
明治の元勲の物語だが、この人の手にかかると動きが軽快になる。
⑧ 『新選組の料理人』(門井慶喜・2018年・光文社・1500円+税)
薩長の政治性、坂本龍馬の小狡さ、明治150年、戊辰戦争のとらえ返しに一役買う。
⑨ 『抱く女』(桐野夏生・2018年・初版単行本は2015年・590+税)
72年東京、早大が舞台のよう。20歳の直子の物語。私は18歳、田舎の大学に入ったころ。同時代ではあるが…。。あえて今桐野がこれを書いたことの意味。抱かれる女から抱く女へ?時代が変わったようにも思えるが、案外人間はそんなに進歩していない。村田紗耶香(『コンビニ人間』)のあとがき、出色。
⑩ 『オカルト化する日本の教育-江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム』
(原田実・2018年・ちくま新書・780円+税)
江戸しぐさも親学もろくなものじゃない。うさん臭さをしっかり突いている。
⑪ 『国体論』(白井聡・2018年・集英社新書・940円+税)
前著の『永続敗戦論』の戦後レジューム批判をさらに進めている。この若い研究者のラディカリズムは凄いと思う。
⑫ 『ポスト戦後の「進路」を問う 対話集」(白井聡・2018年・かもがわ出版・2000 円+税)
12人の他ジャンルの対談者の選定がよい。信田さよ子との対話印象に残る。
⑬ 『世界でバカにされる日本人』(谷本真由美・2018年・ワニブックス・830円+税)
筆者は75年生まれ。国連専門機関、外資系金融会社を経て現在ロンドン在住。
タイトルはひどいけど、内容的にはかなり面白い。比較文化論。世界の中の日本がよく見える。意図的に流される「二ホン、スゴイデスネ」の裏側。日本人が考えているほど日本は世界から評価されていない。すっ飛んでいるようでバランスの取れた論評。はっとさせられるところが随所に。