ヴァイオリンとピアノが互いに闘いながら結びつき、これでもかこれでもかとぐいぐいと迫力のある音と強い思念がこちらに入ってくる。松本のこの曲は何度か聴いたことがあるが、佐藤と切磋琢磨することで、以前に増してスケール感が出たように思われた。

  2日、日曜日。

 西国分寺の『三百年古民家の温もり りとるぷれいハウス』で佐藤卓史(P)・松本紘佳(Vn.)のデュオリサイタルをつれあいと聴きに行く。

 西国分寺へは、最寄りの駅南町田から田園都市線溝の口、徒歩で武蔵溝ノ口からJR南武線に乗り換えて府中本町、武蔵野線に乗り換えて西国分寺という経路。急行と快速を乗り継げば小一時間。

 13時30分開場14時開演とチラシにあったので、座席に難のある私たちは(閉所が苦手なため)13時20分ごろ会場前に到着。満を持して・・・すでに開場されており、座席はほぼ埋まっている模様。雨が降っていたので早く開場したようだ。 

 さてこの会場『三百年古民家の温もり』とあるように3階建ての1階部分と2階部分の一部は木造の古民家。鎧戸のような玄関をくぐり、中に入ると左側に大きなげた箱。右側に受け付け。パンフレットとチケットの半券をもらってホールへ。

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 大きな部屋を二つ通しで使ったホールには椅子席が60ほど。ステージには譜面台とグランドピアノ。手づくりの照明と形の揃わない椅子、壁にはビオラ・ダ・ガンバなど楽器が架けてあり、古い徳利のようなものも飾ってある。

 楽屋は会場の奥のキッチンのその先にあるらしい。楽屋とステージの間の通路は2階まで吹き抜けに。外から見ると3階建ての今風の建物なので、1階から2階部分に古民家を埋め込んだ感じ。1983年から演奏会を中心とした活動をはじめ、35年200回近くの演奏会を開いているという。

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 聴衆のほとんどは年配の女性が占めている。若者と男性は数えるほど。空いている席はと目で探すと、ステージと思しきところのグランドピアノの先端部のところの最前列に2席空きがある。グランドピアノは蓋が半開状態。ヴァイオリンの譜面台へは2mほどの距離。迷わずそこへ。開演までの時間、パンフレットに目を通す。


 佐藤は1983年生まれ。高校時代に日本音楽コンクールで第1位。東京芸大卒業後渡欧、幾つものコンクールで賞をとり、現在は2012年からエリザべート王妃国際コンクールのヴァイオリンとチェロ部門の公式ピアニストを務めているそうだ。

 受付にあったCDを1枚購入してきたのだが、気軽にサインをしてくれた。BSジャパンの「音楽交差点」にレギュラー出演しているとか。好青年。

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 ヴァイオリンの松本は、1995年生まれ。2010年大阪で開かれたABC新人コンサート・オーディションで最年少優勝。受賞者の発表会で現田茂夫指揮日本センチュリー交響楽団シベリウスのヴァイオリン協奏曲を演奏。私はこの演奏が特別に印象に残っている。

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 2012年から桐朋音大ソリストディピュロマコース在学中にウイーン市音楽芸術大学に留学、在学中に演奏活動を続け、各種のコンクールで賞を受賞。現在、ウイーン市音楽芸術大学修士課程で学ぶとともに、慶応大学総合政策学部に在学中。新進のヴァイオリニストとして精力的に演奏活動を続けている。

 

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今日の曲目は
① L・Vベートーベン「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第8番ト長調
② S・Sプロコフィエフ「ヴァイオリンソナタ」第1番ヘ短調
             休憩
③ C・Aドビュッシー「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
④ C・フランク「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ イ長調

 


 素人愛好家にとって、耳になじんでいる曲目は最後のフランクの曲のみ。プログラミングについても何の知識も持ち合わせていないから管見ながら推察するに、18世紀後半生まれの古典派の大名跡ベートーベンを最初におき、2番目に20世紀に活躍した反ロマン主義的なプロコフィエフで明らかな時代的な対照を見せ、休憩のあとに19世紀後半から20世紀かけて活躍した印象派ドビュッシーで、プロコフィエフとは対照的な絵画的な独特の世界に遊び、最後に19世紀に活躍したロマン派のフランクの堂々たる思索的内省的な名曲で締めるという、大変にメリハリの利いたもののように思われた。素人の思い込みかもしれないが。

 14時、ふたりの演奏者登場。松本は真っ赤なロングドレス、やや表情が硬いか。佐藤は若者風のやや砕けたタキシード。まるい眼鏡が愛嬌に。ニコニコしている。

 さて演奏が始まって気がついたのは、この“ホール”ほとんど残響が感じられないということ。木と漆喰の壁に吸収されてしまうのだろうか。楽器の生の音がそのまま聴こえてくる感じ。ピアノは、ほとんどすぐ近くで聴いているのにとってもクリア、全くうるさく感じられない。ヴァイオリンに至ってはわずかなこすれる感じまで聴きとれる。双方が大音量で弾くとその真ん中で音の洪水を浴びている感じ。ピアニストの表情も楽譜たてから見えるし、ヴァイオリニストも楽譜をちらっと見るときに表情がよく見える。

 しかしこれだけ残響が少ないと、特にヴァイオリンは弾きにくいことはないのだろうか。それに普通のホールに比べて、空っぽの時と人が入ったときの空間に大きな違いがある。吸音装置をめいっぱい入れたようになってしまうのでは。よけいな心配をしてしまう。

 しかし聴いている方には心地がいい。最近のホールは、S席が全体の3分の2ほど占めてしまうことが少なくなく「ここがS席?」と文句を言いたくなることがあるが、今回はS席どころか特等席であった。こんな小さな会場で、2つの楽器がこれだけの音量を出してもバフバフいわずクリアに聴こえるという点で、ここでの35年もコンサートが続いてきたことが納得できる。


 さて演奏について簡単にひとことだけ。

 ①パンフレットによるとこの曲は、「・・・作曲された1802年は耳疾が悪化し忍耐の限界を超え、死を決意し「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた年・・・」とあるが、何とも軽快で明るく、一般に流布しているベートーベン像の苦渋の表情とは全く無縁(あの像は、彼が神格化されていく過程で変化していくのだそうが)。二人の若者も気持ちよさそうに弾いているように思えた。

 ②は一転、私には難解に感じられた。現代音楽風な部分も感じられ、30分ほどの演奏が終わったとき、なんだか長く大変な旅を経て戻ってきたような印象が残った。二人はどんなふうに感じ取って弾いているのか、訊いてみたいと思った。

 ③は、私の知っているドビュッシープロコフィエフの骨格がしっかりした音楽と違って、どこか力の抜けた融通無碍の感。その違いを意識して演奏していることが感じられた。

 ④は、ヴァイオリンとピアノが互いに闘いながら結びつき、これでもかこれでもかとぐいぐいと迫力のある音と強い思念がこちらに入ってくる。松本のこの曲は何度か聴いたことがあるが、佐藤と切磋琢磨することで、以前に増してスケール感が出たように思われた。「交響曲ニ短調」の構成をほうふつとさせる重厚さ。
 私のからだは、座席が好位置にあって氾濫する音の洪水に浮揚するような幸福感に包まれたように思えた。若者二人の緊密な連携と最後まで緊張感を失わない演奏の質の高さに驚いた。

 アンコールは、サラサーテの曲(曲名は聞き取れなかった)、タイスの瞑想曲、モンティのチャールダーシュ。小曲で楽しませてくれたが、チャールダーシュなどまさに超絶技巧の曲。二人であれだけの演奏をしたあとでも、これほどの集中力が続くとは、驚きである。まだまだいろいろな引き出しがありそうな二人、また聴きたいものである。