地方自治体や民間企業に対し法定雇用率を示し、到達できない場合は違反金を納付させてきたその元締めたる国の省庁が、これほどのでたらめを42年間も続けてきたとは。ここまで腐っているのか、この国の官僚は。

    深夜3時ごろに寒気を感じて目が覚める。エアコンを消そうとテラスを開ける。
乾いた少し冷たい風が入ってくる。反対側にある玄関も網戸にする。

    寝床に戻ったころに突然、半分に折れる網戸が開く音。誰かが入ってきたようだ。
    暁闇の訪問者?そんなことはありえない。

    風が強すぎて開いてしまったようだ。鍵をかけないとこうなることがある。
 

    天気予報では渋谷の今朝の気温は25℃。菅平は10.3℃だとか。真冬には-20℃ほどにもなるところだからさもありなんなのだが、調べてみたらこれは横浜の2月の最高気温。かなり寒い。

    冬に仕事で何度か行った信州・菅平の、この時期の風景はあまり思い浮かばない。赤とんぼが群れ飛び、すすきが揺れているのだろうか。
 今日、季節がほんの少しまわったようだ。

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菅平の秋

 朝刊では、国土交通省総務省などが、中央官庁に義務付けられていた障害者の雇用割合を42年間にわたって水増しし、定められた目標値を大幅に下回っていたことが報じられている。

 障碍者手帳を持たない職員を算入するやりかたで、雇用は公表数の半数にも満たない可能性があるという。
 地方自治体や民間企業に対し法定雇用率を示し、到達できない場合は違反金を納付させてきたその元締めたる国の省庁が、これほどのでたらめを42年間も続けてきたとは。ここまで腐っているのか、この国の官僚は。言葉もない。
 

   この4月からは障害者の雇用促進等に関する法律の改正により、法定雇用率は精神障害者を算定基礎に加え、民間では2.0%から2.2%になった(国、地方公共団体2.3%➡2.5% 都道府県等の教育委員会2.2%➡2.4%)。

   国の政策として、それ自体悪いことではないと私は考えてきた。

   もちろん法定雇用率の設定に問題がないわけではない。違反金を払えば雇用しなくて良いという制度も問題だ。ただ少なくとも国や地方自治体においては数字を満額達成するような形にはなるだろうと思えば、障害者の労働の場所が確実に広がることにつながる。まずは官が率先して行うことは意味があると考えてきた。

 

    また精神障害の場合、障害者保健福祉手帳の取得に逡巡する人がいることも事実だ。障害をカミングアウトしなくても何とか今までやってこられているから、もし手帳を取得したことが会社や役所に知られて解雇などということになったら、といった懸念も了解できる。

   しかし障害を障害として認めずに、個人的な能力の問題としてたとえば「努力が足りない」「やる気がない」「仕事をおぼえようとしていない」「何度も同じ間違いを繰り返す」といった理由でいじめられ、仕事をおわれるケースも少なくないことからすれば、取得も一つの便法だと私は考えてきた。それに厚労省は、手帳の取得の有無による差別は許されないとしている。どこまで実効性が担保されるかはわからないが。

  そうした点からも法定雇用率を厳密に達成させることにあわせて、となりで働く人の障害をどのようにとらえるのか、どのような支援をすれば障害を持つ人が力を発揮できるのかといった視点をもった研修が同時に進めていく政策が求められてきている。これは私自身、労働組合の活動家として現場でのトラブルに対応しながら考えてきたことだ。

 

    今日の地方版(東京新聞横浜版8月17日付)に、厚木市の元小学校の教員の方が中心となって「あつぎごちゃまぜフェス」を開催するとの告知記事が載っている。小野純子さん(37歳)という方だが、長男が自閉症と診断されており、ご自分も注意欠陥多動性障害ADHD)があり、昨年まで厚木市内の小学校で教員として働いてきたという。

 小野さんの場合、仕事で支障をきたすところもあったが、心療内科を受診、ブログで息子さんのことを発信するなどしながら、精神的に安定していったという。おととしには職場でカミングアウト、同僚から理解と助けが得られ、「ミスをしてはいけない」と気負っていた以前に比べ楽になったという。
 

 一般的に教員の場合、ほとんどが同じ仕事をしているため、周囲の視線はきつくなるようだ。

 「忘れ物が多い」「時間が守れない」「集団での仕事ができない」「対人関係に問題がある」などの状態を「障害」のあらわれのひとつとは見ない。その人個人の能力のなさ、バランスの悪さとしてみてしまう。障害児教育に携わっている教員でさえ、教員の「障害」には厳しい視線を送るものだ。

 

小野さんがたどりついた「ごちゃまぜ」という発想に強く共感するが、ここまでたどり着くのはたやすいことではない。あえて外に打って出ようとする小野さんには敬服する。


 精神障害の場合、大人になってから、行動に現れる「問題」が性格や個人の能力ではなく、障害によるものと自覚するケースが多い。教員になったのちに障害に気づく人もいる。そういう人が、職場で排除されずに何らかの支援を受けながら仕事ができるような環境作りが、今度の精神障害者を含めた雇用率のアップによって進められないのかと考えていた矢先の、今日の報道だった。
 

 厚生労働省HPには、雇用者に対して、障害者に対し、募集、採用、賃金、配置、昇進、退職の勧奨において、差別は許されないことが強く打ち出されている。厚労省までが法定雇用率をごまかしてきたなどということはまさか、ないと思うが。
 

 いくつかの中央省庁は42年間にわたって国民を愚弄し続けてきた責任をどうとるのか。と書いて思い浮かべるこの間の中央省庁の山のような不祥事、でたらめぶり。政治は政治で腐っていて、期待できないことがはっきりしているとすれば、私たちは何に怒りをぶつけるべきなのか、どう怒りを表現すべきなのか、考え込んでしまうのである。

 

 

f:id:keisuke42001:20180817160809j:plain菅平