特攻への批判に対してよく言われるのは「尊い命を犠牲にしてお国のために死んでいった人たちを馬鹿にするのか」というものだが、それが「命令した側」の無意識の免罪にもつながっているという指摘は鋭いと思う。

 今日、8月15日。風はあるが、暑い一日。


 昨日、ラジオを聴いていたら、映画評論家の方が、お名前は失念したが三船敏郎全映画(映画秘宝COLLECTION』(洋泉社・3800円)という本の紹介をしていた。7月に売り出したが、値段が高くてなかなか売れず、ネットにレビューも出ていないのだとか。

 ご自分でも一部執筆しているというこの本、資料や写真が多く445頁という大変に大部の本とのこと。手元に置いて見てみたいものだが。時間が経てば図書館で借りられるかもしれない。この方、「明日は敗戦記念日ですが…」と枕を振って話を始めた。

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 三船敏郎の軍隊時代のエピソードについて詳しく触れていて面白かった。中でも三船は軍隊に5年間もいたのに上等兵どまりだったという話が面白かった。
 

 理由は明快。三船はまつろわぬ兵隊だったということだ。


 これは有名な話だが、関東軍の初年兵のころ、隊内でのリンチが激しい中、三船は1発2発のビンタでは倒れないという理由で余分に殴られ、声がでかいという理由でまた余分に殴られたという。上の者からすると、堂々としていて不遜な態度が癇に障るところがあって気に入らなかったのだろう。

 古参兵のリンチが激しいと我慢ができず、自分の階級章を外して「お前も階級章を外せ。階級を忘れておれと勝負しろ。人間対人間でいこう」と古参兵に啖呵を切ったという。軍隊内で昇格できなかったのは当然のことかもしれない。相手の古参兵は意気消沈してしまったとか。

 

 まるで松本清張の『昭和史発掘』に出てくる部落出身の兵隊の闘いのようだ。「上官の命令は陛下の命令」というトンデモ理屈で階級の下の者をいじめつくす旧日本軍の伝統も、確信犯に対してはつぶしきれないところがあったようだ。

 三船もまたそういう存在として認められていたということか。出過ぎた杭は叩かれないのたとえのように。

 

 内地に戻ってからは、滋賀県八日市飛行場「中部九八部隊・第八航空教育隊」に写真工手(もともと実家は写真館)として配属され、のちに特別業務上等兵として炊事の責任者をしていたというが、長男史郎さんの話では、特攻に出る少年航空兵にスキヤキを作って食べさせたと涙を流して語ったそうだ。

 後々、海外でのインタビューに対して、「あの戦争は無益な殺戮だった」と語ったエピソードは有名な話だ。

 三船敏郎という人は、やはり独特の信念を持った人物だったようだ。

 

 

 鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(2017年・講談社現代新書・880円+税)が売れているという。私が読んだのは3月ごろだったが、あのころで10万部と帯に書いているから、もう20万部を超えているのだろうか。こういう本がそんなに売れるものか。 

 内容を細かく覚えているわけではないが、興味深く読んだことを憶えている。

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 9回特攻の命令を受けて9回とも帰ってきた特攻兵佐々木友二さんの話が中心だ。

 今までにも機体の不良で島に不時着して戻ってきた特攻兵の話はいくつも読んだことがあるが、特攻を成功させるために「死ぬ必要はない」「何度でも爆弾を命中させてみせる」と言った人の話は初めてだった。

 

 鴻上は、特攻という作戦の「意義」を注意深く切開し、最終的に日本型組織の在り方にまで言及している。

 特に命令した側と命令された側は画然とわけるべきだとして、特攻への批判は「命令した側」への批判であるにも関わらず、「命令された側」への批判と混同してしまう傾向について注意深く指摘している。

 特攻への批判に対してよく言われるのは「尊い命を犠牲にしてお国のために死んでいった人たちを馬鹿にするのか」というものだが、それが「命令した側」の無意識の免罪にもつながっているという指摘は鋭いと思う。


 鴻上が指摘しているように、現代においても、たとえば炎天下で毎年行われる高校野球に対し、真夏はやめようとか、せめて12時から3時にはやらないようにしようとか、夏は外して秋にしようとか、いろいろな考えがあるにせよ、誰も言い出さないところ、だれも改善しようとしないところが特攻と似ているという。

 「命令する側」と「命令される側」で言えば、高野連NHK朝日新聞が「命令する側」に立つことになる。具体的な判断を下さない、何らかの「うまみ」を手放さないという点で、特攻と高校野球は確かによく似ている。

 

 鴻上は

 「美濃部少佐のように、論理的に分析して、何が必要かを堂々と言えるようになりたいと思います。少なくとも、「夏を乗り切るのは根性だ!」とか「死ぬ気でやれ!」とか精神論だけを語る人間にはなりたくないと思うのです。」

 

と述べ、後半で美濃部正という特攻の指揮官について詳しく述べている。

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 美濃部正少佐(少佐は海軍での最終階級)は、太平洋戦争末期、連合艦隊司令部の会議で「全軍特攻」が決議される場面で、居並ぶ高官を前にただ一人異議を唱えた軍人である。

 美濃部は、芙蓉部隊という自分で命名した夜襲専門の部隊を率いて数々の戦果を挙げていた。芙蓉部隊は徹底した夜間訓練を行い、敵に気づかれずに接近し爆撃して帰還するという作戦のための厳しい訓練を部下に課し、整備兵も含めて1000人の兵を率いていたという。当時弱冠29歳である。美濃部は、昭和19年にたった一人で敵に飛行場に大打撃を与えるという戦果を挙げている。

 美濃部には、まだまだ飛行部隊による闘い方があるという確信があった。そのためになすべきことがたくさんあるのに、死ぬことを前提とする特攻など認められないというのが発言の背景にあったようだ。
 
「(あなた方は)搭乗員の練度不足を特攻の理由に挙げているが、指導訓練の工夫が足りないのではないか。私の所では総飛行時間200時間の零戦パイロットでも皆、夜間洋上進撃可能です。劣速の練習機が何千機進撃しようとも、昼間ではバッタのごとく落とされます」
「今の若い搭乗員の中に死を恐れる者はおりません。ただ、一命を賭して国に殉ずるには、それだけの成算と意義が要ります。死に甲斐のある戦果を上げたいのは当然。精神力一点ばかりの空念仏では心から勇んで立つことは出来ません。同じ死ぬなら、確算ある手段を立てていただきたい」
「練習機で特攻しても十重二十重と待ち受けるグラマンに撃墜され、戦果をあげることが出来ないのは明白です。白菊や練習機による特攻を推進なさるなら、ここにいらっしゃる方々が、それに乗って攻撃してみるといいでしょう。私が零戦一機で全部、撃ち落として見せます」

 ワクワクするような演説である。一つ間違えば抗命罪で軍法会議にかけられるような発言だが、三船の場合と同じように高官らは、結局芙蓉部隊を特攻から外し、独自の作戦を許容していく。敗戦の前日までに630機を出撃させ、損機は47機のみ。こうした事実は特攻の「美しくも悲しい物語」の前には、なかなか伝わらない。

 

Wikipediaには次のようなエピソードも載っている。

 

 戦闘901飛行隊の活躍を聞きつけた第一航空艦隊司令長官大西瀧治郎は、11月10日に美濃部を司令部に呼び出した。大西は美濃部に多号作戦で輸送艦隊の脅威となっている、コッソル水道のアメリカ軍飛行艇とPTボート基地の攻撃を命じたが、美濃部が月光で基地攻撃は困難であると反論すると大西は「特攻ではどうか?」と切り返してきた。美濃部は「特攻以外の方法で長官の意図に副えるならば、その方がすぐれているわけです。私は、それに全力を尽くすべきと思います。」「だいいち、特攻には指揮官は要りません、私は指揮官として自分の方法を持っています。私は部隊の兵の使い方は長官のご指示を受けません」と安易な特攻依存をはねつけた。気性の激しい大西であったが、美濃部のことばに怒ることもなく「それだけの気概と抱負をもった指揮官であったか、よしすべて君に任せる」と特攻しないことを容認した。

 


 引用は、『特攻セズ 美濃部正の生涯』(2017年・境克彦著・方丈社・1800円+税)からだが、鴻上の本を読んですぐにこの本を購入したが、これはめっぽう面白かった。400頁近い本だが、美濃部正という人物が過不足なく客観的に描かれていると思う。


 実は、美濃部正が生前に著した『大正っ子の太平洋戦記』という私家版の本がある。この復刻版が同じ方丈社から『特攻セズ』に先だって出版されている。ただし価格が6400円+税、なかなか手が出ない。市内の図書館にもまだ入っていない。

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 美濃部正が亡くなって21年目の夏である。

 

 

 10年ほど前、ヒロシマ修学旅行の下見の際、個人的に江田島自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校跡地)を見学したことがある。広大な敷地の中の見学は、すべて案内の係官の誘導で行われ、見学経路も決められていて自由に見学はできない。海につながる構内は案内の係官の白の制服とともに全体が白で統一されている。特攻記念館も白い壁の立派な建物である。 

 ここには写真、遺品や遺書、手紙が展示されており、小グループひとかたまりの人数しか入らないために、独特の静謐さが保たれている。知覧の特攻記念館の猥雑さはなく、ここには特攻の「命令された側」の悲壮と純粋さだけが如実に表れ「命令した側」の存在はきれいに消されていた。

 

 

f:id:keisuke42001:20180815152748j:plainツバメの羽の色は黒ではないことに最近気がつきました。