『万引き家族』この社会に存在する普段は目にすることのないさまざまな「境界」あなたはそのどっちにいる? という問い

<今回長文です> 

6月の末に、鴨居のららぽーとで『万引き家族』と『焼き肉ドラゴン』をみた。比べても仕方がないけれど、映画としての出来は、明らかに『万引き家族』。み終わったあとの充溢感というかいろいろなものの残り方が違う。
 脚本とか演出とか編集とか、専門的なことは分からない。たぶんそれらが合わさった力の差なのだろう。役者の動きによく出ている。


 まずふたりの子ども。拾われるようにして万引き一家と一緒に生活する「りん」の自然さ。自然にしていればいいよ、というのとは違う。
もう一人、リリーフランキーと万引きをする祥太。意思が視線や体のたたずまいにはっきり感じられる演技。『だれも知らない』の柳楽優弥を彷彿とさせる。二人だけのセリフのやりとりの場面も同化していなくていい。

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 次に大人。リリーフランキー演じる柴田治。ものごとを理屈では決められないくせに、損得や好悪、快不快だけでいとも簡単に飛び越えてしまう人。何人か出会ったことがあるこういうタイプ。弱くて優しくて、そしてずるい、いつも揺らいでいるが自分では意識していない。

 
 年金受給者の柴田初枝役の樹木希林。みな彼女に寄生している。いつもながら驚かされる。自虐的に「死ぬ死ぬ詐欺」(彼女は現在75歳、がんの転移で満身創痍と言われている)などと言っているが、自らが老いながら老いを演じる凄さ。餅を食べるシーン。どこまでが演技でどこまでが素なのか。すべて演技なのだが、これって素じゃないのと思わせられるシーンもいくつか。


 で、何と言っても安藤サクラ。この人の表情、セリフ回しは独特。演出を超えてしまっているんじゃないかとみまがうほどの演技力。『百円の恋』(2014)でも驚かされたが、力を入れた演技よりも抜いた演技の豊かさ深さがいい。逮捕後の拘置所のシーンは忘れられない。それまでの表情と全く違っている。
 

 そしてセット。彼らが暮らす初枝の家。ものがあふれている。既視感。雑魚寝が自然だし、それぞれはまっている。
 こんなセットと一人ひとりの役者の演技がからまって一つの世界ができあがる。大好きな『歩いても歩いても』(2007年)や『海よりもまだ深く』(2016年・団地の部屋のセットが素晴らしかった)に通じる。作り物なのに自然すぎて、みている方がそれを忘れてしまう。セリフが聞き取れないと、「今なんて言った?」と訊きたくなる。

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 映画としては『だれも知らない』や『そして父になる』に近い。前2作よりいいと思ったのは、結論を急いでいないところ。ほんとうの家族ってなんだ? 的な問いのための問い、第三人称的な問いかけより、この社会に存在する普段は目にすることのないさまざまな「境界」、児童虐待、貧困、年金不正受給、教育格差、行方不明、非正規労働などなど。そして、あなたはそのどっちにいる? という問い。現在の社会が融通性をなくして、形式的な安全安心を「是」としているものへのはっきりとしたアンチテーゼ。だからと言って人はどんなふうにも生きていく、生きていける、どっこい人間!というのではない。だれもそれを選ばない。選ばないのに漏斗の底に向かって滑っていってしまう現実がこの社会には確実にある。


 音楽は無理に感情を揺さぶろうしておらず、セリフは聞き取れないところが多い。でも、私たちはいつだって他者のことばをすべて正確になんか理解していない。ほとんどの人間関係が、誤解と思い込みでできているとすれば、この映画のなんと自然なことか。互いにどこまでいっても分かり合えないことがたくさんあることの当り前さ。
否定も肯定もなく、こうして生きている人たちがいるというリアル。


 映画にすっきりした開放感を求める人にとっては、もやもやとしたものがたくさん残る映画なのかもしれない。

 

一つ付け足し。2018年上半期の寸評で触れた「大阪バイオレンス3番勝負 大阪外道」(2012年)という映画の中では、「外道」と呼ばれるやくざが、子どもたちを次々と拾ってきてともに暮らすというシーンがある。家族らしくない家族だが、子どもを守るために本能的に動いてしまう、つまり暴力によって金を巻き上げてくる「外道」が印象に残っている。この共通点は何だろうか、と考えている。

 

 『焼肉ドラゴン』。舞台は大阪万博の1970年代前後の大阪。在日朝鮮人が営む焼肉屋。夫婦と3姉妹に弟が一人。常連の客と娘たちの彼氏たち。

 お店の中の造作がいい。外の路地から貯蔵庫のような、調理場のようなところへ入るくぐり戸やカウンターの神棚。テーブル席、小上がりの奥にあるカーテンで仕切られた生活空間。でも期待していた料理はほとんど印象に残らない。それと伊丹空港近くのとある朝鮮部落という設定なのだが、「日本」との関係がどうも希薄だ。空港のシーンが何度も出てくるのに「よど号」は連想されないし、日本の進学校に通う在日子弟というのもちょっと違和感。そこでの在日「いじめ」もありがちすぎてリアリティがない。設定が原作に縛られていて、演劇的空間ぽい。広がりがないと思われた。

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 ひとり息子時生はいじめのせいで言葉を失い、自死してしまうのだが、唐突でほおりっぱなしと感じた。70年前後ならば、もっと違う展開があったのでは。 

 日本人として戦争に駆り出され、片腕を失った在日朝鮮人父龍吉を演じるキム・サンホ、母英順を演じるイ・ジョンウン、二人の演技が素晴らしい。日本語を話せない二人の日本語が、ぐさぐさとくる。日本人の役者がどう転んでもこうはいかないだろうというリアリティがある。


 でも、彼らが発する思いや言葉が妙に「やわ」に感じられるのはどうしたことだろうか。私の知っている在日一世の朝鮮へのこだわり、日本人への反感は、それ以後の二世、三世、四世とは全く違うものだ。これも違和感。
 

 一家の中で3姉妹とそれぞれの彼氏たち、そこで起きる在日をめぐる結婚や労働をめぐる差別事件、しかしそれらは、時生の自死も含めて、とりあえず並べてみましたの感がある。羅列的で、類型的に感じられてしまうのだ。
 

 だからなのか、面白いのにみていてちょっと「飽き」がくる。長いなと感じる。気持ちが離れ始めたところで、キム・サンホとイ・ジョンウンに引き戻される。悪くはないのだけれど、今一つぎゅっと凝縮したものが薄いと思った。

『パッチギ』『月はどっちに出ている』『血と骨』『GO』・・今となっては中身もあまり覚えていないが、在日を題材としたこれらの映画は、いつも何か新鮮なものを見せてもらった。あざといまでの差別者としての日本人への強い反感と、翻って民族としての自己定立に悩む少数者の苦悩があったと思うのだが、『焼き肉ドラゴン』からはそうしたものはあまり感じられなかった。なにが変わっただのだろうか。70年代を描いた映画なのに。
期待していただけに残念!

 

万引き家族』興行的にはそこそこ日本でもみられているようだ。カンヌ映画祭での最高賞受賞は、カンヌの審査員の感度の高さを表しているが、それ以上に受賞によってたくさんの人が映画館に足を運ぶこと、なにより是枝監督が自ら執筆した脚本と演出に「手ごたえ」を感じとれたこと、そして次作をつくる意欲と経済的な裏付けが取れたことが素晴らしいと思う。首相や文科大臣への表敬訪問もしないところもいい。表現者は権力とは距離を保つ、日本ではこういう人は少数派だし、貴重だと思う。

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今場所は、稀勢の里白鵬鶴竜、蒼国来そして今日から栃ノ心が休場。

写真は昨年9月場所だが、この時はすごかった。せっかく見に行ったのに。

白鵬(東横綱
稀勢の里(東横綱
鶴竜(西横綱
・高安(東大関
照ノ富士(東大関
・碧山(西前頭・二枚目)
・宇良(西前頭・四枚目)
佐田の海(西前頭・十二枚目)

が休場。照ノ富士は今場所幕下6枚目まで落ちてしまった。

 

服部桜、今日まで1勝3敗。

 

nonchi1010さん、コメントありがとうございました。

「別途」まだあと少しあります。近いうちに。