『美しい顔』HP上で無料公開。これはまっとうな反撃かそれとも強気の逆切れか。私は作品のもつ力を信じている。

 6月21日に、群像新人賞を受賞した北条裕子氏の「美しい顔」について、私なりの視点から触れた。

   6月29日に講談社は、当該作品は複数のノンフィクション作品を参考にしていたにも関わらず、参考文献として掲載していなかったとして著者らに謝罪したとの報道があった。なんだかすっきりしない説明だなと思った。

   その後、講談社は新潮社やノンフィクション作家らと協議を続けているとのことだったが、今朝7月4日の朝刊では、講談社が(今回の問題が)「作品の根幹にかかわるものではなく、著作権法に関わる盗用や剽窃などには一切当たらない」として、「評価を広く読者と社会に問う」として近日中に当該作品をホームページ上で無料公開することを決定したことが報じられた。

   私は、「美しい顔」の単行本化が遅れるか取りやめの可能性もあるし、日本文学振興会芥川賞候補作から外すかもしれない、そうすると作品が読めなくなるかもしれないと思い、6月30日返却予定の「群像6月号」を数部コピー、友人らへ郵送した。 

   今朝、その友人から「美しい顔」がHP上に公開されるそうだというメールが届いた。コピーは無駄になったが、HP上でたくさんの方にこの作品が読んでもらえるのはうれしいことだ。

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   ネット上では、すでに北条氏のプライベートなことにまで、話題が広げられている。こういうのを炎上というのだろうか。作品に対しても「盗用」「剽窃」「コピペ」だと攻撃する向きが多い。新聞報道レベルでの酷似部分を考えると、ほとんど作品を読んでいない人たちだとわかるいちゃもんだと私は思う。報道されている類似点だけを見れば、たしかに似ているけれど「盗用」「剽窃」といわれまでのことはないのではないかと私には思われた。

 ただ 受賞作を確定する段階で、内容の点検や作家本人との面談がきちんと行われなかったのは、明らかに群像編集部のミス。それも初歩的なミス。これはどこまでいっても言い訳のできないミスだと思う。

   そのミスを承知で今日の声明は、新潮社の「単に参考文献として記載して解決する問題ではない」とする見解に対して「…小説という表現形態そのものを否定するかのようなコメント」と批判、「…著者北条氏は大きな衝撃と悲しみを覚え、編集部は強い憤りを抱いております」としている。 

    ミスはしたけれど、そちらのその言い方はないだろうと剣突を食わせている。これを強気の逆切れとみるか、まっとうな反撃とみるか、悩ましいところだ。なぜなら、これは群像新人賞作品の問題というより、以前なら実より名だった芥川賞の、今ではビッグマネーが動くビジネスの話でもあるからである。

   講談社側がHP上に作品を無料で公開すれば、単行本はつくったとしても売れない。それを覚悟でまず多くの人たちに作品を読んでもらい、これがどれほどの盗用問題なのか判断してほしいということなのだろう。

    7月18日に選考会が開かれる芥川賞選考会でこの作品が選ばれなければ、講談社は商機をすべて失うことになる。素人目からすれば、これは大博打のようだ。これで新潮社との間、ノンフィクション作家との軋轢が消えるわけでもない。争いはすでに感情的になってきており、泥沼化していく予感がする。 

   それでも、私はどんな形であれ、「美しい顔」をたくさんの人たちに読んでほしいと思う。私自身、この作品から並々ならぬ力を感じたからだ。そのうえで盗用問題がどれほどの意味をもつのか、考えてほしい。これは現代の文学をめぐる、とりわけ3・11以後の文学の重要な問題である。

f:id:keisuke42001:20180704152553j:plain同居犬”らい” 桜の木の下で。現在夏毛に変身中。