映画にみる難民問題④ みなどこかで愚かで温かい素敵な人々の・・・と言い切れないヨーロッパの現実と日本

   もう一本『はじめてのおもてなし』(2016年・ドイツ・116分)も難民問題を題材とした映画だ。原題は『Willkommen bei den Hartmanns』(ハートマン家へようこそ)。ハートマン家に一人の難民の青年を受けいれるという意味で、日本の配給会社は邦題に「おもてなし」という言葉を使ったのだろうが,いただけない。「家族の絆を描いたコメディドラマ」(映画・COM )とはいえ,あまりに今の日本の軽薄さを無批判に利用していて下品である。そのことがかえってこの国の難民問題への無関心をさらけ出してしまっている。

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    それほどお手軽な映画ではない。とにかく映画としての骨格がしっかりしているので,笑わせてくれるところと考えさせるところとが、バランスよくかつリズムよく配置されていて最後まで見飽きない。よくできた映画だ。幅広い観客に指示されたことがよくわかる。

    ハートマン家の夫婦(整形外科医。職場の若い人たちのコミュニケーションが取れない頑固者の夫と、教員を退職して時間を持て余しているアルコールに傾きかけている妻)と子どもたち(いろいろ目移りしてしまって進路が決まらない妹,離婚しているが男の子の気持ちが分からず,仕事に没頭するだけの兄)が,亡命を希望している難民の青年ディアロを受けれるなかで、家族としてのつながりを獲得していく物語だが,それぞれの立場,夫,妻,兄,妹がディアロとの距離感を見せてくれるのはあざやか。

   ハートマン家はドイツの平均的な家庭というよりやや上流になるだろうか。男たちは社会がよく見えていて開明的なようで,実は差別的でかつ保守的な一面をもっており,女性たちは自分に素直に行動する分,周りが見えず自分に拘泥しがちなところがある。誤解を恐れずに言えば,ドイツ特有とは言えない性差の一面を感じた。

   ディアロを受け入れたことで,夫は過剰にストレスを感じ,妻は生きがいを感じ始める。妹は,父の部下であるアラブ系の青年医師との恋に芽生え,兄は息子との絆を取り戻そうとする。この6年生ぐらいの男の子とディアロとのかかわりがとってもいい。ぐっとくる。

   妻の友人のエキセントリックな女性など,類型的な人物像が、現在のドイツの社会のありようを表現しているようだ。

   それにしてもみなどこか愚かであたたかい素敵な人たち。ついつい大団円に納得してしまいそうになる。いや待てよ。この映画は,ドイツの豊かで良心的で良質な部分,日の当たっているところをきれいに描いて見せてくれたということではないか。否定はできないが全体性という点ではちょっと難あり。しっかり刮目して見るべしというところか。

   私自身、『帰ってきたヒトラー』(2015年・ドイツ,116分)のほうに、よりドイツ社会のリアリティを感じてしまうし,こちらの方がドイツ人の深層心理をきっちり描いていたのではないかと思ってしまうのだ。

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   ずいぶん若いころ,1980年後半だったか,西ドイツにおけるトルコ人労働者の実態を描いた『最底辺GANTS UNTENトルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ』(ギュンター・ヴァルラフ)を読んだ。ナチスドイツの国の30年後がこんな状況にあるのかと暗澹たる気持ちになったことを覚えている。

    世界の不安定さ,宗教対立,経済格差が6500万人の難民移民を生み出している現在,極東の国だけが埒外でいられるわけもない。いずれおとずれるだろう難民,移民,外国人労働者の深刻な問題を、私たちはいったいどんなふうに受け止めていくのか。

   歴史的に日本人がこうした問題に向き合ってこなかったというわけではない。サンフランシスコ条約によって日本国籍を奪われた,在日朝鮮人一世から現在につながる在日の人々とのかかわりのありようを捉えなおすことから,始めなければならない問題でもあるのではないかと、思うのだが。