映画にみる難民問題③ ガラス細工のように壊れやすい「希望」を追い求めるカウリスマキへの共感

 一方,『希望のかなた』は少し趣きが違う。あらすじを少しだけ。

 舞台はヘルシンキ。トルコからやってきた貨物船に身を隠していたカーリド。シリア・アレッポで家族を失い,たったひとり生き残った妹と生き別れに。彼の願いは妹を探し出し,ここヘルシンキで幸せな生活をさせたいというのがカーリドの願い。カーリドは,収容施設に入り難民申請をしながら仕事を探し始める。

 一方,衣類のセールスマン ヴィクストロムは酒浸りの妻と仕事に嫌気がさし家出,在庫を売り払った金をポーカーにつぎ込み大勝ち。それを元に一軒のレストランを買い,新しい人生を始めようとしている。

 ここにカーリドが転がり込むのだが,この出会いも殴り合いがきっかけなのだが,どことなくそっけなくて面白い。

 店に付いてきた従業員たちとヴィクストロムとの,店の経営をめぐっての,どこかおかしみのある掛け合い,そしてカーリドのかかわりがやはりこの映画の醍醐味。店をいろいろに改装するのだが,そのひとつに日本風に改装し寿司店を始めるところなどかなり笑える。

f:id:keisuke42001:20180617145512j:plain

 

 妹が見つかり,新しい生活が始まりそうなときに,カーリドはネオナチに襲われる・・・。しかし結末は希望がほの見える。

 ここにもカティ・オウティネンが洋品店主として登場(『シェイプオブウオーター』のサリーホーキンスに似ていると思うのは私だけだろうか)。カウリスマキの映画に必ず出ているという犬もいい味を出している。なによりヴィクストロムを演じているサカリ・クオスマネンがこれまた演技と呼べるか呼べないかというほどの無表情ぶりで,かえって引き込まれてしまう。 

 難民に対する周囲の差別的な視線,ネオナチの台頭,その厳しさは「靴みがき」から6年,中東から遠く離れた北欧フィンランドヘルシンキでさえも例外なく強まっている。二つの映画とも,弱い立場の者を同じ弱い立場の者が守ろうとするという点で共通しているし(脚本はともにカウリスマキ),そこにこそカウリスマキは「希望」を求めているのだが,映画のいくつものシーンの中にカウリスマキの「希望」も壊れやすいガラス細工のようなものにも思えるのだが。