映画にみる難民問題①~日本にはほんとうに難民問題はないのか?

   労働問題などもそうだが,日本でつくられる映画にはテーマとならないものがいくつかある。難民問題もその一つである。

  今もシリアやアフリカから難民らが押し寄せ続けているヨーロッパでは,難民問題は政治課題のトップと言っていい問題である。数年前までは難民受け入れに寛容であったフランス,ドイツ,オランダなどにおいても,シリア内戦などの長期化に伴って増え続ける難民に対して,自国の利益を守れ,労働市場を守れといった主張から,難民受け入れ拒否をストレートに出す政治党派,極右政党が伸長している。

   6月16日の朝刊は,イタリアの新政権(ポピュリズム政党と極右政党の連立)が,地中海で10日に救助された難民の上陸を拒否,スペインのサンチェス政権が人道上の理由で受け入れる事態になったと報じている。イタリア新政権の内務相はこれを「勝利だ。最初の目標を達成した」とツイッターに書き込んだという。

   一方,そうした動きを批判するフランスに対しては「偽善者」と決めつけ,外交問題に発展しつつある。  

イタリアには2013年以降60万人以上の難民らが地中海を越えてアフリカや中東から流入EUの最初の上陸地としての役目を果たしてきたが,他国が消極的な姿勢に不満を募らせていたという。

   昨年からトルコのエルドアン大統領が300万人以上のシリア難民を抱えて,これを自らのEU加盟の取引材料とするなどの動きもあり,難民問題は今やヨーロッパの最大の課題となっている。

   EUの中心的指導者として難民受け入れを積極的に進めてきたメルケル首相のドイツでは,難民への寛容な政策に対する批判が国内に広範に広がっており,連立政権を維持するために政策の変更を余儀なくされている。

   周りが海に囲まれていようがいまいが,各国での政治的な不安定さから難民は不断に生まれざるを得ないし,実際その数は世界で6500万人と言われている。しかし,私たち日本に住んでいる者にとっては,難民問題はまだまだ埒外のことであるし,せいぜいが,外国人観光客が増えた,どこに行ってもアジアからの旅行者であふれているといった程度の認識にとどまっているのではないか。

   先日のG7において各国の首脳の発言にいらだったトランプ大統領が,「シンゾー,私がメキシコ人2500万人を送れば君はすぐに退陣になるぞ」と言ったという。「シンゾー君(の国)にはこの問題はないだろう」と呼び掛けてメキシコ人の話を持ち出したそうだが,トランプのエキセントリックさはすさまじいが,それ以上に日本という国が難民移民問題をスルーしていることの欧米のいらだちとしても捉えることができる発言ではある。

    日本の2017年の難民の認定申請は19628人,10年前に比べて10倍に増えているが,認定は20人と申請の0.3%に過ぎない。2015年のドイツの認定数が138666人で認定率59%というからその少なさは異常ともいえるものである。

    日本は難民申請の審査期間が平均で10か月,不服申立期間を入れると結論が出るまで3年かかるという。また日本の認定基準が他国に比べ極端に厳しいと言われるのも事実である。いや,厳しいというより難民を入国させないための屁理屈のような認定基準であることが知られている。

    驚くのは,たとえば「迫害主体が本国政府でない場合は,難民とは認めない」というもの。国内の過激組織からの迫害や他宗派からの迫害は求められないということ。日本にもシリア難民の申請が出されているが,アサド政権からの迫害は認められても,他宗派やIS,反アサド政権からの迫害では認定されない。 

 ブロガーのちきりんさんのまとめによると,日本の難民認定基準は次のようにまとめられるという。

1.迫害主体が政府ではなく過激派や対立宗派だとダメ
2.日本人の審査官が信じられる話をしないとダメ
3.内戦から逃げてきただけじゃダメ
4.リーダー以外は身に危険が及ぶとは言えないからダメ 

 これが0.3%認定の仕組み。認定しないための屁理屈である。
日本の労働市場を考えれば,外国人労働者を積極的に受け入れなければ,労働現場そのものがもたなくなっているなかで,こんな認定基準で「鎖国」を続けるとすれば,いずれ手痛いしっぺ返しにあうのではないだろうか。いまだに単一民族幻想が時として顔を出すこの国の在り方,それを浮き彫りにさせてくれる一つが難民問題ではないか。この問題をさまざまなシーンで取り上げていくことが,今求められていると思う。