阿智村 満蒙開拓記念館 なぜ長野県出身者が多いのか 

   信州のこと、少しだけ。今回は高遠と松本に1泊ずつ。高遠泊は、通い始めて7年ほどにもなる「山荘五合庵」。老齢のご夫婦で営む一日一組の宿。この日は、私の長兄夫婦と4人で。夕食はいわずもがな。これが夕食でもいい!とよく言われる朝食。写真がへたくそなので臨場感が伝わらないが。

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   2泊目の松本は松本ホテル花月、2度目。二つとも気に入っている宿だ。雰囲気はかなり違うが、共通しているのはどちらもサービスにブレが少ないこと。変な言い方だが、こちらがよけいな心配や気遣いをすることなく過ごすことができるという点でサービスの質がわかる。客の方が気を遣う旅館などもあるなかで、もう一度来たいと思う宿は多くはない。

   梅雨入りの報道に雨を覚悟の旅行だったが、終えてみればずっと晴れていたような。1週間前の予報とは全く違った天気に、帳尻合わせばっかりしやがってといつも毒づいてしまう。気温もかなり高かった。9日など30度を超えて、真夏日のよう。これも1週間前の予報では違った。

   一日目につれあいが行ってみたいという阿智村の満蒙開拓記念館へ。横浜から270㌔程。運転はすべてつれあいである。私は助手席でスピードの出しすぎに気を揉む係である。早いもの、高いところ、苦手である。それにしても「助手席」。 

   下駄が入っていないのに「下駄箱」、筆など誰も入れないのに筆箱?の伝。大昔、大正時代クルマが普及し始めたころ、運転席の隣には「助手」が乗っていたとか。エンジンをかけるにも方向指示器を出すにも、客の乗降の手伝いにも助手が活躍した時代の名残のよう。「助手席」という言葉をだれもが何気なく使うが、その時に「助手」を具体的に連想している人はとっても少ない。学校で「靴はちゃんとげた箱に入れなさい」と言っても、教員も生徒も下駄を連想してはいない。言葉から意味が剥落し、互いに別の意味付与を共有している。こういうのってなかなかいいと思う。

   阿智村は星がきれいに見えることで売り出している村である。今では東京や茅野などからバスが出ているらしい。小学校から高校まである大きな村である。その阿智村に満蒙開拓記念館(2013年開館)ができたことを知ったのは、4年ほど前の東京新聞の記事。館長さんである河原進さんの紹介が大きく取り上げられていた。惹きつけられる記事だった。

   しかし、愛知県に近い長野県飯田の近くの阿智村。なかなか行けないだろうなと思っていたのだが、2年前「会津さすけね倶楽部」(会員は前出のⅯ君とH君と私)の信州旅行ではからずも実現したのだった。以来2回目の来館になるが、今回は新たに館長となった寺沢秀文さんの館内ガイドに偶然遭遇、じっくりとその成り立ちを聴くことができた。つれあいも大満足。

   阿智村や長野県に満蒙開拓団や青少年義勇軍となった人々が多いのは、農家の次男三男の行き場がなかったことだけでなく、戦前の教員らのいわゆる赤化事件により多数の逮捕者を出した信濃教育会が、その汚名挽回に軍部の先兵となって「駆り出し」に躍起となった結果でもあった。信濃教育会と言えば、白樺派の影響を受けた大正自由主義教育をすすめた尖鋭かつ自由な教育実践で知られるが、これに対する弾圧の反動がこんなかたちにも表れていたのだった。

   研究はもちろん証言もかなり収集されており、図録もきちんとつくられている。記念館としての立ち姿がとってもしっかりしていると思う。館内に流れる空気もどことなくやわらかで穏やかだ。HPも読みごたえがあるのでぜひ訪れてみてほしい。
www.manmoukinenkan.com/

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    もう一つお伝えしたいのは、40年来の畏友、北安曇池田町在住のS君が取り組んでいる肥料を一切使わない炭素循環農法についてだが、3日目に実際に彼の畑を訪れた。前日の夜、ジュレブランシュから一心へ。ともに痛飲したせいか、ぼんやりしていてレポートが難しい。これについてはまた今度。