更新されていないねとまだ数人しかいないフォロワーからのひとこと。7日からつれあいとふたりで信州へ。3日ほど不在にしていたせいである。
尾道の「棒」の話ばかりか、その前振りの本厚木の映画館で見た二本の映画の話も、終わるどころか始まっていない。こうしてだらだらと脈絡もなくあちこちに浮遊しながら続くのが、このブログの特徴になるのかもしれない。
ということで、しまなみ海道、尾道の「棒」に戻る。尾道「棒」のふたつめは、尾道水道。尾道を見下ろす千光寺公園。ロープウェイでわずか3分ほどで頂上に。チケット売り場で「往復でなくていいですか?」。片道320円往復500円。妙に往復が安い。しかし往復を買ってしまったら途中の名所旧跡はどうするのか。頂上からの眺めを楽しむだけの人が往復を買うらしいことが、うっすらとわかる。チケットを売る人は何にも云わない。
ロープウェイから見下ろす向島(むかいしま)。「ああこれが向島か!」とⅯ君。私の脳裏には「平尾容疑者」という言葉が浮かぶ。千光寺公園の頂上に到着して、尾道と向島を挟んで流れる尾道水道を見下ろす、幅の狭いところは200m~300mという。「おお、これが平尾容疑者が泳いで渡ったところか!」。筋肉質の平尾容疑者が必死の形相で激しく抜き手を繰り返しながら波間を漂う姿が目に浮かぶ。
今、目の前の尾道水道に波はなく、水面はまるでプールのよう。彼が渡ったのは1か月前の4月24日の夜のことだ。普段の潮流は時速5キロほどだが、24日は潮流は緩くなる小潮、25日の明け方にかけては潮止まりに。情報をきっちり収集して、海が静かで人に気づかれない深夜、彼は一人いちばん幅の狭い200mのところを泳ぎ出そうとしたのだ。
それにしても報道される向島から受ける印象は、もっとずっと小さな島。実際には22平方㌔周囲28㌔の中に22000人が暮らす大変に大きな島。見下ろしてみてわかる捜索の困難。空き家もかなり多いという。警察の動きを空き家の屋根裏にテレビを持ち込んで把握していた平尾容疑者は、いくら向島が広いとはいえ、いずれ探索の手がすぐに伸びてくると判断したのだろう。島を脱出する手段はしまなみ海道の橋か海。小潮の海ならばなんとかなるのではと27歳の筋骨隆々とした彼が考えたのはよくわかる。
ところがこの日、尾道には大雨・洪水・強風・波浪・高潮注意報が出ている。4月終わりとはいえ強い雨が降っていて、気温もかなり低いはず。夜陰と風、雨に乗じての脱出行の決行は、かなり難しい判断だったのではないか。どうする?やるのかやらないのか。
それでも平尾容疑者は泳ぎ出す。そして泳ぎ切る。200mとはいえ、雨が打ちつける真っ暗な海を一人で泳ぐ彼の気持ちを想像すると、こちらまで気が塞いでしまう。刑務所の中での人間関係に嫌気がさしたから、というのが彼の脱獄の理由。開放型の施設ゆえのしんどさ、いじめに耐え切れなかったということだろう。あと少し我慢をすれば仮出獄が出来るはずだったというが。
逃亡22日目、平尾容疑者は広島市内のネットカフェ店員の通報で逮捕。警察は延べ6600人の警官を動員、警察犬にドローン、ヘリを動員しても見つけられなかったのはなぜか。向島が大きい、空き家が多い、などの理由ももちろんあるが、平尾容疑者が向島に潜伏していることははっきりしていた。それなのに探し出すことができなかった原因の一つに、警察捜査が今ではNシステムや監視カメラなど高精細なIT技術に依拠しすぎることもあるのではないか。最近では監視カメラがどんどん増えて、ことが起きた時には必ず「付近のカメラには」というのが今では慣用句のようになっている。たった一人のネットカフェの店員によってもたらされた逮捕は、6600人を動員しても彼を見つけ出せなかった警察の空疎さを突いているようにも思えるのだが。
尾道「棒」の3つめは簡単に。尾道映画資料館。大林宜彦が尾道三部作を撮り、小津安二郎の「東京物語」が撮られた尾道。映画に関する何らかの施設があるだろうと思ったらここが。蔵造りの瀟洒な建物。チケット一人500円をH君がまとめて払い、中へ。
一部吹き抜けの1階と2階をぐるっと回って5,6分。これで終わりかい?なにか短い映画が上映されているとか古い資料が並んでいるとか。正直、何の工夫も感じられないというのは言いすぎか。
こういう「がっかり」は、私ぐらいの年齢になるといくつも経験しているため、ショックは少ない。
それでもせめて訪問記念にと、2階のフロアで記念写真を撮ろうかと。背景に写すものとて大したものはないので、互いの写真を撮り合うことに。2枚ほど撮ったところに突然「撮影禁止って言いましたよね!」の声。受付の女性だ。どうしてわかったのか。受付から見えるはずもない2階。監視カメラか?おれたち犯人?
注意の仕方が、自分で言うのもなんだけど教員的。「あらかじめ言っておいたのになぜ守らないのか」。守れ!と指示するのではなく、「守らないのはなぜか」という詰問調。まるで学校の先生に叱られたような元少年3人は悄然として「そろそろ行きますか」などと言い合いながら退館。「撮影を禁止するほどの資料なんておいていないじゃないか。それに注意するならもう少し別の言い方があるだろ」と年甲斐もなく内心で毒づく。
3月に訪れたオランダのアムステルダム国立美術館なんか一日中見ても見切れないレンブラントやフェルメールなど、全部の絵が写真もビデオも模写もすべてOK。「夜警」のまえで小学生を坐らせてなにやら話をしている教師。寝そべって絵を眺めている若者。行列も整列もない。
一方日本では、全国どこでも何でもかんでもすぐに撮影禁止。きちんと並んで整列鑑賞。世界でもこれほど美術館、展覧会に人が集まる国はないそうで、入場に1時間待ちや2時間待ちも当たり前。なるべく短い時間でたくさんの観客を入れようとすれば、撮影などもってのほか。これまた某ラーメン店と同じ。見せる側の合理性か。立ち止まらなくてもいいのは最後に訪れるショップだけ。先月乃木坂の新国立美術館でみたビュールレコレクション、ここでは最後に飾られたモネの「睡蓮」のひとつだけが撮影可に。明るいところでバシバシ撮れるのだからほかの絵だってと考えてしまうのは単純すぎるのだろうか。
次の日に訪れたしまなみ海道、生口島の平山郁夫美術館、ゆったりとしたフロアに彼の小学校の頃から晩年にいたる数々の作品が飾られている。すべて撮影Okである。彼ほどの名の知れた画家ならばショップの売り上げはいわわさきちひろとまではいかなくても、かなりのものがあるだろう。撮影禁止すればもっと売れると普通の人は考える。見識の高さを簡易させられた美術館、これが「棒」の4つ目。
このほか本来の目的でもある国宝建築である尾道の浄土寺、松山の石手寺、優れていると感じさせられた大島の村上水軍資料館。さらに初めて訪れた四国八十八か所、57番札所の栄福寺、58番札所の仙遊寺。この際だからと行ってみた出来たばかりの加計学園の校舎、二日間で当たるにはなかなか手強い「棒」ばかりだったが、これまた別の機会に。今日はこの辺で。