「台湾です!」和久田さん、いいぞ!

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写真はネットから拝借しました


どうでもいいことだが、NHKのアナウンサー和久田真由子さんが朝のニュースに出ていたころの数年間、私は彼女のファンだった。ファンと言っても、毎朝ご尊顔と声を聞いて心の平安を得る程度のことだったが。

私はテレビに出てくる人に対して好き嫌いがけっこう激しい。よくいるテレビの前でグタグタ言っている小うるさいじいさんだ。

いま朝のニュースを担当しているKという人は基本的に好きではない。なんだか信頼できないのだ。話をしたこともないのだが。それと大阪に飛ばされた(のかどうかわからないが)Uというアナウンサーも好きではない。理由はよくわからないが。

話をしたことがある人もいる。ちょっと自慢になるが江崎史恵さんというアナウンサー。仕事の関係で何度か話をし電話もした。この方の声はほんとうに心地よい。一時、スマホの留守電に録音が残っていたのだが、スマホを替えるときに間違って消してしまった。いまだに残念である。

 

NHKの女子アナの話ではない。問題は「台湾」。

和久田真由子アナが、五輪の開会式の司会をする中、国名を紹介するのに「チャイニーズタイペイ」と言わずに「台湾」と呼んだとのこと。

ネットのニュースでこれを見て、快哉を叫んだ。

長年の中国と台湾の関係、政治的なものだけでなく、映画や文学においても台湾独立を志向する人々に私は親和性を抱いてきたし、すでにして台湾は独立国家。中国はまったく別の国として、独立国家として台湾はあるべきと考えてきた。

 

しかし快哉を叫びながら、国家公務員である和久田真由子さんがあらかじめ決められていただろう正規の名称である「チャイニーズタイペイ」を使わずに「台湾」を使ったのはいかなる理由があったのか、気になるところだ。

 

もう一つ、今回の入場順はアイウエオ順だったとか。「チャイニーズタイペイ」はチリのあとに入場するはずだったというのだ。ところが実際には大韓民国のあとに入ってきた。そこで和久田さん「台湾です」とはっきり言った。

 

私は開会式をみていないからわからないのだが、入場順の変更をあえて企図した人物やグループがいたのではないか。その人物と和久田真由子さんは何らかの形でリンクしていると考えるがどうだろうか。

 

この日本において必ずしも「台湾」派が民主的な系列の人たちばかりとは言えない。財界にも政界にも「台湾」派はたくさんいるし、中国嫌いはもっといるだろう。

 

それに日本では「チャイニーズタイペイ」なんて名前はだれも使わない。みな「台湾」である。ある意味、二つの出来事は日本の一般的な常識に従ったものと考えていい。

 

しかし正式には・・・。

 

この問題が、今後何の音沙汰なく終われば、中国は激しい抗議を突き付けてくるだろう。

それにNHKは和久田真由子さんを処分するだろうか。

 

 

ところで和久田さん、彼女は五輪組織委員会森喜朗が、女性軽視の発言をしたときにも仕事上でしっかり発言をしている。この時もこれは珍しいと思った。今年2月のことである。

 

いわく、

「この問題、森会長の辞任で終わりというわけでは無いですよね。むしろ問われているのは今後同じような事があった時にも、黙って受け流さずに自分達の社会をその都度問い直せるか。その努力を重ねて行けるかだと思います」

 

素晴らしいではないか。NHK(だけじゃないけど)のアナウンサーにありがちな、口先だけの世間への迎合的な無責任発言に比べれば、100倍優れている。

台湾です、と和久田さんが言ったのは、偶然でも気まぐれでもなく、彼女の見識のなせる発言ではなかったか。

 

ファンとしては(ほとんど彼女の出る時間帯には私は寝ているので厳密にはファンとは言えないが)、和久田さんいいぞ!である。

いずれは有働さんのように独立するのかもしれない。コマではなく、自分なりの見識をもって発言を続けてほしい。

 

そう、私が一番嫌いなアナウンサー出身は、いま五輪を開いている国の首都の知事をやっている人だ。

この人を見ると思いだすのは、巧言令色、鮮(すく)なし仁、という言葉だ。

 

 

7月23日、一気に五輪翼賛体制に突入か。小中学生見学「コカ・コーラ社製以外のペットボトルは持ち込み禁止で、それ以外はラベルをはがして」。今日につながるろくでもない明日。

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東京オリンピックが、とうとう始まってしまった。

どんな開会式だったのか。東京新聞の一面トップ見出しは、

 

東京五輪 歓声なき開幕」

 

直前まで組織委員会はごたごた続き。消えていった人も多い。

 

「やめるのは簡単」と菅首相

 

簡単にやめられるのなら、すぐにやめればいいだけの話。

やめられない事情があるから、日ごとに大きくなる「中止」の声を無視し、歓声まで取り除いて開幕までごり押ししてきたわけだ。

 

コロナに打ち勝った証し、とはよく言ったものだ。

復興五輪?福島の人たちはハナで笑っている。

 

開催することで高まる医療ひっ迫の可能性。医療従事者に感謝するより、重症化するリスクを減らせ。

 

それでも始まってしまうと、マスコミは一気に五輪翼賛体制に突入する。

 

マスコミだけではない。学校もだ。

サッカーの会場となる鹿嶋市では小中学生限定で観戦することになっているらしいが、

学校から

「鹿島スタジアムに持ち込む飲料はコカ・コーラ製でお願いします」

との通知を出したという。

 

これは、9日に組織委が会場を視察したときに、担当者が各校の教職員に「コカ・コーラ社製以外のペットボトルは持ち込み禁止で、それ以外はラベルをはがして」と発言したのを受けての通知らしい。

 

なさけない。教員は、簡単に走狗になる。

 

市教委は恥の上塗り。

「誤解のある表現だった。市教委が求めたのはラベルをはがすことだけ」

それだって十分おかしいだろう。

 

スポーツは金になる。金にならないスポーツには意味がない。

産業革命によってスポーツの「価値」が見いだされ、政治と金が結びつく。

競争は人々を煽り、人々は競争を煽る。

 

コロナだからやるべきじゃない?コロナでなければやっていいのか?

 

コロナがあろうがなかろうが、「世紀の祭典」はやめるべき。

 

スポーツは人がたくさん集まってやればやるほど、からだに悪いものなっていく。

 

 

57年前の東京オリンピックに強い憧憬を抱く人は多い。

私は5年生だった。体育館におかれたで白黒テレビを見たのを記憶している。

戦後の復興の証とか日本再生の起爆剤とか、みなあとで刷り込まれたもの。

同じころの「三丁目の夕日」が懐かしがられるけれど、まだ人さらいや身売りがあった時代だったということが忘れられている。

 

刷り込みや忘却によってあまやかな思い出はつくられている。

 

そうなっていけないのだと静かに主張する人が57年前にはいた。

 

 

「・・・20年前のやはり10月、同じ競技場に私はいた。女子学生のひとりであった。出征してゆく学徒兵たちを秋雨のグラウンドに立って見送ったのである。場内のもようはまったく変わったが、トラックの大きさは変わらない。位置も20年前と同じだという。オリンピック開会式の進行とダブって、出陣学徒壮行会の日の記憶が、いやおうなくよみがえってくるのを、私は押さえることができなかった。

 天皇、皇后がご臨席になったロイヤルボックスのあたりには、東条英機首相が立って、滴米英を撃滅せよと、学徒兵たちを激励した。文部大臣の訓示もあった。慶応大学医学部の学生が、送る側の代表として壮行の辞を述べ、東大文学部の学生が出征する側を代表して答辞を朗読した。

 音楽は、あの日もあった。軍楽隊の吹奏で「君が代」が奏せられ、、「海ゆかば」「国の鎮め」のメロディーが、外苑の森を煙らして流れた。しかし、色彩はまったく無かった。学徒兵たちは制服、制帽に着剣し、ゲートルを巻き銃をかついでいるきりだったし、グラウンドもカーキ色と黒のふた色ー。暗鬱な雨空がその上を覆い、足もとは一面のぬかるみであった。私たちは泣きながら征く人々の行進に沿って走った。髪もからだもぬれていたが、寒さは感じなかった。幼い、純な感動に燃えきっていたのである。

 オリンピック開会式の興奮に埋まりながら、20年という歳月が果たした役割の重さ、ふしぎさを私は考えた。同じ若者の祭典、同じ君が代、同じ日の丸でいながら、何という意味の違いであろうか。

         略

 きょうのオリンピックはあの日につながり、あの日もきょうにつながっている。私にはそれが恐ろしい。祝福にみち、光と色彩に飾られたきょうが、いかなる明日につながるのか、予想はだれにもつかないのである。

         略

 もう戦争のことなど忘れたい。過ぎ去った悪夢に、いつまでもしがみつくのは愚かしいという気持ちはだれにでもある。そのくせだれもがじつは不安なのだ。平和の恒久を信じきれない思いは、だれの胸底にもひそんでいる。東京オリンピックが、その不安の反動として、史上最大の華やかさを誇っているとすれば問題である。20年後のためにー永久にとはいわない。せめてまためぐってくる20年後のために、きょうこのオリンピックの意義が、神宮競技場の土にたくましく根をおろしてくれることを心から願わずにはいられない。

        (杉本苑子「あすへの祈念」共同通信 1964年10月10日付 

          『文学者の見た世紀の祭典 東京オリンピック』(講談社)から

 

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刷り込みでも忘却でもない自分の足もとから歴史をみようとする真摯さ。

文化勲章なんかもらう人でありながら、この歴史意識はどうだろう。

 

放射能の影響もなかったことにして、日本の夏は過ごしやすいなんて嘘で固めて持ってきたオリンピック。

こうして始まったきょうが、どんな明日につながっているのか、予想はだれにもつかないけれど、ろくでもない明日であることは間違いなのではないか。

 

 

 

7月7日の「室内楽の世界 レジェンドを迎えて」の動画が公開された。

7月7日の「室内楽の世界 レジェンドを迎えて」の動画が配信されているとのこと。

 

ブラームスクラリネット五重奏曲は、客席で聴いた時にはクラリネットが引っ込んでいるように聞こえたのだが、録音ではしっかり聴こえている。自分の耳などあてにならない。

 

 

 

「来ないで、東京」・・・ポリーヌ・ガルシア=ヴィアルドの生誕200年、ピッタリその日のコンサート。19世紀に花咲いた天才音楽家の軌跡

7月18日。昼前に、新規感染者が1000人を超える東京へ二人で向かう。

神奈川も昨日500人超。連日。

神奈川と東京を結ぶ東急田園都市線の急行。ほぼ100%の込み具合。車内に会話をかわす声は聞こえない。それだけが緊急事態宣言下であることのしるし。

「来ないで東京」・・・多摩川を越える。

 

 

表参道で地下鉄銀座線に乗り換え、銀座下車。地上に出ると射るような夏の日差し。つい空を見上げるお上りさん。アタマがくらくらする。三越裏の王子HD ビル。ホール入り口にはそれらしい人が十数人。開場前10分。

 

朝から眼の調子がおかしい。左目に何か異物が入ったような。目玉を動かすとそれに合わせて黒いものが行ったり来たりする。左手ではらおうとするも、払えない。

飛蚊症のようだ。いつか来るとは思っていたけれど。ネットの眼科のサイトには、飛蚊症は加齢によるものがほとんどだが、他の病気との関連もあるので医師の診察を勧めるとある。

 

 

 

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昨年9月、竹内良男さんが主宰するヒロシマ連続講座で、国立音大名誉教授の小林緑さんの講演を聞いた。中身についてはこのブログにも書いた。

「学校の音楽室の後ろの壁に貼られている作曲家の中に女性がいないのはなぜ?」という問いかけから、西洋、日本を問わず優れた女性作曲家のさまざまな曲を演奏も含めて聴かせてもらった。

その中でも一段と優れた作曲家としてポリーヌ・ガルシア=ヴィアルドの名前があげられていた。

きょう、7月18日はポリーヌ・ガルシアが1821年、つまりちょうど200年前に生まれた日。生誕200年記念と言っても、生まれたその日というコンサートは珍しい。

演奏するのはメゾソプラノ波多野睦美さん。現代曲から古典までさまざまなジャンルをうたい続けるたぶん当代随一の歌手。Mさんはもともとこの人のファンということもあって、二人で多摩川を越えることに迷いはなかった。息を止めて行ってこようと。

 

1階ロビーでチケットを見せる。自分でもぎる。

エレベータには案内の女性が乗っている。定員42名のハコに8名しか乗せない。

ホールの定員は315名。きょうの定員は150人程度。

映画館と同じように座席を一つずつ空けるために、座席にA4版の表示が貼られている。図柄など気にも留めずに中央の通路のやや下手側に席をとる。

 

演奏が始まる前に小林緑さんのお話。

ポリーヌに対する並々ならぬ思いが伝わってくる。講演の時にも感じたことだが、研究者として、話したいこと、伝えたいことがたくさん次から次に出てきてしまうので、言葉がそれに追いつかない様子。その熱情、素晴らしいなと思う。小林さんは1942年生まれ、9月の講演もわずかな休憩をはさんで3時間を話しきった。

 

ピアノは山田武彦さんというピアニスト。私は知らなかったがこの方も大変な手練れ。いつも思うことだが、この国にはどれだけピアノのうまい人がいるのだ、と。

 

前半で印象に残ったのは、ショパンマズルカ嬰ヘ短調を山田武彦さんが弾いた後に、この曲を独唱用にポリーヌが編曲したものを波多野さんが歌うというシーン。

単なる編曲というより、もともとがピアノ曲とは思えない「うた」に変貌している。

つづいてポリーヌのオリジナルの「マズルカ」が演奏されるが、ショパンのものとくらべてもまったく遜色がない。

それと「子と母ー対話」。まるでシューベルト「魔王」の母親版。解説によると、ポリーヌが最も重要視してた作曲はシューベルトだった。当時のフランスではあまりなじみのなかったシューベルトの代表曲50曲を選んで出版したのもポリーヌ。

対話形式は同じだが、「魔王」のおどろおどろしさはなく、最後に子は亡くなっていくが穏やかな母の愛がうたわれる。

 

後半も小林さんのお話から。と言っても、前半で話したりなかった点の補足がいくつも。

初めて知ったことだが、ポリーヌは1855年のロンドンツアーのおりに大英博物館からの打診にこたえてモーツアルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」の自筆総譜を購入したという。大変な金持ちでもあったのだが、ポリーヌの功績は「ドン・ジョヴァンニの総譜をまもったこと」に限定する研究者の発言に対し、小林さんは見当違いも甚だしいと指摘。数十年にわたるポリーヌの演奏家、作曲家としての才能の開花が正当に評価されないことがおかしいのであって、ポリーヌが1839年からオペラ界に進出、10年後にはベルリオーズをして「彼女こそ古今最大の芸術家だ」と言わしめたことを紹介している。

ショパン、その妻ジョルジュ・サンドとの交流をはじめ夫ルイ・ヴィアルドを介して広がるきらめくような人脈の広さとロンドンツアー、ロシアツアーなど演奏家としての手腕に加えて作曲家としての大作品群、どうしてこれだけの人が歴史に埋もれてしまうのだろうか。

19世紀、欧州でも日本でも女性の地位は低く、さまざまな才能は正当に評価されなかった。一時代を築いたかに見えるポリーヌでさえ、歴史の中に埋もれさせられてしまう。女性がまともに権利を獲得していく闘いに立つのは、欧州でも、たとえばイギリスのサフラジェットの運動が始まるのは19世紀末。日本で金子文子が大逆罪で死刑になるのが1923年のことだ。

 

後半も「自由こそ!-小姓の歌」「君を愛したい―愛の小唄」でおわる。どれも決して長くはないが、印象の強い歌曲。波多野睦美さんが歌うと、なんだか19世紀のサロンでポリーヌが歌っているような、そんな雰囲気を感じさせる演奏。

 

最後にプログラムの中の一枚の絵について話される。

ポリーヌは絵もよくした人だそうで、自画像が一枚。虫にさされマスクをつけている自画像。

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コロナ禍のなかでのコンサートということで、この絵がA4版で150枚印刷され、一席空くごとに貼られていたことに、この時に初めて気づく。

 

「ポリーヌからのお願い。安全間隔確保着席禁止」

 

驚いたのはそれだけでない。「裏をご覧ください」と小林さん。

なんとそこにはアンコール曲「カディスの娘たち」の歌詞が印刷されていた。

 「ぜひお持ち帰りください」。粋な計らい。

 

クラシックのコンサートでは、演奏者が肉声で話すことは全くないことが当たり前のようになっているが、演奏者自信が演奏にあたって感じていること、考えていることを話すシーンがあってもいいではないかという小林さんの提案で、アンコール後にお二人が話す。

 

波多野さんの第一声を聴いてぞくっとした。歌う声は今までずっと聴いてきたのに、話す声として聴くと全く違うようなのだ。馥郁という言葉が浮かんだ。

この声に近い声は、いつだったか県立音楽堂で演奏後にCDにサインをもらうために並んだ時、歌手の「ありがとう」のひとことを聴いた時のことだ。ナタリー・シュツットマンのわすれられない声。どちらも魅力的な低音だ。

 

山田さんは、軽々と弾いているかに見えたのに、実は技巧的にはポリーヌの曲はとっても難しいのだということを話してくれた。そう感じさせないのが演奏家のすごいところ。

最後に山田さん

「ひとつサプライズを用意してきました。波多野さん、前半の最初の曲「こんにちは、わが心」をうたってもらえますか」。

 

うたいだす波多野さん、嬉しそうに伴奏する山田さん。複雑な音型が続いているうちに、なんとそこから「ハッピーバースデー」のメロディが浮き上がってきた。なんともとってもしゃれた編曲。

 

息をつめて多摩川を越えてきたが、演奏者に対してだけでなく、聴衆に対してもさまざまな配慮の行き届いたコンサートだった。

 

ポリーニは、1896年にジャポニズムの大流行の時代、「日本にて Au Japon」と題するパントマイム付きピアノ作品を作曲、上演されたという記録があるという。

小林さんは、ポリーニが出版に先立って楽器パートなどを書き足したポリーニの自筆コメント付き楽譜を入手、それに基づいて『ポリーヌのジャポニズム観-パントマイム”日本にて”をめぐって』という論文をものしたという。

 

「現下のオリ・パラ狂騒にも耐え抜いてこの国が存続するのであれば、何とか、(全曲上演)実施の可能性をさぐっていきたい、と考えている。/いずれにしても、ポリーヌの音楽は演奏家としての現場感覚が貫かれ、かつサロンのような親密な場で美質が生きる作品ばかりだ。コンサート・ホールやオペラ劇場といった公共の大空間に押されて衰退したサロン文化の再評価こそが、彼女のような存在の復権につながる最良の方法と確信する。それはまた、既得権益に群がる日本の支配層の現状の見直しに対する、音楽界からのアピールともなりうるのではないだろうか。」(プログラムから)

 

こういう視点、貴重だと思う。

 

 

 

 

 

 

『戦場のメリークリスマス』4K修復版を見てきた。やっぱりつまらなかった。

あした、土曜日。

『ファーザー』と『茜色に焼かれる』の2本を見る予定。久しぶりに楽しみな映画。『茜色に焼かれる』は2時間30分。邦画としてはかなりの長尺。

で、備忘録を終わらせておかないと、ときょうは4本目の備忘録。

 

戦場のメリークリスマス』(1983年/123分/日本・イギリス・ニュージーランド合作/原題:Merry Christmas Mr. Lawrence/監督:大島渚/出演:ビートたけし 坂本龍一 デヴィッド・ボウイ トム・コンテイ 内田裕也/4K修復版/日本公開2021年4

月)

 

 38年前に見た。つまらなかった。高尚な映画をつくる大島渚の作品。意気込んで見に行ったが、ちっとも面白くなかった。当時私は30歳。たけしも坂本龍一も演技はひどい。ストーリーも思いつきっぽく深さがない。なんだか何かありそうな雰囲気だけはあるが、たけのこからっきょうのようで中身がないと38年前に思ったことを覚えている。

30年近く経って少し賢くなったかもしれない自分が見たら、何をどう感じるかと楽しみに見に行った。同じだった。つまらん。この映画のどこが新しくてどこが面白いのか、誰か教えてほしい。教えてもらってもわからないと思うけど。結局、私も30歳からあまり変わっていないということか?

要するになんだな。西洋とアジア、とりわけ日本との違いと共通点を軍隊とか学校を使って表そうとしているようだけど成功しているとは思えない。よくわからないのはハナからヨノイ大尉(この名前はイメージがある)とセリアズ大佐の間にホモセクシャルな関係が埋め込まれていること。

ひとりとして女性が出てこない稀有な映画だが、男色に対する過剰な思い入れが先にあって、そこに理屈をむりやりあてはめようとしているとも思える。

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ウィキペディアには

日本人がメガホンを取った戦争映画ながら、表面的なメッセージ性は薄い。しかし、日本軍の捕虜への待遇[37]と、その根底にある日本独特の「武士道」、「神道仏教観」や「皇道派二・二六事件」、明治以降の日本人が抱いた強い欧米への劣等感と憧憬[37]、そして、欧米人・日本人にある「エリート意識・階級意識」、「信仰心」、「誇り」、「死と隣り合わせのノスタルジア」(弟の歌う 「Ride Ride Ride」の曲にのって描かれる、故国の田園居宅の「バラ」)などがより尊く描かれ、また、それを超えた友情の存在とそれへの相克がクライマックスにまで盛り上げられていく。

また、後期の大島作品に底流する「異常状況のなかで形作られる高雅な性愛」というテーマも、登場人物らの同性愛的な感情として(婉曲的ながら)描写されている。

 

などと書かれているが、成功しているとはいいがたいのではないか。

唯一、内田裕也がきりっとした正攻法の演技をしていて、見た目がとっても美しいのに驚いた。

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   中央が内田裕也

『ブータン山の教室』(2019年/110分/ブータン/原題:Lunana: A Yak in the Classroom/脚本・監督:パオ・ジョニン・ドルチ/出演:シェラップ・ドルジ ペム・ザム/日本公開2021年4月)標高4800メートルの高地ルナナ、「ヤクにささげる歌」をうたう村の若い 女性セデュは「わたしはここにいる」という。

またまた映画備忘録 7月15日 kikiで。

ブータン山の教室』(2019年/110分/ブータン/原題:Lunana: A Yak in the Classroom/脚本・監督:パオ・ジョニン・ドルチ/出演:シェラップ・ドルジ ペム・ザム/日本公開2021年4月)

人口70万人のブータンには、映画館は首都ティンプーに一つしかないという。この映画が上映されるのは、ホールのようなところでパソコンとプロジェクターを使って行われるそうだ。この映画をみるために4日間かかって首都に出てきた家族もいたという。

 

ミュージシャンを夢見る若い教師ウゲンは、ブータンで最も僻地にあるルナナ村の学校へ赴任するよう言い渡される。1週間以上かけてたどり着いた村には、「勉強したい」と先生の到着を心待ちにする子どもたちがいた。ウゲンは電気もトイレットペーパーもない土地での生活に戸惑いながらも、村の人々と過ごすうちに自分の居場所を見いだしていく。

                     映画ドットコムから

 

このウゲンという学生は、教職課程で学んでいるのだが、全くやる気がない。毎晩クラブで遊び、祖母にいつも叱咤されている。ウゲンは教員にはなりたくないし、オーストラリアに行って歌手になりたいのだという。

あまりのやる気のなさに教育庁長官?に呼び出され、ルナナという村の教員をやって来いと命じられる。教育実習のようなものか。この辺の仕組みが面白い。期間は冬が来るまでの数か月間のこと。

ルナナ村まではなんと8日間かかる。近くの町まで村の若者が二人迎えに来ている。彼らと一緒に1泊目は人口3人の村、つまり人家族しかいない村に泊まる。主人は靴も履いていない。2泊目から3人ははテントでキャンプを繰り返しながらルナナに向かう。

ルナナは標高4800㍍、人口56人の村。教員が赴任して来てもすぐに帰ってしまう村だ。

 

村長は「先生は未来に触れられる」と云う。子どもたちの教育を一番と考える村人にとってウゲンは希望そのものなのだが。

ウゲンは着いたその日に「ぼくにはできません」と村長に伝える。周囲は憤慨するが、村長は「本人がそういうのなら仕方がない」と数日後に村を離れる準備を指示する。

 

ここまで、ウゲンは世界中どこにでもいるヘッドフォンをいつも耳にしている若者。どこか遠くに自分の幸せがあると信じているが、努力をしようともしない普通の若者だ。

 

8日間の赴任の旅も、トイレットペーパーを使わない村の生活も、ことさらには描かれない。ただただブータンの高地の素晴らしい景色と山の人々の歌にひきこまれる。

 

思慮深い村長との出会いの次は、子どもたちだ。

次の日、寝坊したウゲンのところに級長のペム・ザムがやってくる。寝ぼけ眼のウゲンの目に映るペム・ザムの表情がなんとも言えない。「輝く」というのはこういう表情のことを言うのだろう。

ペム・ザムはルナナに住む子どものようだ。ほかの子もすべて。村人のほとんどもエキストラ。ブータンには映画の学校も俳優養成所もないのだから当たり前なのだが。

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ウゲンが変わり始める。と言って何か劇的なことが起こるわけではない。子どもたちが自分を見つめる目に圧倒されながら。

ウゲンは一人ひとりに「大人になったら何になりたいか?」と訊く。

「先生になりたい」とこたえる男の子がいる。

「なぜ?」とウゲン。「先生は未来に触れられるから」。

 

いつのまにかウゲンは、壁に字を書き、そして黒板を手づくりし、友達に教材を送ってくれるよう頼む。ボールやギターが届くころには、ウゲンはすっかり村の先生になっている。

この辺はとってもシンプル。ウゲンの表情が首都にいる時と全く違って見える。そのバックにはいつも4800㍍の大自然がある。

 

「ヤクにささげる歌」を歌う村の女性セデュに歌を習ううちに、ウゲンはセデュに恋心を抱き始める。

 

ウゲンはセデュに「ティンプーに来ないか」と誘う。

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セデュは即座に「わたしはここにいる」と穏やかに微笑みながら答える。このシーンがいい。

 

セデュはウゲンの教室に一番年齢の高いヤクを預ける。驚くウゲンに「教室で飼えばいい」とセデュはいう。

ヤクの糞は乾かせば薪の代わりになる。セデュもまたウゲンに思いを寄せ始めている。

 

原題は、「ヤクのいる教室」か。

 

村長は冬が来るとウゲンに伝える。

何もなくなる村からいったん離れて首都に戻り、また来春来てくれないかと村長。

しかしウゲンは「ぼくは遠いところに行くつもりだ。海の向こうの」。

 

別れに際しても感情的なやり取りやハグなどもない。子どもたちからは手紙、セデュからはマフラーをもらう。来るときには途中にあるケルンに目を背け、祈りも下げなかったウゲンが、自分から祈りをささげる。このシーンも壮大でいい。

 

ラストシーンはシドニーの酒場。ギターをもって歌うウゲン。誰も聴いていない喧騒の中でウゲンはギターを下ろし、歌うのをやめる。

バーテンから「金を払ってんるんだ、ちゃんと歌え!」と罵声が飛ぶ。

沈黙するウゲン。何事かとウゲンを見る客たち。

ウゲンはギターを置いて静かに「ヤクにささげる歌」を歌いだす。

 

このラストシーンとセデュの「わたしはここにいる」がつながる。

ブータン人がブータン人のために作った映画。急速な現代化がブータンを覆い始めている。ネットもスマホも若者には必須アイテム。しかし求めるものの先にあるものが自分をほんとうに充足させてくれるとは限らない。

映画は声高に主張しないが、村長やペン・ザム、そしてセデュと交差するウゲンの中に生まれる小さな種のようなものに監督は希望を見出しているのだと思う。

 

云われるほど単純な教育的な映画ではない。グローバル化から逃れられない途上国の問題を提起しながら、「それであなたたちは?」と問いかけてくる映画。

とにかく「うた」が素晴らしい。一見、一聴の価値あり。

 

『椿の庭』(2020年/128分/日本/監督・脚本・撮影・編集:上田義彦/出演:富司純子富司純子・シム・ウンギョン・鈴木京香・チャン・チェン/公開2021年4月)映画の中心は、そうした一つひとつの家具、これが本当に素晴らしい。また部屋のしつらえ、配置なども。そして季節が変わるごとに表情を変える庭。気がつけば、富司純子演じる絹子さんもまたその一つとなって見つめられ、消えていく。対照的なのは孫娘の渚のシム・ウンギョン。枯れて消えていく家と庭と絹子さん、それに巻き込まれていくかに見えながらそこからすっくと立ちあ

映画の備忘録

7月6日

『椿の庭』(2020年/128分/日本/監督・脚本・撮影・編集:上田義彦/出演:富司純子富司純子・シム・ウンギョン・鈴木京香チャン・チェン/公開2021年4月)

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最初の5分みて、ラストまでもつかな?と思った。写真家らしいという言い方が適切かどうかわからないが、かなり思い入れのある映像が続いたからだ。

 

庭に椿が咲き誇る一軒家。長年連れ添った夫を亡くした絹子は、夫と子どもたちとの思い出が詰まったその家で娘の忘れ形見である孫娘の渚と暮らしていた。夫の四十九日を終えたばかりの春の朝、世話していた金魚が死んでしまう。金魚は椿の花で体を包まれ、庭の土へと還っていった。庭に咲く色とりどりの草花から季節の移ろいを感じ、家を訪れる人びとと語らいながら、過去に思いをはせながら日々を生きる絹子と渚。

                         映画ドットコムから

 

ストーリーはないに等しいし、ストーリーを追っても何も見えてこない。

長い間住んだ家と庭、一つひとつの事物が夫婦の人生。レコードプレーヤーから流れる

ブラザースフォアの「トライ トゥ リメンバー」から二人の時代がわかる。

映画の中心は、そうした一つひとつの家具、これが本当に素晴らしい。また部屋のしつらえ、配置なども。そして季節が変わるごとに表情を変える庭。気がつけば、富司純子演じる絹子さんもまたその一つとなって見つめられ、消えていく。対照的なのは孫娘の渚のシム・ウンギョン。枯れて消えていく家と庭と絹子さん、それに巻き込まれていくかに見えながらそこからすっくと立ちあがってでていく清冽さのようなものがこの役者の特質だと思う。

『サニー 永遠の仲間たち』(2012)『怪しい彼女』(2014)「新感染 ファイナルエキスプレス』(2017)『新聞記者』(2019)『架空OL日記』(2019)とみてきたが、存在感が増していると思う。いい役者だ。

富司純子はもういうことなし。絹子さんではなく、純子さんそのもの。76歳。着物と立ち居振る舞い、凄みを感じさせる。

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ただ、チャン・チェンをあえて出演させた理由がよくわからない。

チャン・チェンは15歳の時にエドワード・ヤン監督の『ク―リンチェ少年殺人事件』に出ている。1991年につくられたときには見ておらず、2017年にデジタルリマスター版でさ再映になったときに見た。236分、むずかしいところもあったが、唸った。チャン・チェンは印象的。それ以後、台湾のトップスターとなるが、見たのはこの映画が初めて。彼でなければならなかった理由があるのだろうが、私にはわからない。

明らかに外国人である彼が税理士であり、田辺誠一不破万作に売買を持ち掛け、上手に使い続けてくれると絹子さんには言いながら、実際には家は解体されてしまう。

世間ずれしていない税理士、彼がこの映画の独特の雰囲気をつくりだしているということか。

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ラストまでもつかな?と書いたが、引き込まれた。

ただ、最後の家の解体場面やバスのシーンなどいるのかなとも。金魚のメタファーも少し入れ込みすぎのよう。でも、でもだ。悪くない映画だ。忘れにくい映画だ。

 

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