戸車(2) 軽く触れればスルスルと。

我が家の戸車をめぐるもろもろの問題が、解消した。

 

今夕、近所に住む手作り家具工房を営んでいるISさんが、来てくださった。

 

時間にして3,40分だったろうか。

 

今、我が家の洗面所のドアは、自動ドアとまではいかないが、軽く触れればスルスルと動くまでに回復した。富山の豪雪を潜り抜け、一時は配送センターに滞留しながらも、横浜までたどり着いた二つの戸車が、快調に回転を繰り返している。

 

解決の兆しはあった。

 

昼間、ネットを見ているときに、戸車の広告が突然現れた。例のネットの先読み?機能で、検索したものを勝手に類推して商品を提示するヤツだ。

 

クリックすると、富山から届いたものとよく似た商品が。

さらにクリックすると、調整方法が詳しく載っているではないか。

何の意味があるかと気にも留めていなかったボルト2本。上下調整±3㎜左右調整±2㎜。実はこのボルト、立て付けの調整用ねじだったのだ。

 

動きが悪かったのは上下の調整がうまくいかず、車が中に入り込みすぎて、ドアが床を擦っていたのだ。

 

知っている人からすれば、そんなことも知らないで取り付けていたのか?と言われそうだが、知らなかった。

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ISさんが、「ほら、ここに上とか下とか書いてあるでしょう?」

 

これは本来、ドアを閉めたときに隙間があかないように調整するためだそうだ。

 

そんな字は私には見えなかった。汗で目が曇っていたのか?

 

ISさん、何度かドアを外して調整すると、あ~ら不思議・・・。

 

要するに私が戸車の構造を知らなかっただけなのだが、では知っていたらISさんのお世話にならずに済んだのかと言えば、そうではない。

 

ISさんは私のことを慮って指摘をしなかったが、実は取り付け方が逆だった。

調整ねじが内側に来て、調整不能の形に取り付けていたのだ。

 

なんとも、なんとも。素人とも言えぬ所業。恥ずかしい。

 

しかし、人生のたそがれ時になってようやく手にした戸車の知識だが、これから一度でも使うことがあるだろうか。

 

偏屈と人嫌いはいよいよ高じるばかり。

 

「うちのドアがあかなくなったんだけど・・・」なんて近所の人が親しく相談してくれそうにはない。

 

宝の持ち腐れである。

 

いやいや、これからは困ったときのISさん。

どうやら私は貴重な宝を手に入れたらしい。

戸車(とぐるま)

戸車で困っている。1週間前から。

 

戸車という言葉、ほとんど使ったことがない。

 

洗面所の引き戸についている二つのクルマ。

何もなければ存在すら意識しない戸車というもの、”とぐるま”と読む。

普通の人はよく知っているものだろうか。

 

なんだか聞いたことはあるような気はするが、あまりかかわったことはない。

 

影の車』は松本清張だった。加藤剛岩下志麻だったか。懐かしい。岩下志麻、最近みかけない。

 

このところ、なんだか動きが悪いなと思っていた。

すーっと、ころころと滑らない。調子のいい時は勢いがつきすぎて手をはさみそうになる。ドア自体かなり重いからけがをしそうになる。

 

こんなはずはない。

時々、さび止めなどを指すところころと動くようになるのだが、今回はその手は功を奏さない。

掃除機でほこりを吸う。

これもダメ。

外してみることに。ドアの高さが190㎝以上ある。縦にするのも横にするのもやっかい。

 

二つのうちひとつをドライバーで外してみる。

 

初めての顔合わせ。

 

針金や楊枝で掃除をしてみる。確かにほこりは出てくる。

よく見てみると、車の部分が少しへこんでいるように見える。

一方の車と比べてみるとたしかに。

 

表面にはDAIYASUと書いてある。メーカー名だろうか。まさか京都の漬物屋ではあるまいに。

 

型番のようなものの記載はない。数字はあるが、

「OCT 01 2002」

とあるだけ。生産された日付。

そんなものより型番は?

ない。

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カインズホームへ向かう。

戸車と書いてあるコーナーがある。同じものを探すが、みつからない。店員に聞いてみる。

「うちでは扱っていませんね」

コーナンに向かう。

結果は同じ。

 

洗面所のドアは風呂に入るには必需品である。夏なら開けっ放しでも何の問題もない。

冬は、小さな電気ストーブを置いているが、ドアが閉まらなければ寒さを防ぐのにほとんど役に立たない。

 

「ちゃっちゃと脱いで洗濯機に放り込み、風呂場に入っちゃえばいい」とMさん。

いつもの大胆な発言である。

それはそうなのだが。最近、とみに動きが遅くなっている。考え込んだりはしていないが。

 

そのうちにMさん、キャンプの時に寝袋の下にひく銀色の、なんというのか、折り畳みの敷物を上からつるすという。ドアに比べると効果は薄いが、少しだけ寒さがしのげる。

 

 

互いにネットで戸車探しを始める。

同じものがなかなか見つからない。

 

2002年のものは普通は廃番になっている。メーカーってそういうもの。

でも、同じものはなくても代用できるものは作っているはず。

それでもみつからない。

 

そこで専門店の問い合わせ欄に事情を書いて、廃番となったもののその代用品はないだろうかとメールを打つ。あとは返事を待つだけだなと思っていると、

Mさん。

「富山にあるって!」

 

富山の金森商店というお店。

HPに出ている写真の縦横幅のサイズと形状をこちらの現物を弾き比べてみる。

たしかに。まちがいない。

これは使えそう。よく見つけたものだ。

 

早速ネットで注文。これで解決かと思っていると、

 

「豪雪のため、商品の輸送が動いていません」

 

というメールが入る。

 

5日前である。

 

「雪じゃしょうがないね。待つしかないよ」。

 

私は存外あきらめがいい方だ。

 

おとといになって、スマホを見ていたMさん、

 

「今、富山の配送センターにあるって」。

 

 

さっきお昼ごろ、品物が届いた。雪にも負けず小さな包みが富山から届いたのだ。

日本の物流は優秀。

 

さっそく、取り付けてみる。

約1時間。何度もドアをレールに乗せてみるが、カラカラとは動かない。

原因不明・・・と言ってもたぶん簡単な物理的な問題なのだろうが。

 

顔を見合わせて、「こりゃ大工さんに頼むしかないな」と昼食づくりを始める。

こっちのほうがどちらかと言えば大工仕事より得意。

 

Mさん、思い立って、近所の手作り家具工房を経営している友人にメール。

Mさんは近所に知り合いが多い。誰にでも気安く挨拶をする。年をとるごとに人当たりがよくなる。

私は近所に知り合いあるいは親しくしている人っていない。

挨拶をするだけの人はいるが、話し込んだり、酒を飲んだりはしない。

引っ越してきて10年を超すのに、いまだにともだち一人できない。年をとるごとに偏屈、人嫌いになっている。

 

さきほど、友人様から返信のメールがあったとのこと。

あす、家具職人のダンナさんが見に来てくれる。ありがたい。

 

戸車の悩みはいよいよ2週目に入る。

 

 

 

 

 

 

 

寡作の小説家松家仁之を読む。『火山のふもとで』『光る犬』『優雅かどうか、わからない』『沈むフランシス』

ここ二日間、曇天。明るくなりきらないうちに歩き始め、薄日が差してくるのも悪くない。

4,5日前の早朝、北の方角から飛来して西に旋回するサギの羽の裏に、明け切ったばかりの陽光があたった。紺碧の空に一瞬の黄金の輝き。

珍しいシーン。サギの群れはところによっては公害そのものというが、2羽3羽と飛んでくると、優雅な動きに目が惹きつけられる。

 

『火山のふもとで』(松家仁之・2012年)。f:id:keisuke42001:20210117171217p:plain

2013年の読売文学賞作品。ずいぶん話題になったらしいが、つい最近までこの作家の名前すら知らなかった。

 

去年、紹介されて『光の犬』(2017年)を読んだ。物語のつくりと端正な文章にひきこまれた。なつかしいけど新しい、そんな小説だった。f:id:keisuke42001:20210117171341j:plain

12月に『優雅かどうか、わからない』(2014年)を読んだ。タイトル、装丁ともに意表をついている。小説としての結構が際立っていて、正直手のひらの上でごろごろと転がされた感じ。

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そして『火山のふもとで』。

面白かった。舞台は80年代。メモを取って少しだけ文章を引き写した。

 

 

今、『沈むフランシス』(2013年)に手を付けている。先を急がない。ゆっくり読む。久しぶりの読む愉しみ。

 

刊行されている松家の小説はこの4冊。

 

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松家は新潮社でクレストブックスをつくった人だそうだ。

納得である。

 

中古ミニDV用カメラ、不具合なり。残念。  

 

土曜日、外気温の最低が0.8℃。散歩途中にある新しくできたポンプのある小さな池が結氷。

Mさんが、毎日のように足で割ってみている。

金曜日は1㎝ほどの厚さだったのが、土曜日は1.2㎝ほどに。

 

どこでの観測なのか、日曜日の新聞には土曜日、瀬谷区はマイナス4℃だったとある。ずいぶん差があるものだ。

 

拙宅の外気温は、北側にある部屋の窓格子に掛けてある計測器からBluetoothで室内の寒暖計に送られてくる。

居ながらにして外の気温が確認できる。

別に何か必要があって設置しているわけではない。単なる温度好きが高じた結果に過ぎない。雪国出身の寒がりが、外の気温をこわごわと知るのには便利なもの。

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感染者の数はこの数日、漸減傾向だが、重傷者が入院できず取り残されている。

神奈川では海老名の病院で規模の大きいクラスターが発生している。

 

感染者がずっと少なかった3月~5月は、学校が全面的に休校。今回は大学はともかく小中校はほとんど普通にやっている。ちぐはぐである。

 

 

思案中だったハードの問題。

 

思い切ってミニDVテープを使うビデオカメラをネットで購入。出回っていたのは2005年前後のころ、今はもちろん新品はまずない。ミニDVテープはまだネットで販売されているが。

 

注文すると次に日には届く。

お店は〇〇ヤフー店。Amazonの梱包。

 

使用感は少しあるが、説明書から広角レンズ、接続コード、リモコン、編集用ソフトなどすべてそろっている。

 

使ってみる。懐かしい画面が再生される。出し入れを確認するために別のテープを入れようとすると「テープを取り出してください」の表示。何度やっても同じ。使えず。

 

中古だとは言え1万円を超す一応「商品」。

販売元へメールを出す。

 

次に日には返信あり。

丁寧な文章で、「中古品ゆえの不具合と思われるので全額返金します。商品は申し訳ありませんがそちらで処分してください」とある。商品そのものは不具合だったが、品物の質や梱包、メール対応などは申し分ない。同じショップに同じ商品が同じ値段で並んでいる。

再注文するか、悩むところである。

 

HDのビデオカメラで撮ったのはこの10年ほど。それ以前、85年ころからの25年分。 あったことを忘れてしまえばそれはそれでいいのだが、ソフトが残っていると、再生してみたくなる。 さてどうしたものか、思案中である。

今日8日から、緊急事態宣言が効力を発行する。

午前中、グランベリーパークの郵便局に出かけたが、人出はかなり少なめ。スタバの窓際の席には人影がなかった。

 

営業時間変更のお知らせが出ている。食料品のギャザリングマーケットが10時始まり以外は、ほとんどのお店が11時~20時。

 

今朝の新聞に

「コロナ失職8万人超」の記事。

数字は厚労省調べ。企業には一定規模のリストラをする際にはハローワークへの届け出が義務付けられているとのこと。

都市部で雇用への影響が大きいと記事はむすんでいるが、この数字は実態を表しているとは言えないだろう。

小規模のリストラや、中小零細の事業所や飲食業などのパート・アルバイト、非正規労働者の雇止めはこの数字には入っていないのではないか。

 

再度の非常事態宣言によって、食えなくなる人たちはさらに増えていくだろう。国は失職の実態をどんな形で把握するのだろうか。失業率を正確に出すためにどんな方策があるのか。

 

囲みの記事にしかなっていないが、国会議員の会食について与野党でルール作りを始めようという記事が目についた。

12月にガースーらのステーキ会食の問題があり、それに続いて何件も議員の会食が取りざたされた影響なのだろうが、朝日はこれを淡々と報じている。

 

国民に対して強く自粛を要請していながら、自分たちの会食について「夜8時まで・4人まで」などルールづくりを、という発想がどれだけオタンコナスなことか、与野党と朝日ともにわかっていない。

肚が立って仕方がない。

一般の人々は、相応に必要な用事すらみな先延ばししたり取りやめたりしているのではないか。病院の経営が苦しくなっているのは,私も含めて老人らが病院から足を遠のけているからだ。

国会議員だけが、夜に集まって会食しながら話をする。それがどうしても必要緊急なことなら早朝に集まってやればいいではないか。ORIGAMIで5千円もする朝食を食べなくてもいい。議員会館の会議室などいくらでも空いている。

 

自分たちのためのルール作りをする前にやることはいくらでもあるだろう。

 

 

医師会長が

「人数にかかわらず全面自粛にしてはどうか。国会議員に範を示していただきたい」と語ったというが、

この話、6日には話はまとまらず、7日再び衆議院議運で協議、結果、ルール作りは取りやめ、になったという。

自分たちの愚かさが見えないのだろうか。

 

こんな時期に国会議員がこんなことをやっている国、お笑いにもならない。

 

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久しぶりにそばを打った。これで2人分。多すぎた…。

2021年がいつの間にか始まった。

Mさんと二人で(+らい)ささやかなおせち料理をつくり(らいはまな板から落ちてくるえものを待っているだけだが)、そばを打ち、静かに過ごした1週間。

本を読んで、映画を見て、酒を飲んで、何をしてもすぐに眠たくなる…。嗜眠とまではいかないのだろうが。

 

レコードをよく聴いた。

 

60年前に購入したイ・ムジチの2枚組のレコード。

ビバルディの「四季」とモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」などが入った2枚組。ソリストはフェリックス・アーヨだから初代?のイ・ムジチ。しっかりした箱に入っている。フィリップスレコード、2200円。当時、たくさん売れたレコードではないか。

高校2年生。はるかかなたの時間がよみがえった。

 

大好きだったエリック・ドルフィーも。

CDとは明らかに違う音。つやというかやわらかさというか。

 

この際だからと、ハードのほうの骨とう品を確認してみた。

 

DenonのLD(レーザーディスク)のデッキ。大きなLDのディスクをトレイにのせると、すっと入っていくのだが、すぐまた出てきてしまう。読み取らない。

 

ソニーの8ミリビデオとVHSのダブルデッキ。VHSは何とか映るが、8ミリのテープははじめこそ再生できたがそのうちに出てこなくなった。86年の家族旅行が映っていた。

 

8ミリの次に買ったミニDV、8ミリビデオのテープよりひと回り小さいもの。このテープもたくさん残っている。カメラを探す。捨てた覚えはない。見つからない。

 

いつのまにかハードディスク用のカメラを使い、CD-ROMに記録するようになっていた。最後の日付は2010年。

 

最後にMDを試してみた。これは聴けた。しかしソフトは数えるほどしかない。

MDの命は短かった。

 

メーカーは製造から10年も過ぎればほとんど修理には応じない。ソニーのデッキは96年製。量販店に持ち込み断られた。ネットには同じ機種が出ている。LDもミニDVカメラもかなりの数が出ている。

 

 

 

あとはネット上にある修理専門店に修理を依頼するか、ソフトをCDデイスクに変換してくれるサービスを利用するか、いずれかの方法。

 

ソフトのほとんどは、レコードはCDに、LDはDVDになって出ているが、8ミリのテープやミニDVテープは、私的な映像のみ。

HDのビデオカメラで撮ったのはこの10年ほど。それ以前、85年ころからの25年分。

あったことを忘れてしまえばそれはそれでいいのだが、ソフトが残っていると、再生してみたくなる。

さてどうしたものか、思案中である。

 

 

 

「撤退の時代だから、そこに齣を置く」赤坂憲雄

2020年の大みそか。快晴。

境川河畔、今朝は、10数羽のカモの群れの中、2羽がけんかするのを見かけた。水の上をスーッと静かに滑って行くカモには、諍いなど似合わないから、激しく羽をたたき合う姿にすこし驚いて足を止め、しばしその様子を見ていた。

 

今日の朝日新聞「かたえくぼ」は、

 

『大晦日』 昔ーおおつごもり  今ー大巣ごもり  (柏・ほのぼの)

 

気ぜわしさのない暮れである。

いつもなら長女が家族で来ていて、元旦には次女が家族で訪れるのが恒例のようだが、

今年は誰も来ない。二人だけ、いや二人とチワワ一匹である。

 

朝日新聞一面の「沢の鶴」の広告

 

天声人語の右側(字が小さいのである)

  

   マスクさん、ありがとう

   アルコール消毒さん、ありがとう

  うがい薬さん、ありがとう

  病院のみなさん、ありがとう 

 

沢の鶴もつまらん広告を出すものだ、と思った。

 

天声人語の左側にもう一つあった。

 

  ごめんなさい。マスク忘れたコト、ありました。

   ごめんなさい。うがい忘れたコト、ありました。

     ごめんなさい。手洗い忘れたコト、ありました。

 

はいはい、そうですか、と思った。

ところがここでどんと沢の鶴のロゴ、米印。

 

                    

 

最後の1行

      ごめんなさい。お酒だけは忘れず飲みました。

 

 晦日

 ※のマークの沢の鶴で。

 

何度も云うが、字が小さいのである。控えめなところ、いい。

 

私は、マスクもうがいも手洗いもよく忘れる。

しかし酒を飲むことは忘れない。いや、忘れるとか忘れないとかいう記憶の問題ではない。しっかりと内在化しているから、からだのほうが勝手に動いてしまい、気がつけば呑んでいるのである。目立たぬように控えめに。    ☞「いやいや」。 だれ?

 

いい広告だと思った。

 

閑話休題

福島に住む Iさんが、「図書」の1月号に掲載された赤坂憲雄氏の文章をメールで送ってくださった。

 

「・・・現状認識とこれから、に資するところがありそうなので情報として添付してみます。」

とあった。

 

赤坂氏の現状認識と新たな闘争宣言と読めた。

私は民俗学など全くの門外漢ではある。彼の著作は若いころの『排除の現象学』とわずかな一般向けの民俗学関係の本しか読んでいない。

それなのに、この文章はぐいぐいと内部に響いた。

漫然と日々を送っている者には、彼の厳しい現状認識は強くしなるむちのようでもある。

読者の皆さん、お時間があればぜひ読んでいただきたい。

ちなみに赤坂氏は1953年生まれ、唯一私と共通する点である。

 

 

 

往復書簡

ことばをもみほぐす 18

撤退の時代だから、そこに齣を置く

 

藤原辰史さま

                              赤坂憲雄

 

 早いものですね。わたしから藤原さんへの、これが最後の返信であり、往復書簡の締めということになります。その間に、福島県立博物館の館長職を解かれて、野(や/の)に下ったことは、すでにお伝えしてあります。わたしにとっては、コロナ禍のもとで迎えた大きな転換点といえるものです。しかし、福島を離れずに、喜多方を拠点に奥会津で東北学の最終ステージを構築しようと決めたことで、予想をはるかに超えて、風景そのものが一変しました。言葉への見えない枷がいくらかはずれました。たとえ非常勤職の、まったくの端っこではあれ、官に仕える身がなんとも窮屈であったことが、いまになって実感されるのです。

 たしかに、この間、次から次へと不愉快なできごとが国政レヴェルで生起してきました。その根底にあるものは経済至上主義であり、それが「人間の内面の統治」に乗りだしていると考えると、とても素直に了解されます。ところで、いまになって思うのです。既視感とでも言えばいいのか、それらがどれもこれも、国家のレヴェルで事件として顕在化する以前に、わたしはローカルな現場で、その雛型のごとき事件を見えにくくはあれ体験していたような気がするのです。震災以後の福島では、思いがけぬかたちで、経済至上主義によって人間の内面が分断・統治される場面にくりかえし遭遇してきた、ということです。

 福島は、そこに暮らす人々は、この十年のあいだ、経済至上主義がもたらす暴力と災厄に不断にさらされ、翻弄されてきました。人間としての内なるモラルをひき裂かれ、巧妙に分断・統治が張り巡らされた最前線に生きることを強いられてきたのです。その、いかにも植民地的な荒々しい経済=政治学が、いずれ福島の外に暮らす人々をも侵蝕してゆくことは、たやすく予感されていたことでしょう。だから、あいちトリエンナーレで顕在化した芸術・文化への国家権力によるむきだしの干渉を前にして、その前年に福島で起こっていた「サンチャイルド撤去問題」を想起せざるを得ませんでした。既視感に見舞われました。あれは子行演習だったのですね。

福島を他人事のように見捨てることを選んだ、ある帰結が、そこに転がっているなどといえば、挑発的に過ぎますか。たしかに、福島では原発の爆発事故が途方もないモラル・ハザードを惹き起こしたのです。それは巨大な傷と裂け目を日本社会にもたらしました。そこに、厳粛な分岐点が隠されていたのです。関東大震災(1923)というカタストロフィーを起点にして、治安維持法(1925)、世界恐慌(1929)、二・二六事件(1936)、日中戦争(1937)、幻の東京五輪(1940)、太平洋戦争の敗戦(1945)へと深まっていった歴史を振り返れば、東日本人震災以後のできごとのいくつかが偶然とは思われぬリアルな映像となって甦ります。学術会議の問題など、戦前のような思想や学問への弾圧を連想させますが、しかも、それが強固なイデオロギー的基盤をほとんど感じさせないところに、間抜けなまでに「日本的な」精神のありようを見いださずにはいられません。

 現実がじつに巧妙に隠蔽されています。それをむきだしにさらす批判的な知や学問が、とりわけ人文知が狙い撃ちにされているのは、むろん偶然ではないでしょう。しかし、赤裸々に言っておけば、その人文知そのものが衰弱しつつあるのではないか、という印象を拭うことができません。萎縮しているのはマス・メディアばかりではないのです。気がついてみれば、わたしたちの知や学問はなんだか痩せこけて、小粒になったような気がします。現実はいよいよ肥大化して、複雑怪奇さを増幅させ、まったく手に負えない代物と化していますが、それと拮抗するための方法や戦略などはほとんど姿かたちもなく、気配すらもありません,知性を忌避する国家権力が攻撃の矛先を差し向けているのが、たんに政権への批判や反対表明にすぎないことは、なにを意味しているのでしょうか。少なくとも、そこに胚胎されている思想や哲学にたいして、怖れが抱かれているようには見えません。わたしがいま奇妙にそそられている1960年代の学問や思想が持っていた、たとえば現実への衝迫力といったものは、もはやほとんど失われているのかもしれません。

 幾重にも、撤退の時代ですね。わたしはいま、あらためて地域主義を拠りどころにして、あくまでマージナルな場所に留めおかれてきた民俗知の再編を試みることに賭けこみたいと、妄想を膨らましています。入会地や協同労働を,めぐる古さびたフォークロアを掘り起こしながら、それをあらたなコモンズとして起ちあげることはできないか。またしても、見果てぬ夢の再来かと嘲笑されようが、それが東北学の最終章のテーマとなりつつあることは否定しようがないのです。そのとき、わたしの拠りどころが柳田国男の『都市と農村』という著書であることを、あえて恥じらいながら明らかにしておきます。

 そうですか、若い人たちが「次の世代、子係のために」と語るのですか。いま・ここに生きてあることは、次代へとバトンを渡すことだと感じているのでしょうか。それは真っすぐな希望に満ちていますか、それとも、いくらかの不幸を背負わされていますか。わたし自身が、未来の子どもたちのために、いまなにをなすべきかを考えることだけが求められている、と感じるようになったのは、さほど遠い昔のことではありません。ゆるやかな老いの自覚のなかで、小さな命の誕生に触れたときでありましたか。そのかたわら、わたしはただ黙したままに、むごたらしい災禍の風景のなかを歩きつづけていたのでした。

 震災後に、幾度か、福島の高校生たちを相手に授業や講演をする機会がありました。そこで、かれらが口ごもりながら、将来は家族のために、地域のために働きたい、と語る場面に立ち会ってきました。あまりにたくさんの哀しみや残酷を目撃せざるを得なかった、沿岸被災地に暮らす若者たちは、自分は生かされているという感覚があるのかもしれないと、たいした根拠もなく思いました。それはあきらかに、不幸を背負った言葉です。

 福島へ、会津へと、ささやかな旅を、道行きをいまも重ねています。福島こそが、わたしのもっとも大事な現場であることに気づかされたことは、幸いでした。その現場(フィールド)において、歩行と思索を重ねながら、地域を生きる思想を探してゆきたいと願っています。この撤退の時代の最深部へと、そのはるかな周縁部へと降りてゆくこと、そこからあらためて思想を語りはじめること。あまりの無力感に打ち粒がれそうになりながら、それでも、ひそかに経世済民の志だけは建て直しておきたいと願う現場です。

 戦いのスタイルも場所も、大きく異なってはいます。けれども、この陰影深い過渡の季節に、藤原さんと緊張感に満ちた書簡のやり取りをおこなうことができたのは、ほんとうに僥倖でありました。感謝の思いでいっぱいです。それぞれの場所で、可能ならば、命あるかぎり勝てなくとも負けない戦いを継続していけたら、と思います。どうぞ、お元気で。

 

2020年11月21日 台湾の若者たちとの出会いの余韻のなかで

                       (あかさか のりお・民俗学)

 

 

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12月25日 青葉台フィリアホール バッハプログラム

少し前のことになる。12月25日、青葉台フィリアホールで小さなコンサートがあった。夜の部に一人で出かけた。「愉音」主催。前回11月はピアニストの梯剛之とヴァイオリンの松本紘佳。ベートーヴェンプログラムだった。今回はクリスマスコンサートと銘打ってバッハ中心のプログラム。

 

第1ステージ、水野優也のバッハ無伴奏チェロ組曲第3番BWV.1009 。

水野は1998年生まれ。第89回日本音楽コンクールでチェロ部門優勝と聴衆賞。

見るからに若いイケメン。

しかし、聴きなれたバッハのソナタは若々しいだけでなく、この難局を変幻自在、十分に経験を積んだある種老成ともいえるゆったりとした豊かさが感じられた。

フィリアホールはチェロ一本の音が、嫌みなく反響していた。

1番から6番までの全曲演奏も苦もなくこなしそうな勢い。聴いてみたい。

 

第2ステージ、松本紘佳のこれもバッハの無伴奏パルティータ第2番BWV.1004 からシャコンヌ

これも聴きなれた曲。超難曲。出だしこそやや覇気がないかと思われたが、すぐにいつものペース。こちらも変幻自在のまるで曼陀羅のようなバッハの世界を十分に堪能。これまたもっと弾き続けてほしいと思う時間だった。

 

休憩をはさんで第3ステージ。メンデルスゾーンのピアノトリオ第1番ニ短調Op.49 

ピアノは福島有理江。

大曲。20代の弦二人に二世代ほども上の福島が絡んで、スケールの大きい演奏というように感じられた。ロマンチックでみずみずしく、前へ前へ躊躇なく進んでいく疾走感が気持ちよかった。

 

アンコールは、ヴァイオリンとチェロで、コダーイの「デュオ」。二人ともハンガリーへのシンパシーが強い。初めて聴いた曲。軽妙な舞曲のような。

アンコール2曲目は、サンサーンスの「白鳥」。ピアノとチェロ。絶品。

 

次は1月23日、2ヴァイオリン 大江馨が加わる。

2月28日は、クラリネットの名手コハーン・イシュトバーン。彼もハンガリー出身。超絶技巧の持ち主。楽しみである。

 

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