梯剛之×松本紘佳 フィリアホール ベートヴェン生誕250年 『月光』と『クロイツェルソナタ』精妙な建築物・・・珍しいハプニングあり。

昨日、東京で木枯らし一号が吹いたとのこと。

夜、青葉台からの帰り道、南町田の駅から歩いたのだが、存外にあたたかく、少し厚手のジャンパーは脱いでしまった。

木枯らし一号といえば、いつもそこそこ冷たい風が吹くものだが、昨夜は風もなく、少しだけ欠けた月が出ていた。

 

昨夜はフィリアホールで、ピアノとヴァイオリンのコンサート。

以前にも一度聴いたことのある二人の組合わせ、梯剛之と松本紘佳。

ベートーヴェン生誕250周年と謳っている。

250周年ならばなおのこと、年末の第九など各地で華々しく演奏されるはずなのに、今年はあちこちで中止の声が聞こえる。

そんな中、一席ずつ空けてはあるが、ホールでこうしたコンサートが聞けるのは嬉しい。

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曲目は、ベートーヴェンの大曲が2曲。あとはバルトークショパンである。

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梯剛之は、小児がんで生後1か月で失明。4歳半からピアノに取り組み、小学校を卒業と同時にウイーン国立音楽大学準備科に入学。ロン・ティボー国際コンクールで第2位をはじめとして数多くの賞を受け、ヨーロッパ各地でプラハ響など多くのオーケストラと共演。アラン・ギルバートや小澤征爾小林研一郎の指揮でN響、読響などでソリストを務めている(プロフィールから)。

 

Amazonでみると30枚以上のCDが出ている。

 

さて今日は「月光」。「悲愴」「熱情」とともに聴きなれた曲。でも、ホールでナマで聴くのは初めて。

 

「月光」というタイトルは、のちに詩人レルシュタープが「レマン湖の水面に映る月の光のようだ」と語ったことからつけられたという。ベートーヴェンがつけたのではない。この名前でよく知られるようになった曲とはいえ、泉下のベートヴェンにとっては、イメージの固定化という点で迷惑な話だったのではないだろうか。

 

そういえば交響曲第5番の「運命」も、弟子のシンドラーが勝手につけたもの。ベートーヴェンにとってシンドラーはけっこうな困ったちゃんだったようだ。「勝手なことをするな」と怒っていたかもしれない。このへんは昨年読んだ『ベートーヴェン捏造』(かげはら史帆)に詳しい。

 

「ダダダダーン」は「運命が扉を叩く」なんて言われるけれど、扉を叩く音かどうかはわからない。ただこれほど印象的な出だしも珍しい。

2楽章の流麗な優雅さ、3楽章の繰り返される思索、そして4楽章の圧倒的な歓喜からすると、聞き終わったときには「運命」というより、残るのは内側から湧き上がる何とも言えない心地の良い高揚感。冒頭の深刻さなどすっ飛んで、生きる希望のようなものを感じさせられる。まだまだ大丈夫だ!さあ行くぞ!みたいな。

 

今回『月光』を聴いて、たしかに最初の印象的な旋律は月光と云えなくもないかなとは思ったが、「月の光」はドビュッシーのほうがふさわしい。2楽章では月光は消えて広間の明るさだ。優雅で軽快。3楽章は激情があふれ出るような。いつも「熱情」や「悲愴」と取り違えそうになる。

どちらかと言えば、「波」の印象。凪いだ海が少しずつ風が吹いて波立ち、嵐になるような。

 

梯剛之は古典派風?の抑制した響き。あざとく耳目をひこうとはしない。淡々とややくぐもった響きを聴かせた。

バルトークの小品から、ショパンの「子犬のワルツ」。短い曲だが、少しずつ響きが明るくなってとき放たれる予感。

「幻想即興曲」で一気に爆発。小気味いいほどの堂々たる響き。前から7列目の座席、久しぶりにピアノの音に包まれる快感。

 

ここで休憩。

後半は「クロイツェルソナタ」。30分ほどの大曲。

松本は当然のようにステージ中央に立っており、松本は梯には一瞥もくれない。

しかし、二人の間には私たちには測り知れないつながりがあって、きわめて難解(だと思う)な曲想をいとも簡単にやり取りする。素人には想像もつかない地点。

ピアノソナタに比べ、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタは、弦楽四重奏などもそうだが、晩年に向かって構造が複雑になっていき、曲想も思念的というか内省的になっていく。正直、その全体像を自分ではつかめているとも思えないし、ほぼ漫然と聞いているだけである。それはそれで、楽しい。

それでも、幾つもの聞き覚えのある旋律が聞こえてくるのは、ベートーヴェンのしつこさか。とにかく何度も何度も納得いくまで繰り返す。またかと思っていると、ちょっとひねりをくわえた変奏になっていく。納得がいくと、そこからまた新しい局面に向かうといった感じ。面白いけれど疲れる。

まったく不安を感じさせない精妙な建築物が出来上がったような演奏・・・と思った。

 

カーテンコールを終えて、アンコールかと思ったら、梯がマイクを取った。

「えーと、途中2楽章で一部をとばしてしまいました。アンコールということでもう一度2楽章をやります」

 

こんなことって珍しい。

 

だいたい、とばしたといったって、私にはどこを飛ばしたのかさえまったくわからない。精巧な建築物は、施工ミスがあったということだ。

 

演奏のあとの梯の話だと、以前に一度だけオーケストラとコンチェルトをやっているときに、オケに出遅れたことがあるとか。その時以来のことだという。

「神様が、もうちょっと勉強しろと言っているのかもしれません」。

松本も平然と弾いていたし、よほどの愛好家でない限り、そうだったの?だろう。

2回目を聴いて、たぶんここだろうというのは察しがついたが確信はない。

でも二人とも満足そうな様子。やっぱりきもちわるいのだろう。

 

岩城宏之の著書に

「頭の中でスコアを間違って2ページ一緒にめくってしまったことがある」という記述があった。

暗譜していても、そういうことがあるらしい。

梯も暗譜がどうも・・・・と口ごもっていた。

 

 

途中で演奏が止まってしまったというのを一度だけ見た?ことがある。

山田一雄指揮神奈川フィルハーモニーの第九。あれはたしか85年。私はステージの合唱団の中にいた。 

4楽章。中盤のテナーのソロ。単音の行進曲のリズムから始まって少しずつ音が重なっていき、感極まるようにテナーのソロが入ってくるところ。

 テナーの歌手の声が聴こえない。出られなかったのだ。

歌手の背中しか見えないが、指揮者の山田一雄はよく見える。

一点の曇りのない銀髪の山田はあわてず、静かにオケを止める。そしてもういちど徐ろに指揮棒を振り下ろした。同じ場所からやり直したのだった。

 

2度目は無事に入った。何事もなかったように最後の歓喜の爆発まで駆け上っていったのを憶えている。

昔話、突然思い出す。老人ぽい。

 

アンコールは、梯がフランツ・リストの「森のざわめき」(たぶん)

松本が『タイスの瞑想曲』(たぶん)。

 

久しぶりのふたりでの夜の外出だった。

どこかで酒でも飲んで帰ろうとも思ったが、終演は21時。いつもならそろそろ歯磨きの時間。長津田の「彩」も今日は定休日。

 

それで、月の光の下、歩いて帰還したというのである。

10月のハクボ映画9本

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ネットから拝借しました

夕食前に映画を見る癖、薄暮シネマ。4月から100本あまり見たことになる。

ほとんど旧作だが、有料の準新作もいくつか。

10月分の記録。

 

マネーモンスター』(2016年/99分/アメリカ/原題:Money Monster/監督:ジョディ・フォスタージョージ・クルーニー ジュリア・ロバーツ)★★★★

 

スキがない。惹きこまれた。演技も演出も素晴らしい。1976年、13歳だったジョディ・フォスター(タクシドライバー)。 

 

『日々と雲行き』(2007年/117分/イタリア・スイス・フランス合作/原題:Giorni e nuvole(日と雲)/監督:シルビア・ソルディーニ/出演:マルゲリータ・ブイ アントニオ・アルバネーゼ)★★★☆

不思議な雰囲気をもったイタリア映画。嫌いじゃない。

 

『名前』(2018年/114分/日本/監督:戸田彬弘/出演:津田寛治 駒井蓮 松本穂香)★★★

津田寛治ファンとしては見たかった映画。今一つ焦点が‥‥。

『記憶にございません』(2019年/127分/日本/監督・脚本:三谷幸喜/出演:中井貴一、ディーン・藤岡 石田ゆり子 草刈正雄)★★★

おもしろいんだけど、いつも中ぐらい、が三谷幸喜。なんか抜けきらないんだな。

 

『40万分の1』(2018年/105分/日本/監督・脚本:井上博貴/出演:副島和樹 立石晴香)★★★

たぶん気が利いた映画なのだろう。面白くないわけではなかった。

『1978年 冬』(2007年/101分/中国・日本合作/原題:西幹道/監督・脚本:リーチーシアン/出演:チャン・トンファン リー・チエ シエン・チアニー/2008年公開) ★★★☆

重苦しい。文革後の中国。こういう映画は貴重。

 

 

『12人の死にたい子どもたち』(2019年/118分/日本/原作:冲方丁/監督:堤幸彦/出演:杉咲花 新田真剣佑 ほか)★★

『望み』を見たので、その流れで。つまらなかった。

 

『初恋』(2019年/115分/日本/脚本:中村雅/監督:三池崇史/出演:窪田正孝 大森南朋 染谷将太 小西桜子 ベッキー)★★★☆

中身はほとんどないが、スピード感と映像の小気味よさ。

 

『洗骨』(2018年/111分/日本/監督・脚本:照屋年之/出演:奥田英二 筒井道隆 水崎綾女)★★★☆

脚本がいいわけではないし、キャストもそこそこ。でも、「洗骨」という風習と今をしっかりつなげていて面白かった。

明日、ようやく6回目の授業に。相変わらず隔靴掻痒の感はぬぐえないが、よく考えてみれば対面に隔靴掻痒感がないかと言えば、そんなことはない。 人は誤解する程度に理解できればいいといった人がいたが、誤解の度合いで言えばそんなに違わないのかもしれない。

月曜日の午後。雨の予報が出ているが、まだ降ってこない。

ずっと本を読んでいた。

 

月曜日の午前中までに、明日の授業の資料を大学のブラックボードとよばれるネット上の掲示板に載せておくことにしている。

 

これが終わると明日の午後の授業までは少しほっとできる時間。

 

いちばん気がかりなのは、もしネットがつながらなかったら、だ。授業ができないというのを18人の学生にどうやって連絡するか。

ひとりひとりに携帯から連絡するしかない。

 

プロバイダが点検をしているとか、外在的な事情で繋がらないならば仕方がないのだが、年に1,2度、そういう理由ではなく、突然つながらなくなる時がある。

最近は、そこで慌てふためいていろいろなところをいじってしまって、隘路にはいるということはなくなった。パソコンとはもう20年もの付き合い、ITオンチなりの理屈抜きの解決策がある。まず電源をいったん落ちしての再起動。いわゆる「困ったときの再起動」である。

もうひとつはルーターの電源を抜いてみる、だ。これがかなり有効だ。

こういう電子機器でも、いろいろなものが詰まってしまうのだろうか。

クールダウンしてみると、直る。理由はわからない。

 

 

ところで、学生の書いたものが、去年までとは少し違うような気がしている。

 

新聞記事などの資料を提示、その場でそれを読んで自分なりの見解をまとめる、というのを授業の始めにやっている。

なるべく学生がふだん考えないようなテーマを選ぶ。今年の5回分は以下のようなもの。

 

「レジ袋有料化によるカゴパク問題をどう考えるか」

杉田水脈衆議院議員”女性はいくらでもウソをつける発言”問題をどう考えるか」

「中学生の人生相談 ”死について考えずにいられない” に回答する」

兵庫県サッカー協会事務局長の”朝鮮、かかってこい発言”問題をどう考えるか」

「「ひとりは賑やか」(茨木のり子)をどう読むか」

 

 

例年だとその場で10分ほどで書いてもらい、意見交換をするのだが、今年はオンライン。はじめから沈黙の時間となっては具合が悪い。

事前に先程の掲示板に資料を提示し、それをそれぞれが自分で読んで書いたものを、土曜日までにメールで送ってもらう。

 

その中身が対面授業のときと比べて、少しだけ濃いのだ。

 

ひとりでテーマと向き合うせいだろうか。

 

初めは多少コピぺがでるかなと思っていたが、読んでみると等身大と思える若者の意見がほとんどで、コピペと思われるものは全くない。まじめだなあと思う。

 

授業では、送ってもらった全員分を読めるように提示するので、自分のものと比較できる。

文理学部という国文科から地球生命学科までが一緒になっている学部だから、発想にも違いが出てくる。同じように教職を取りながら、学科の違う学生のものに触れるのはちょっと新鮮なようだ。

読んでいて、これほど違う発想をするものかと思うときもある。

 

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ネットから拝借しました


オンライン(zoom)のしんどさばかり言い募ってきたが、悪いことばかりではないような気もする。

 

メールのやりとりが頻繁なので(最低週2回は添付で文章を送ってくる)、学生一人ひとりの生活や意識が見えるときもある。

 

勿論相変わらず隔靴掻痒の感はぬぐえないが、よく考えてみれば対面だからと言って隔靴掻痒感がないかと言えば、そんなことはない。

 

人は誤解する程度に理解できればいいといった人がいたが、誤解の度合いで言えばそんなに違わないのかもしれない。

 

せせらぎと鳥の声しか聞こえない境川遊歩道、そのわずか数㌔のところに爆音の元凶があるにもかかわらず、毎朝、のんきな散歩を続けているのである。【読み飛ばし読書日記】

けさは日は出ていたが雲が多かった。

昨朝は、抜けるような青空、丹沢山塊が朝日を受けて、山肌が明るく青く輝いていた。その向こうに富士山が薄く雪を冠って鎮座している。ようやく不順な天候が終わり、安定した天気が続く晩秋が訪れたようだ。5時には13℃を超えていた気温が、明るくなることには12℃になっている。

 

今日はいつになく鳥の啼き声が耳についた。何カ所かの浅瀬ではせせらぎ。ランニングする人の吐く息の音。電車の音。

 

歩き始めて20分ほどで田園都市線境川をまたいで通過していくのが見えてくる。その向こうに国道16号線。朝はいつも渋滞している。

この境川が町田市・横浜市大和市を分けている。

大和市には厚木基地があり、上空は米軍機の航路となっている。自宅から徒歩で30分ほどのところにある小田急線の小駅鶴間駅では、突然頭上を米軍機が通過して驚かされることがある。

騒音もかなりひどい。1960年以降、厚木基地爆音防止期成同盟がつくられ反対運動を続けていて、航空機の飛行実態調査も行われている。

厚木爆同トップページ - 厚木爆同

航路は厳しく規制されているようで、それほど離れていない拙宅では爆音は聴こえない。

離着陸時の爆音のすごさは、生前義母がショートステイで利用したことのある大和市草柳の介護施設で体感した。基地至近にあるその施設は窓は全く開けられていなかった。沖縄・普天間と変わらないと思った。

 

定期便なのか、平日の8時ごろに厚木基地から飛びだったと思われる輸送機を遠目に見ることがある。距離があるせいか音は気にならない程度だ。以前、オスプレイも目撃したが、音はやはり気にならなかった。

 

こんなふうに基地問題は少し距離があるだけで、その実感には大きな差異ができる。

せせらぎと鳥の声しか聞こえない境川遊歩道、そのわずか数㌔のところに爆音の元凶があるにもかかわらず、毎朝、のんきな散歩を続けているのである。

 

 

【読み飛ばし読書日記】

『シンデレラの時計』(角山榮/2003年/平凡社ライブラリー/1500円)

以前に読んだことがあって再読したくなり、図書館で借りる。不定時法の江戸時代以前の話が面白かった。

『散るアウト』(盛田隆二/2004年/毎日新聞/1500円+税)

初めての作家。もう少し面白かと思ったのだが…。

『新敬語マジヤバイっす』(中村桃子/2020年/白澤社/2200円+税)

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「社会言語学の視点から」というサブタイトル。タイトルと表紙は易しそうだが、内容はかなり専門的で難しい。

『闇という名の娘』(ラグナル・ヨナソン 吉田薫訳/2019年/800円+税)

アイスランドの警察小説。北欧のミステリは深く重くそして面白い。アメリカで映画化が決定したとか。

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『ヤンキー化する日本』(斉藤環/2014年/KADOKAWA/800円+税)

ちょっと気になって古本購入。対談本。冒頭の斎藤論文は秀逸。対談では与那覇潤との「補助輪付きだった戦後民主主義」が面白かった。

満州モリー・マップ』(小宮清/1990年/筑摩書房/951円+税)

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友人の紹介。古い本だが図書館で借りられた。精細なスケッチと丁寧な語り口。声高でない分、戦中、戦後の日本国家へのラディカルな批判が重い。

『子ども虐待を考えるために知っておくべきこと』(滝川一廣・内海新祐編/2020年/日本評論社/1800円+税)

ムック本。冒頭の滝川論文、かなり長いが優れたものだと思う。

『嵐を呼ぶ少女とよばれて』(菱山南帆子/2017年/はるか書房・1600円+税)

古本購入。「市民運動という生き方」というサブタイトルに惹かれたが、正直あまり面白くなかった。小学生のときから闘い続けてきた人なのに、どうしてだろう。教条的にところを感じるからか。

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ファシズムの教室』(田野大輔/2020年/大月書店/1600円+税)

話題となった本。250人の学生に同じ格好をさせて「ハイルタノ!」と叫ばせ、学内で仕込みのカップルを糾弾させる。「なぜ集団は暴走するのか」。学内でこの授業を続けていくためのさまざまな工夫の方が面白かった。

 

 

 

 

 

 

『朝が来る』小説を映画に引き写した「小説の映画化」ではなく、映画という小説とは全く別物の表現という具合か。

28日、藤が丘病院から戻って、遅い昼食を食べた。

 

帰宅途中にMさんに『朝が来る』のチケットを予約してもらった。23日に封切りだったが、『鬼滅の刃』の席巻の前には、早めの打ち切りも考えられる。このさい、なるべく早く見ておこうということになったのだった。

 

木曜日なのにグランベリーパークは賑わっている。休日のようだ。若い親子連れの姿が目立つ。私たちのような老夫婦だけというのは珍しく、若い世代と連れ立っている人たちが多い。

 

『朝が来る』(2020年/139分/日本/原作:辻村深月/監督・脚本:河瀨直美/出演:永作博美 井浦新 蒔田彩珠 浅田美代子)★★★★☆

 辻村深月の原作をMさんと二人の娘と遠隔回し読み?をしたのは去年のことだったか。

辻村の著作はこの1冊しか読んだことがないのだが、印象の強い作品。

河瀬監督がどんなふうに描くのか、見てみたいと思った。

 

予想はしていたけれど、これほど手の込んだつくり方をしている邦画はあまりない。

どちらかというと、手を加えていなさそうに見えて、しっかり手が入っている映画が邦画では多いが、この映画は違う。明らかに「鑿のあと」のようなものが見えて、それが成功していると思った。

 

小説を映画に引き写した「小説の映画化」ではなく、映画という小説とは全く別物の表現という具合か。

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随所に出てくる海や風や波、あるいはカーテンなどが微妙な登場人物の心象を映し出す。

登場人物たちのセリフは、劇中のセリフとして提示されることもあるが、多くはドキュメンタリー風に中身だけを与えられ、あとは役者が考え、言いよどみ、言い換えして深いリアリティを獲得する。微妙な組合わせの妙。

映像は、どのシーンも固定カメラの大写しとかすかに揺れる手持ちカメラの映像が組み合わされ、見る方に緊張感を強いる。

 

中心人物である蒔田彩珠演じるひかり、中学生から20代の初めまでだが、演技という以上に『ひかり』を生きているように感じられた。

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河瀬直美監督の映画づくりの手法についてはたくさん語られてきた。蒔田彩珠にも現地の中学に通わせ、出演者たちと生活を共にさせたという。

 

蒔田彩珠は『星の子』でも好演。

 

出演者たち。永作博美は求心力のある役者だと感じてきたが、この映画では長いアップショットに負けない集中力のある演技。ただものではない感あり。

井浦新は、やはりぶれのない、かといってよく抑制のきいた演技。呑み屋での酔って話すシーンが、よかった。

浅田美代子。すごい。これが浅田美代子?たくさん見たわけじゃないが、存在感のあるいい演技だと思った。すっぴんでも演じられるのはたぶんすごいことなのだろう。

 

ひとつだけ。この映画でもやはり「走るシーン」があった。海のシーンも。瀬戸内海の島での撮影だから海のシーンは仕方がないが、ひかりを走らせなくてもいい。走らなくてもひかりの感情の起伏や爆発は十分表現されている。

 

全編139分は全く長いとは感じられず、終わり方も印象が強い。

厳しい現実を描きながら過剰なリリシズムのようなものを感じてしまうのはなぜだろうか。河瀬監督が社会派作家でないことはわかるが、映像をつくり込みすぎる先にこれほどリアリティを追求しながら、あまりに強い叙情性に入り込めないところがあったのは事実だ。子どもという存在に対しての過度な思い入れのせいのように思えて仕方がなかった。エンドロールの子どもの歌も。なんだろう、これって。

境川は雨が降っていないせいで水量が少なく、いつにも増して川面が澄んでいる。鯉は全身、上から見えてしまう。カモの足ひれのオレンジも鮮やかだ。  

ここ数日、早朝の気温は14~15度。日が出ているとシャツ一枚でも寒くない。

 

境川は雨が降っていないせいで水量が少なく、いつにも増して川面が澄んでいる。鯉は全身、上から見えてしまう。カモの足ひれのオレンジも鮮やかだ。

 

すぐ近くを国道246号線と16号線(八王子街道)が通り、その向こうには東名高速が走り、出口入口でよく渋滞する横浜町田ICがある。そんなところなのに、不思議にこの境川両岸の遊歩道はクルマの音がしない。

聴こえるのはさまざまな鳥の啼き声。

セキレイシジュウカラ、スズメ、カワセミ、カモ、カワウ、カラスなど。

ただ静寂なだけでなく、この啼き声の微細な違いに気付く時がある。

 

きのう見かけなかったカワセミ、今日はホバリングをしているところをMさんが目撃。一瞬のことだったので、私は見逃した。

 

昨日、市のがん検診の結果を瀬谷駅近くのクリニックに二人で聞きに行った。

PSA(前立腺検査)は問題なかったが、大腸がん検診で便潜血との結果に。

要精密検査である。

善は急げと(善かな?)通いなれた昭和大学藤が丘病院へ向かう。

時間が止まったような藤が丘駅に降りて3分。

病院エントランスは簡単な問診に消毒と検温。検温は固定式の検査機の前に立つもの。初めて見た。

受付へ。はて、これは再診なのか初診なのか。

クリニックからもらってきた書類を渡すと若い女性の事務員が

「紹介状がないので5500円かかりますがよろしいですか?」

検査をするだけなのに5500円はないだろう。私はまだ消化器内科にかかっていて終わっていない。

奥から少し年配に女性が出てきて、「クリニックに確認してみます」

すぐに連絡がついたらしく、

「こちらのシステムをお話して、紹介状をこれからファックスで送ってもらうことになりましたので」

対応によどみがない。

一つ空きの椅子に所在なく坐っていると、その女性、視線を合わせて「申し訳ありません。もう少しお待ちください」

ファックスが届き、消化器内科の窓口に到達するのに1時間15分ほど。

中待合で1時間待ってドクターに会う。

若い男性。30歳前後。助教とある。ほとんどこちらを見ない。

検査の説明と日程決め。5分で終わる。このドクターの枠での検査日程は、なんと12月半ば。ずいぶん先のことだ。

サポートセンターで検査の細かい説明と下剤などのグッズをもらい終了。

 

またまた検査、だ。胃カメラなら確か手術もいれてもう6度も飲んだ。今度はしかし入れる場所が違う。かなり?厳しい箇所だ。40日以上先のことというのがいいことなのかそうではないのか。

 

時計は14時をとうに回っている。

駅の自動販売機で飲み物を買う。喉がかわいて、はらがへる。

少しだけ気が重いが、まあなるようになるだけと思いなす。この気分は慣れている。

今日は継母の44回目の命日。

しっかり診てもらいなさいということだったのかもしれない。

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文字が消えてしまって打ち間違いが多くて困る。

 

 

映画『望み』最後の最後まで夫婦が失踪した息子を間に「向き合わない」という点ではヤワな妥協をせず、事件の決着も一筋縄ではなく、深みのある余韻を残したのがよかった。

毎日、けっこうな時間パソコンの前に坐っている。

散歩から帰って風呂に入り、パソコンの前に坐るのはたいてい8時半を過ぎたころ。

今日はこれとあれをやってと、一応の段取りを立てるのだが、これがなかなかその通りにいかない。段取り通りいくのは10時のコーヒーと昼めしと、あとは午睡くらい。いろいろなものが中途半端に散らかって集中しない。薄暮の頃になると、今日はまあいいっかと酒を呑むことばかり考えている。

せめて本の数ページ、映画の一本くらいは見たいとは思うのだが、誘惑に負けることしきりである。        

        はずかしや おれの心と 秋の空 (一茶)

 

24日の土曜日、グランベリーシネマで

『望み』(2020年/108分/日本/配給:KADOKAWA/原作:雫井修介/監督:堤幸彦/脚本:奥寺佐渡子/出演:石田ゆり子 堤真一 竜雷太 清原果耶 松田翔太ほか/10月9日公開)

をみた。それほどインパクトは強くないが、細部まで丁寧につくってあって楽しめた。

 

以前から石田ゆり子という女優が好きだった。どこか幸せ薄い感じで、和服の似合いそうな・・・。通俗的で申し訳ない。実際は違うのだろうが、こういう幻想をもたせてくれる女優はいい。

 

4年ほど前『コントレール』というNHKのドラマがあった。井浦新石田ゆり子の組合わせで大変に良かった。大石静香の脚本。

元弁護士の長部(井浦新)は無差別殺人の現場で安人ともみ合っているうちに、過って現場に居合わせた文(石田ゆり子)の夫(丸山)を殺してしまう。

事件の衝撃で声を失った長部が、絶望の淵で出会ったのが文だ。二人は恋に落ちて…。

 

この二人の演技がとても印象に残っている。井浦新は当然のこと、やっぱりこれは石田ゆり子しかないなと思ったものだ。抑制的な演技がとても良かった。

 

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『望み』では、高校生同士のトラブルから失踪した息子が、はたして加害者なのか被害者なのか分からない中で、ネットやマスコミにたたかれ揺れ動く母親の役。

悪くはなかったが、特筆するほどではなかった。母親の中で揺れる気持ちの中には、もっと複雑な感情の動きがあってもいいと思うのだが、脚本がそこまで求めていないのだなと思った。

『望み』は読んでいないが、何作か雫井修介の作品をよんでいて思うのは、物語の枠組みがしっかりしていながら登場人物の心理描写が丁寧なのがいいところだなと思ってきたが、堤との夫婦に関して言えば、ネタバレになるから詳しくは書かないが、最後の最後まで夫婦が失踪した息子を間に「向き合わない」という点ではヤワな妥協をせず、事件の決着も一筋縄ではなく、深みのある余韻を残したのがよかった。

 

随所に芝居巧者が配されていて楽しめた。

竜雷太市毛良枝などがいい味を出している。

竜は、設計事務所を経営する石川(堤真一)の得意先の建築屋だが、老人の嫌味と強引さの演技は出色。特に石川に対して指で背広の襟を突く所作はリアル。石毛は貴代美(石田ゆり子)の母親役だが、母子ゆえの遠慮のなさと老人の度し難い鈍さを軽快に演じていた。

妹役の清原果耶も、兄が殺人犯となるより、被害者となって死を望んでしまう受験生を

好演。

救いのある終幕ではあるが、1人少なくなった家族写真が象徴するように、新しい幸せがこの家族に戻ってくるかどうか。

ここまで来て『望み』という変哲のないタイトルが、切実感のあるものと感じられた。

それにしても、若者のトラブルのわけの分からなさ。既視感がある。仕事をしているときはこれに近いものをたくさん見た。まっとうな感性をもつ者からさきに希望を失っていくような。

 

鬼滅の刃』でロビーがかなり密状態になっている中、『望み』は閑散。

女子高生3人組が見に来ていた。作品に興味があって誘い合ってきたのか、それとも息子役の売り出し中の岡田健史君めあてだったのか。