石垣島からの手紙「・・・観光客も戻りつつあるようです。 観光でもっている島なのでお客様に来ていただけないと困りますし、来ていただいても困りますので、困ってしまいます。」

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庭に繁茂するアロエ、昨晩はワサビ醤油で食べた。


久しぶりに朝から青空が広がった。

ややうすぼんやりとした青空だったが、早朝から暗い曇天や雨が続いていたから、気分が少し変わった。

 

境川の遊歩道の行きかえりでカワセミを見かける。大きさからして別の個体。一羽は顔に白い部分が見えた。

 

鳥と言えば、数日前から妙に気になる鳥の啼き声が部屋の外から聞こえてきていた。

キジとも言えない太い声。どこかの部屋で飼っている鳥だろうか、どうも大型の鳥のような気がするのだが・・・。

 

昨日の午前中、雨が上がったすきにらいを連れてMさんと啼き声の主を探しに出てみた。

 

声のする方に向かって歩いていくと、響きがマンションの壁面に反響しているのがわかる。これで少し声が変わって聞こえるようだ。カラスかなと思えてくる。

行ったり来たりしするうちにマンションの中庭にある10メートルほどの木の上にカラスの巣らしいものを見つける。

下から見ていると、カラスの姿が見える。納得。子育てをしているのだろうか。ふつうのカラスの声でないのは、外敵からひなを守るための威嚇の啼き声なのかもしれない。

 

依然、職場でもカラスが巣をつくったことがあった。3階の窓から巣がよく見えた。街なかにカラスは巣をつくる。街が生活圏なのだからしかたのない事なのか?

 

思い出した。去年の6月、東京・三田を歩いているときにカラスの襲撃を受けた。歩道を歩いているときに突然バサッと頭の上に覆いかぶさってきたのだった。

 

春から今頃はカラスの営巣の時期。当分はあの声に悩まされるのかと思っていたら、

今朝は朝から啼き声が一度も聞こえない。

管理会社が動いたのか?

わからない。

 

お変わりなくお過ごしのことと存じます。

石垣島は雨らしい雨が降らず暑い毎日です。

この頃はレンタカーも多く見受けられるようになりました。

観光客も戻りつつあるようです。

観光でもっている島なのでお客様に来ていただけないと困りますし、来ていただいても困りますので、困ってしまいます。

おからだ、ご自愛ください。

 

長年、定期的に泡盛を届けていただいている石垣島の小さな蔵元からの手紙。

注文はほぼふた月に1度なのだが、いつの頃からか短い近況を交換し合うように。

日本のほぼ最西端から届く泡盛

請求書の下の備考欄に書かれた手紙も、楽しみのひとつになっている。

映画「ふがいない僕は空を見た」の同名原作(窪美澄作)を読んでみた。心理描写が重層的で豊か。深さがある。面白かった。

一般社団法人全国旅行業協会(ANTA)というのがある。全国47都道府県に支部を置き、会員数5600社、観光事業の振興と地域の活性化を目指しているのだという。

いわゆる業界団体。

 

業務内容は、観光庁長官の指定協会としての「法定業務及び指定業務」、「試験事務代行業務」のほか、旅行業の健全な発展と経営の合理化に資する「一般業務」に大別されます。
法定業務及び指定業務では、旅行業法に定める5つの業務のほか、指定研修などを開催しています。

  また、一般業務では、旅行に関する知識の普及や旅行業に関する業務の改善、観光事業団体等との連絡協調、関係官公署等に対する意見の具申等の事業を実施しています。

                            (HPから)

 

この会長が、自民党幹事長の二階俊博

 

GoToキャンペーンの予算、1兆6000億余円のうち、そのほとんどがGoToトラベルに予算が割かれていることと全く関連していないとは言えない。

 

東京だけを対象から外すことになったという。

東京・千葉・埼玉・神奈川の首都圏は一体的に、とはならなかった。

神奈川を外さなかったのは、官房長官の地元だからだろうか。

 

そうまでして、それも予定より前倒してまで、今やらなければならないことか。

 

巨額のマネーは、給付金業務の下請け同様、あちこちにばらまかれたりするのだろうか。

 

アンタ(ANTA)が、ポケットを開いて待っていたりすることはないのだろうか。

疑心暗鬼になる材料がそろいすぎている。

 

 

【読み飛ばし読書備忘録】

『私の良い子』(2019年/寺地はるな/中央公論新社/1600円+税)★★★☆

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Mさんが図書館から借りて読んだのをまた借り?して読む。読ませる文章。キレがあって無駄がない。こういう人を手練れというのだろう。初めて読んだ作家。

『時間革命』(1998年/角山榮/新書館/1500円+税)

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ちょっと気になって古本で買った。中世の時間から始まって、近代化の中で資本や経営がどんなふうに労働者の時間を管理してきたか。期待していたモノとは少し違った。

ふがいない僕は空を見た』(2012年/窪美澄新潮文庫/520円+税/単行本2010年)

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タナダユキ監督の映画がとっても良かったので、原作を古本で買って読んでみた。

よくできた連作小説。5つの短編の一人称がみな違う。同じ空間、時間をそれぞれの視点から描くと面白そうだが、仕掛けがうまくいかなければ退屈、冗長になる。そうなっていないのがすごい。心理描写が重層的で豊か。深さがある。面白かった。映画も原作も面白いってすごい。この原作から映画をつくったタナダユキという監督もただものではないと思った。

『すみなれたからだで』(2020年/窪美澄河出文庫/680円+税/単行本2016年)

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 朝日新聞の文庫本紹介のところで目にとまった。9編の短編集。読んでいるときの体調によるものかもしれないが、1作目の「父を山に棄てに行く」は緊張感ある文章。ほかはつくりモノ臭さがあってちょっと。ほんとうかな。

『女医レニアの物語 ロシアから来た女性(ひと)は「愛」の種をまいた』(1990年/神田香織主婦の友社・1200円)

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『悲しみのマリア』上・下(2014年/熊谷敬太郎/NHK出版/1800円+税)

戦後、鶴見俊輔らと『思想の科学』を創刊した理論物理学者の武谷三男の研究会がいまも開かれているという記事を竹内さんの『ヒロシマヒロシマから』通信で読んだ。武谷の妻が白系ロシア人で、その父親が帝政時代のバルチック艦隊の艦長であり、ロシア革命のときにハルピンから日本に脱出、一家は会津若松に住んで父親はテーラーとなり、その娘武谷ピニロピは眼科医となり、のちに清瀬にある武谷病院をつくり…という記述に惹かれ、2冊、読んだ。

講談師の神田香織は、武谷三男とピニロピの間に産まれた息子と結婚した縁で、義母の伝記を書いたのだが、タイトルは立派だが文章は雑で情緒的、途中から読みとばした。

『悲しみのマリア』上・下のほうは、多くの資料にあたりながらピニロピ氏へのかなり詳細な取材をもとに書かれたもので、最後まで読ませる。ただ、ピニロピ氏の写真を表紙に使いながら、ドキュメンタリーではなく「小説」としているので、かなりピニロピ医師、武谷家に対する思い入れの強いものとなっている。

裁判まで闘われた武谷病院の労働争議についても感情的な労組への忌避感が強く、「医は仁術」を対置するだけに終わっているのもその証左。

両書ともピニロピ氏を奉りすぎる傾向が強いのが随所で鼻についた。等身大のピニロピ氏、とりわけ一人息子との確執などもっと書き込んでほしかった。

 

川の中の岩の上で甲羅干しはよく見かけるが、カメが遊歩道を歩いているのを見たのは初めて。・・・境川にはすっぽんを生息しているらしい。 すっぽんが歩いていたら、捕まえる?

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毎日雨なのにしっかり根付いた大葉


「よく降りますねえ」という挨拶が、世間では頻繁に交わされているのかもしれない。

そのくらい毎日、雨である。

私は、妻のMさん以外の人と話す機会がほとんどないから、だれかに「降りますねえ」と同調を求められない。買い物や散歩以外の外出をほとんどしないから、当然と言えば当然なのだが。

 

最近、言葉を交わしたのは、かかりつけ医院のドクター、それと受付のⅠさんくらい。

 

Ⅰさんは3年前に開院して以来の女性スタッフだ。

私もここに通うようになって3年近くなる。

 

「最近、患者さんは増えました?」と訊くと、微妙な笑みを浮かべながら

 

「それなりに・・・」とⅠさん。

 

事前予約制だから、待合室で他の患者さんとはすれちがうだけ。Ⅰさんと診察までのほんの4,5分、3人でおしゃべりをする。

 

今時、受付の人とおしゃべりをする医院は珍しいかもしれない。

 

診察時間も他の医院とは異なる。

 

火~木は10時30分~13時30分 14時30分~16時30分

土曜日は、10時30分~14時30分

 

月金日の3日間はお休み。

週の診察時間は、計19時間。

診療科目は、内科、循環器内科、糖尿病内科。

診察は予約制。ひとり15分が確保されている。

私たちは二人一緒に診察室に入るから、たいてい30分を優に超えてしまう。

 

こうした数字に、ドクターの医院経営のコンセプトが表れている。

 

 

以前、通っていたかかりつけ医は、診察時間開始前に空いている待合室に入っても、早朝から診察券を出しに来る人がいたから、診察まで1時間以上待った。

呼ばれて診察室に入り、出てくるまで、3分。

院内処方だったので、薬をもらうのと会計で30分は待つ。

徒労感にさいなまれる通院だった。

 

 

開院直後、おしゃべりをしているうちにⅠさんが、兄妹で私の最初の赴任校の卒業生だということがわかった。

どうも、お兄ちゃんは私の授業を受けていたらしい。お兄ちゃんと云っても50歳を超えているが。

 

そんなこともあって少し気心が知れたような気分になって、Ⅰさんとよくおしゃべりをする。

 

高3の息子さんのこと、お連れ合いの在宅勤務のことなど。

 

通院は木曜だったから、この2,3日、Mさん以外の人と口をきいたのは、ドクターとⅠさんのお二人以外にいない。

 

 

散歩の途中、遊歩道をカメが歩いていた。

 

川の中の岩の上で甲羅干しはよく見かけるが、カメが遊歩道を歩いているのを見たのは初めて。

 

体調30㌢、けっこうな大きさ。

 

水面から遊歩道までは2,3㍍ある。はてどうしてあがってきたものか。

 

境川にはすっぽんを生息しているらしい。

 

すっぽんが歩いていたら、捕まえる?

Go Toキャンペーンは予定通り???感染の可能性の低いお金をもっている人たちが、大手の旅行業者に税金を運ぶ、という構造になるのではないか。

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写真はネットから拝借しました

 

5月1日にこう書いた。

 

総額25兆6914億円の補正予算が、参院本会議で可決、成立した。野党も同調、れいわ新選組だけが反対した。

納得していないのならちゃんと反対すべき。

この補正予算には、全国民へ支給される一人10万円の給付金(12兆円)や前回紹介した日本政策金融公庫などによる中小企業への資金繰り対策(3兆円)、売り上げの減った中小企業に最大200万円、個人事業主に最大100万円を5月から給付する持続化給付金(2兆3176億円)地方自治体への1兆円の臨時地方交付金、休校中の学習支援として一人一打のパソコン配布の前倒し(2292億円)雇用の維持、これも前回だか紹介した雇用調整助成金(690億円)、そして布マスクの配布(233億円)などだ。

中に観光振興用に1兆6794億円というのがある。感染拡大収束後の観光などに対する消費喚起策「Go Toキャンペーン」の費用だという。

これだけが特に異様に見える。

素人が見てさえ、これの補正予算に占める割合が高すぎると思う。まだ収束もしていないのに。

雇用調整助成金には690億円しか使っていないし、持続化給付金などいくらあっても足りないのではないか。

学生への補助や自営業者への家賃補助などいくらでもお金は必要なのに。』

 

 

 

今日15日の衆議院予算委員会で西村経済再生担当相は「Go Toキャンペーンは予定通り進める」と発言。

その一方で、感染防止のガイドラインに従わない事業者に対しては、「新型コロナウイルス特措法に基づく休業要請を出す段階にある」との認識を示したという。

PCR検査が増えてきているとはいえ、感染者数が首都圏中心に増えているのも事実。

 

どう見てもアクセルとブレーキを一緒に踏んでいるようにしか見えない。

このちぐはぐぶりはどこから来ているのか。

 

観光振興用の巨大予算が準備されたのは、コロナ後の経済刺激のためだと思われるが、それ自体に大きな疑問があった。巨額の予算がどこか我々の知らないところに吸い込まれていくのではないか。

一般社団法人サービスデザイン推進協議会が電通関連の会社に仕事を割り振る形で、みんなで山分けしたように、このお金も薄暗いところへ消えていくのではないか。
 
そんな漠然とした危惧があったが、結局のところは巨額の予算を消化するには、今からキャンペーンを始めないと間に合わないということではないのか。
 
それも、中小零細までの観光業すべてを救うのではなく、資金力のあるところにお金が集まってしまうのではないか。
まだまだ解放された気分で観光に出かけようという気分は世間には全くない。
会社や仕事の存続が危ぶまれている人も多い。10万円どころかマスクすら届いていない人もいる。
キャンペーンを利用しようという人たちは、資金にも時間にも余裕のある人たちに限られる。満員電車に乗って通勤している人や、現場に行かなければ仕事にならない人たちではない。
 
結果的に、感染の可能性の低いお金をもっている人たちが、大手の旅行業者に税金を運ぶ、という構造になるのではないか。
 
とはいえ、こんな状況下で1697400000000円なんて使いきれるものだろうか。
 
国民一人当たり、だいたい1万円と少しだけど・・・。
 
 
夕方になって西村大臣、キャンペーンの開始時期については専門家会議の意見を聞く、と答弁。
 
今日の東京都の感染者数が165人と発表された。
これで7日間連続で100人を超えている。入院患者数も700人に近づいている。
 
 
 
 

 

『月』(辺見庸)読了。辺見は、全てを敵に回して、「わたしたちのいま」を見せてくれる。

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『月』(辺見庸)の朗読を終えた。

5月16日に始めて、7月11日まで2か月弱かかった。

朗読をしなかった日は6~7日、小刻みに、長くても20分程度。それ以上は重すぎて続かなかった。

18時30分~19時の、Mさんがキッチンで夕食をこしらえている時間、時にはまな板で野菜を切る音にかき消されそうになりながら読んだ。もう一人のオーディエンスは、前足に顎をの載せた気ままなスタイルで付き合ってくれた。

 

この時間は、通称「フライング」の時間。一日でたまった芥を流すべく、3~4種類のalcoholが誘いをかけてくる。ともすれば、スタートが早すぎて夕食が始まる前にゴール?してしまうアブない時間。

その時間を我慢して読み続けた。

 

 

 

『月』は、限りなく饒舌で豊穣な反骨の詩である。

 

きいちゃんは

園の入所者。ベッド上に一つの”かたまり”として存在し続ける。性別、年齢不明。目が見えない、歩行ができない、上肢下肢ともに全く動かない。発語できない。顔面を動かせない。からだにひどい痛みをもち、時に錯乱し悩乱する。しかし自由闊達に〈思う〉ことができる。(主な登場者たちから)

 

思うことができるきいちゃんに対し、「在る」ことの是非を問うのがさと君である。

さとくんは、

園の職員。表面は明朗快活な性格で、園の人気者だったが、のちに辞職。園の仕事を通じ〈にんげんとはなにか〉といった大テーマを考えるようになり、「世の中をよくしなければならない」と決心する。(主な登場者たちから)

 

作者は饒舌で豊穣な詩をもって、ことばをもたないきいちゃんを表現する。きいちゃんの中に思索はあるのかないのかなんて誰にもわからない。そこをを超えて、きいちゃんが「在る」ことによって放出されるさまざまな思念をどう受け止めるか。殺されてしまうきいちゃんが語ることばたち。

 

だから

「本作品はフィクションであり、実在の人物、団体、組織とは一切関係ありません。」

最後の318頁のとなりの頁番号のないページに、無表情にこう書かれている文言は、KADOKAWAのすさまじい過剰防衛であるのだが、辺見はそれを許しつつも作中では、はっきりと

 

「本作品はフィクションではあるが、すべて実在の人物、団体、組織にかなりはっきりとした関係があります」

 

と言っているように読み取れる、そうでなければ、作品のもつ重さと平仄が合わない。

 

作中から引用したい箇所は、数十か所ある。頁を折り込んでいる箇所は、それ以上かもしれない。

 

しかし、私がそんなむだなことをするより、多くの人にこの作品に接してほしいと思う。

 

被害者の人権とか被害者の遺族への配慮とか、前提としたいものを放棄するところから辺見は始めている。自分自身の歴史性や身体性を切り刻むように、まったくの丸腰でこの事件に挑んでいるようだ。

 

それは、「障がい」や「障がい者」とはどういう存在なのか、そこにある「思念」とはどういうものか、それに向き合う「健常」であるとする私たちとな何かを、執拗に問う。

戦後の進歩的マスコミや左派知識人も徹底して批判されるが、それは同時に辺見自身の思念のありようを突き崩すものであるようだ。

 

だからこそ、それは饒舌かつ豊穣な詩によってしか表現できなかったのかもしれない。

 

辺見は、全てを敵に回して、「わたしたちのいま」を見せてくれる。

 

 

「あなた、ひとですか?」

「ひとのこころ、ありますか?」

 

これはきいちゃんだけでなく植松の問いそのものであり、何度も何度も作中で問いかけられる。きいちゃんのどこまでも広がる「思念」が、この問いに容易に応えることを許さない。

 

KADOKAWAは逃げても、辺見は逃げていない。

表現するということのぎりぎりの場所を辺見は見ているようだが、私にはまだぼやけてしか見えていない。

 

新刊『14歳のひろしま ワタシゴト』(中澤晶子) ワタシゴト  渡し事=記憶を手渡すこと  私事=他人のことではない、私のこと

中澤晶子さんの新刊です。7月17日発売。

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広島修学旅行をめぐる子どもたちの物語。

中澤さんの『あしたは晴れた空の下で~子どもたちのチェルノブイリ』という本の中の1章「いのちということ」が、中学一年の教科書に載ったことがきっかけで、中澤さんと横浜の中学生の付き合いが始まった。24年になる。

最近では、広島で中澤さんの話を聴いた生徒が、教員になって生徒を広島まで引率する。

 

スリリングでナイスな中学生の物語が5つ。

 

ぜひ読んでほしい。子どもたちだけでなく、大人たちにも。

 

 

 

「主人公は、子どもでもなく、大人でもない、それゆえ不安もいっぱい、けれども何か起こりそうな期待も抱える中学三年生。それは、みなさんであり、かつてのわたしです。いつの時代も、その年代特有の複雑な心のありようは、本質的にはそれほど変わるものではないでしょう。けれども、どんなところで、どんな出会いをするかによって、その後の人生にちょっとした変化が起こるかもしれない、そんな気がしています。」(「おわりに」から)

 

 

 

 

1985年~2019年までに、広島の原爆資料館広島平和記念資料館)を見学した修学旅行生は、およそ1352万人。

 

 

 

 

 

 

 

 

『プリズンサークル』ここにぎりぎりのところで生き直そうとする人たちがいる。どこまでも緊張感あふれる映画。こういう映画を8年近くかけてつくってきた人々に、心から敬意を表するとともに、より多くの方々に見てほしい貴重な映画である。  

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』といっしょに、

 

『プリズンサークル』(2019年/136分/日本/製作・監督・撮影:坂上香/アニメ監督:若見ありさ/2020年1月25日公開)★★★★☆

 

この映画も早く見たかったのだが、なんどかすれ違って?ようやく。

官民協働で運営される刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」で行われてきた受刑者更生プログラム、とりわけTCと言われるTherapeutic Community=回復共同体に焦点をあてた映画。取材許可を得るまで6年、約2年間の撮影期間を経て完成した。所内の様子だけでなく、実際にTCを経験して出所した人たちと支援員との交流の様子も挿入されている。

いじめ、虐待、差別などから犯罪に至ってしまった受刑者たちが、TCを形成し互いに自分の内奥と対話しながら、自分の何が問題だったのか、その根源はどこにあるのかを探っていく過程をカメラが克明に追っていく。

 

日本の刑務所が老人施設と化しつつあることは、今世紀に入って長く指摘されてきた。また、少年法の適用年齢の引き下げの問題性も指摘されてきた。なにより、再犯頻度の高さにあいまって、刑務所内の更生教育の貧弱さが指摘されてきた。

 

閉じ込めて単純作業に従事させるだけの更生教育でいいのかという指摘はされても、実際に予算不足から具体的な政策はとられてこなかったのだが、官民協働の新しい形の刑務所のなかで、この映画が捉えた試みがなされていることはあまり知られていない。

 

個室で生活し、一定の範囲で自由独歩がゆるされるなかで行われるプログラムは、想像以上に一人ひとりの受刑者を開いていく。

 

勿論顔はすべてぼかされているが、その発言の一つひとつは、見ている私たちにさまざまな気づきを起こさせる。

その自由さ!これが大きいのだが、それを保障しているのは制服制帽の刑務官ではなく、支援員と呼ばれる心理職の存在だ。

 

支援員と席を並べ、互いに意見交換している姿は、受刑者と刑務官という関係より、

相談機関の相談者とチューターのような感じ。

 

 

全国の受刑者数に比べれば、こうした更生プログラムがなされているケースは極めて少ない。しかし、たった40人が取り組んでいる島根あさひ社会復帰促進センターの受刑者の再犯率はかなり低いという。

 

私は現職の頃、児相の一時保護所、少年鑑別所、少年院、養護施設など多くの施設に幾度となく面会に訪れた。

どの施設も子どもたちに対して真摯な対応をしていたことを記憶している。そこで行われる教育プログラムは、大人の刑務所よりもはるかに緻密でていねいであったことは事実なのだが、いかんせん指導者の数は限られるし、刑務官としての仕事を抱えながら少年に対していくというかたちに限界があったと思う。

 

この映画は、大人の犯罪の根源にある差別や虐待のダイナミズムをしっかりと見せてくれるという点で、少年犯罪で収監されている少年たちにも大きな福音となるのではないか。

 

政治という予算の配分をなりわいとしている政治家、官僚たち、10兆円を議会も経ずに恣意的に使おうとするアホーこの上ないこの国の政府与党の政治家たち、キミたちよりずっと真摯に自分の生き方に向き合っている人たちがいる ことを知るべきだ。

 

ここにぎりぎりのところで生き直そうとする人たちがいる。どこまでも緊張感あふれる映画。こういう映画を8年近くかけてつくってきた人々に、心から敬意を表するとともに、より多くの方々に見てほしい貴重な映画である。

 

 

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今日は梅雨の晴れ間かな? 写真はネットから拝借しました。