入院、手術、退院、自宅療養。そして広島、長崎。幸せな手をもつ市長の不幸せ?

7月22日に、明日から入院、と書いて20日ほどが経った。

 

手術は予定通り、ではなかった。はじめの目論見では1時間程度のつもりであったが、実際には3時間を要して、予定の鎮静剤の6倍の量を使用したという。想定よりは大きかったが、無事に患部を切除、摘出したとドクター。最後は意識が戻ってしまってつらかった。

とはいえ、開腹手術ではなく内視鏡によるものだから、予後は点滴とわずかな服薬に絶食だけ。

日を追って三分がゆから五分がゆ、全がゆへ少しずつ移行するのだが、食べ物を制限されるのはつらいもの。することといえば、いくつかの検査とあとは横臥しているだけだから、すこしずつ病人になっていく気分。

 

カーテン越しに聞くともなく聞こえてくるのは、病気をめぐる夫婦間の、家族間の、親子間の際限ない悲喜こもごも。ときには家族の歴史のうえの怨嗟も含めた諸事情。聞かれていることを承知しながら言わずにはいられない思いのたけは、声を潜めているだけにかえって重く響いてくる。

気がつけばこれも「病気」のほうへ引っ張られていくもとに。

 

成人してから4度目の入院になる。最後の入院は06年だったから13年前になるが、決定的に違うことがいくつかあった。

 

病室の入り口の名標がなくなった。個人情報保護の観点からの措置だろう。見舞い客は名標をみてベッドを訪ねることができない。

 

取り違え防止の対策も何重にも。毎日、何度も生年月日と名前を復唱する。

 

病気によって違うのかもしれないが、病室の6つのベッドのカーテンがいつもしまっている。以前入院した時は、昼間はもうすこし開放的だったような。

新米患者としての挨拶もできず、名標もないものだから名前もわからない。

食事は、すべて上げ膳据え膳だから助け合うこともない。互いの病気、病状はカーテン越しに聞こえてしまう繰り言から想像するしかない。

 

看護師について。

女性看護師はもうスカートははかないようだ。それと男性看護師が増えた。

ナースステーション内は総じて静か。多くの看護師がパソコンをみている。

廊下にもキャスター付きデスクのパソコンをみている看護師が常時いる。こんな光景は13年前にはなかった。

 

看護師のシフトはよく見える。というのも交代のときには必ず「これから担当します○○です」とあいさつに来てくれるからだ。中には「私は時短です。子どもを産んだばかりなので」という人もいる。ERではないから一定にシフトは守られているようだ。

 

それに比して、ドクターの勤務はブラック。

私の担当ドクターは30代の女性の助教だが、早いときには7時前に病棟に二人で顔を見せる。通常だと9時過ぎから通常の診察。午後には手術が入っている。そして遅いときには消灯時間の直前に病棟に回ってくる。

どんなふうに勤務時間管理がなされているのか。残業手当が支払われるとはいえ、早朝から深夜までの勤務では、気持ちもカラダも休まらない。それが診察や手術に影響を与えなければいいのだが。

 

時々、大人数の回診がある。教授を先頭にヒエラルキーの末端の、メモを取っている研修生まで10人ぐらいが病室に入ってくる。同じ回診でも私のところには2人。それでも親身な言葉をかけてくれるのがありがたい。

 

患者のQOLを高めるというのが病院の目指すものの一つに入っているが、差額ベッドではない通常の病室のQOLは基本的に何十年も前と変わらない。

 

7日目に退院。あっという間だったが、それでも気分は病気、病人に。家族も含めて見舞客の訪問が病人にとってはやはりうれしいもの。ゆっくりとプライベートに話す場が病室に近くにないのが残念。これもQOLのひとつ。

 

 

 

新聞を読むと、相変わらず肚の立つことが多い。

6日、9日の広島、長崎の式典。安倍は相変わらず厚顔。被爆者や市長の提言をまともに受け止めようとせず、空疎な気持ちのこもらない言葉を繰り返す。小型核兵器の開発を進めようとするトランプに一言も言えないポチ。

 

そんな中、中学生を引率してきた幸手市長が、深夜の酒場で女性従業員を殴打し、暴行罪で逮捕されるという事件が起きた。

深夜にコンビニ行くと言ってホテルを出て、すでにしまっていたコンビニの前でタクシーを拾い繁華街へ。ビール1,2本を呑んで、女性従業員と2軒目へ。その店を出ようとしたときに警察官が駆け付け、現行犯で逮捕されたという。

 

道義的責任を追及する声は強い。昨日の記者会見には多数のマスコミが駆け付けた。

市長は「記憶ない」のではなく「身に覚えがない」と主張。

司会を務めた弁護士、久保豊年さんという広島の弁護士。対応が論理的で非常にキレがあるので、最後までみてしまった。

 

誰かが嘘をついている。市長がどんな人であれ、これが冤罪であるのなら大変なことだ。

 

まだ梅雨は明けない。れいわ新選組、2人当選。問われるのは国会だけだろうか。

あれよあれよという間に1週間が経ってしまった。歳月人を待たず、の実感。大げさか。

 

16日、「ドクターストップがかかっていないようでしたら」という元同僚Aさんお誘いにすぐに飛びついて出かける。Tさんと3人で長津田のS。いつものように談論風発。沈黙の時間は全くない。楽しい時間、夜の更けるまで。日本酒と焼酎を少し?呑む。

 

17日、Mさんに1週間早い誕生日を祝ってもらう。市ヶ尾の壱語屋。系列の店にはたまに行くが、ここは12年ぶり。こんなお店だったかと驚かされる独特の重厚感。エントランスが蔵づくり。天井の高い待合室。ダイニングに入る途中に中を覗ける大型のワインセラー。受付にはだれもいない。人声も聞こえない。鎧戸一枚あけると、さわさわと人の話し声が聞こえてくる。何屋さん?焼肉屋です。ビールとワインを少し呑む。

 

19日、広島のNさん上京のついでに声をかけてくださる。横浜西口ジョイナスのちゅら屋。参議院選挙が迫っているせいもあって選挙談義。ほぼ同年代のせいか、共通する経験がいくつもあって、いつもながら楽しい時間。お店はお運びの従業員は細かいところまで気が利いて居心地はよいのだが、いかんせん沖縄料理がやや貧弱。残念。

ビールと泡盛を少し呑む。

 

20日。Mさんが所属するマークコーラスの発表会。会場は拙宅の庭から数メートルのところのマークサロン。たった10名ほどの合唱団。指揮の先生のソロも含めて1時間の発表会。50ほどの座席は満員。私は一番後ろでビデオの撮影をしていたのだが、歌っている方も聴いている方もとっても楽しんでいる。特に歌っている方は、ほど良い緊張感があって高揚しているのがファインダーを通じて伝わってくる。いい時間を過ごしていると思う。

このコンサートを聴くために習志野から娘と孫二人がやってきた。6歳の長女は一番前の座席に一人坐って最後までじっくりと聴いている。おばあちゃんが挨拶をしたり歌ったり、ちょっとダンスをするのが、興味深かったようだ。

夜、久しぶりににぎやかな夕食。ビールと日本酒と焼酎を少し飲む。

 

21日、参議院選挙。8時ごろ、孫二人、らい、娘、私たち6人?で町内会館へ。投票をするのは私たち二人。娘は期日前投票をしてきたとか。

 

消去法で投票するのが習い性になっているため、選挙でライブ感を感じることが全くない。投票した人が当選することもまずない。権利というより義務で投票し続けてきた。

 

今回は少し違う。ALSのかた、重度障害者のかたが受かるようにと記入。夜、大方の当落が判明。投票率48・80%。戦後2番目の低さだとか。

 

政治を志す人はみな「有権者のために」と云うが、そのまえにたいていは名実ともに「おらがおらが」だ。

今回山本太郎が選んだ戦術は違った。もちろん、いずれ自分はどこかでかならず当選するとは思ってはいるのだろうが、それでも議員を降りることはかんたんなことではない。

彼は自分を差し置いて無名のお二人を優先させた。稀有なことだ。

そしてお二人が当選した。被選挙権の行使など考えもしなかった人たちが国会に入っていく。舩後さん、木村さんに励まされる人がどれほど多いことか。お二人の後ろには今まで投票所にさえいけなかった人たちがたくさんいる。

 

これもまた一つのパンドラの箱。箱の中から出てくるものに問われるのは国会だけではない、私たちもだ。

 

見逃していた『未来を花束にして』をみる。イギリスの女性参政権を求める運動体サフラジェットを扱った映画。かなりリアル。邦題ががどうしてこんなものに?原題は”Suffragette”。いいシーンがいくつもある。

その一つ、実力行使も辞さずに闘う女性に対し、

「男になれよ」と皮肉と嫌がらせを込めて軽口を叩く男。それに対し

「あんたもね」。

 

奥泉光『東京自叙伝』。山崎洋子『女たちのアンダーグラウンド』。岩竹美加子『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』.。今村夏子『むらさきのスカートの女』。

 

いろいろ書いておきたいが、明日から入院。ブログは一休み。

 

「壮行会」と短編映画『東電刑事裁判 動かぬ証拠と原発事故』

7月14日

昨日、かつての職場の同僚で”がんサバイバー”のおふたり、MさんとTさんが「壮行会」を開いてくれた。

会場はあざみ野の「割烹SEKIDO]」。初めてのお店。コース料理だけだが、季節感のあるかなり凝った料理を出す。アユの炊き込みご飯が美味しかった。

 

https://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140201/14052398/

 

お二人が使った『がんで困ったときに開く本』の2009年・2016年版をお預かりする。痒い所に手が届くかなり良くできた本。200以上のQ&Aが具体的でわかりやすい。帰宅して2019年度版を注文した。

 

Tさんが氷川丸のプラモデルをくれた。プラモづくり、やってみようかと思った。

 

3時間以上居座ったことになるが、時間の制約なし。接客もていねいで気持ちの良い店。

 

病に向き合ってきた二人だからこそ、言葉の端々にこちらに対するいたわりが感じられる。

 

「祝勝会」の開催を約束して別れる。

 

 

 

東電刑事訴訟団から転送、拡散の依頼。短い動画だがよく整理されているのでどうぞ。

 

      

 

皆さま 片岡輝美です。夜分に失礼します。
過日の第20回裁判にお集まりくださり、ありがとうございました。
下記の案内が武藤類子さんより届きました。ぜひご覧になり、拡散してください。


■子ども脱被ばく裁判の会■
kodomo2015-info@oregano.ocn.ne.jp

転送されたメッセージ:
皆さま

武藤類子です。このたび、福島原発刑事訴訟支援団と河合弘之監督映画「日本と原発」のKプロジェクトが、
短編映画『東電刑事裁判 動かぬ証拠と原発事故』を制作、公開しました。福島第一原発事故の刑事裁判の判決が9月19日に下されます。被告人である東電元幹部3名が事故の原因である巨大津波を予見し、津波対策工事を計画していながら、経営悪化を恐れて対策自体を握りつぶした大罪を司法は、いかに判断するのか、世界から注目されています。

闇に葬られかけた津波対策計画の動かぬ証拠の数々を解析し、いかなる経緯で対策が握りつぶされたのかを描きました。
ぜひ、みなさんに見ていただきたい、26分間です!!!拡散をお願いいたします。

 

 

 

 

 

『沈没家族』『アナと世界の終わり』・・・れいわ新選組

7月11日
Pクリニックの診察。I医師「手術前の体調としては万全」との太鼓判。

 

いつものようにO薬局で30分待たされたあとに珍しく一緒にデパートS屋へ。

Mさんが日傘を買ってくれるという。

デパートの傘売り場に足を踏み入れたのはいつ以来か。

男の日傘、けっこうな品揃い。折りたたみのほうが便利そうだが、たたまないのを選んだ。

ちゃんとした傘を持つのもずいぶん久しぶり。

玄関の下駄箱にはコンビニで買った傘がたたみもたたまないのも含めて6~7本入っている。ビニール傘も外に2本。

 

7月13日
これだけ曇天と雨が続くと、やはり鬱陶しい。瞼が半分しか開いていないような感覚。


2週間ぶりの映画。本厚木のkikiへ。10:00~『沈没家族』と12:33~『アナと世界の終わり』。

 

外はうす暗い。

気温20度。

長袖にシャツに何か羽織るものをとも思ったが、傘のほかに持ち物が増えるのも嫌なので、そのまま出かける。

ビニール傘をさして。小雨に微風。少し肌寒い。戻ろうか。いや戻ればバスの時間に間に合わない。

定刻3分前にバス停。まだ8時台であるのに加えて明け方からの雨、バスはなかなか来ない。

到着したのは25分後。

運転手が遅延を丁寧に謝ってくれる。あなたのせいじゃないよ、と声には出さないで。

 

 

政権はハンセン病熊本地裁判決に対し、原告以外の家族も含めた補償をするそうだ。

だからといって判決を「認める」とは言わない。

 

「法的には問題はあるが原告の苦しみを考えれば異例の措置として補償を進める」

 

姑息極まりない「政治決着」。全く失礼な話だ。

 

「原告の苦しみ」はそのまま「選挙の前だから」に入れ替え可能の軽さ。

政治家にとっては選挙、官僚にとって人事が最大の関心事、彼らにとってこの二つを超えるものはない。

原告らの苦しみを「忖度」する感度があるのなら、辺野古にしても原発にしてももっとやりようがあるだろう。所詮はその場しのぎの思いつき。


しかし原告以外も含めた補償問題となれば、ことは簡単ではない。

いろいろ難癖をつけて被害の程度で認定に差をつけようとするだろう。忖度官僚の出番だ。

72年の復帰以前の沖縄のハンセン病患者の家族の問題もある。

家族らが分断されるようなことにならなければいいが。

 

 

電車の中で次女から、山本太郎の演説いいよね、とLINE。娘から選挙の話が出るのは珍しい。

「れいわ」はいただけないけど、長州の安倍に新選組はいいよねと返信。

れいわ新選組、候補者がみな徹底した「現場」なのがいい。

 

LGBTの東大教授、創価学会の内部反対派、元東京電力社員の蓮池さん、セブンイレブンの造反オーナーなどなど。評判の悪い比例区の「特定枠」に重度の障害者二人をいれて、100万票で一人、200万票で二人。山本太郎自身が当選するには300万票が必要だという。

 

次女が、新聞も取っていないしテレビを見る時間もないからYouTubeで見たという政見放送。私も見たが「現場」から娘のような人たちに届く言葉だと思う。

マスコミは党首レベルの報道はするが、政党にもなっていない集団のことはほとんど報道しない。はじめからデバイドが効いている。

「れいわ」がそんな不平等選挙に徒手空拳状態で闘いを挑んでいることは間違いない。つまらない選挙を面白くしてくれる存在、だと思う。

 

『沈没家族』(2018年・日本・93分・監督加納土・2019年4月)

監督の加納土が武蔵大学在学中につくった卒業制作のドキュメンタリーを劇場版として再編集した作品。


NHKのプロデューサーで武蔵大学社会学部教授の永田浩三氏が手助けしている。

 

タイトルの「沈没家族」は、そのまま加納土の母親加納穂子が始めた共同保育「沈没ハウス」から来ているが、「テレビで「(選択的)夫婦別姓になったら日本も終わり」と言われるのを見て、「そんなことで日本が終わるんなら沈没しちゃったほうがいいじゃん」と、「沈没」を挑発的な意味として捉え、また「家族なんて一度崩壊してみてもいいんじゃないの」という考えから、沈没家族という名前が出てきたと言われている。」(Wikipediaから)そうだ。
母親加納穂子がシングルマザーとなったときに、1人で土を育てる困難を前にして、いろいろな人に育ててもらうことはできないかと考えて始めた共同保育、そこに関わった人たちに十数年ぶりに会い、土がインタビューをしていく。

 

一緒に住んでいる人や母子も含めて一時は30人ほどが関わった共同保育。一人ひとりの言葉が子育てとか保育といったところに全く焦点化せずに、土とのかかわった自分史を語っていてとっても魅力的で自然。定職をもたない、子どもの扱いなど全く未経験のような男性が多く関わっているのもいい。

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土は映画をつくりながら、当時の彼らと出会うことによって「子ども時代」を追体験し、親子とか家族という狭い概念を超えて生かされてきたことに気がついていっていると思う。

 

一緒に住んでいた女の子に会うシーンもいい。友達でもない、きょうだいでもない子どもが一緒に住んでいた記憶を二人がどう語るか。ふたりの言葉が新鮮で優しい。

 

父親にも会いに行く。酒を呑みながらインタビューする土。どう思っているのかとかなりしつこく訊く土に父親はイラつく。どこかで土との「血」を強く意識していながら、共同保育の人たちから受けた疎外感が顔を出す。

 

それに比べて共同保育を経て土と八丈島に住んだ穂子さんが、島の障害者や老人とともに生きようとしている姿は対照的。2頭のヤギが自然な演技をしている。

 


今週、幼児二人の置き去り死を描いた山田詠美『つみびと』(2019年・山田詠美中央公論新社を読んだ。

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筆力が高い分一気に読まされた感はあるが、後半、登場人物が類型化していくようでやや興味をそがれた。

 

家族が一つのテーマなのだが、想像力を掻き立てられる事件ではあっても、穴ぼこを掘り続けるようなところがあって救いがないと思った。『つみびと』と『沈没家族』、対極にあるようなないような。


村田紗耶香の『地球星人』を間に置いたら? ちっともまとまらないけれど、希望や絶望を安易に語らないことも大事かなと思った。

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ちなみにこの穂子さんのお母さん、土君の祖母は、3月に亡くなった加納実紀代さん(1940~2019)。

 

70年代から90年代にかけて女性の戦争責任を考える「女たちの現在(いま)を問う会」の中心メンバーとして『銃後史ノート』を刊行した方。

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80年代に何度かお招きしてお話をお聞きした。切れ味鋭い分析と穏やかな語り口に当時私は一ファンを自認していた。映画には祖母としての実紀代さんは全く登場しない。

 

    『アナと世界の終わり』(2017年・米・英合作・98分・原題:Anna and the Apocalypse・監督ジョン・マクフェール・出演エラ・ハント・マルコム・カミングス・日本公開2019年5月31日)


「お父さん、ディズニー映画見るの?」と娘に云われたが、これ、ディズニー映画ではない。云ってみれば青春映画? ミュージカル仕立てのゾンビ映画でもある。

 

やや予告編に引きずられた感がないわけではない。よくわからないシーンもいくつかあったが、演技と歌と踊りで最後までしっかり楽しめた。こういう映画をつくろうという発想がかなりすごいと思う。

 

家族も友達もみなゾンビにやられながら闘い続け脱出する若者3人の行く先にも希望はほとんど見えない。それでも彼らは踊り歌う。

原題は直訳すれば『アナと黙示録』。

しっかりと大人の冷静な視点のある青春映画。

 

一つ難を云えば、歌と映像が別録りがありありで、一体感がないのが残念。

 

見逃し映画の覚え書き⑥ 『菊とギロチン』『追憶』『オー、ルーシー!』『ビブリア古書店の事件手帖』『音量上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ』

7月6日
県立こども医療センターへ紘人に会いに行く。

ようやく兄弟、祖父母の面会が許可に。

6月24日に心臓疾患の前段階の手術。3週間ほどの入院。3日に院内で生後2か月を迎えた。

10日ほどでICUからは出たが、まだ一般病室には入れない。病院の入り口で面会の届けを出し、3階の特別病棟の入り口で、今度は感染症のアンケートを記入する。

 

娘と暁人が待っている。大人は同時に二人までしか入れないきまり。私たちも交代で入る。

施錠を外し、アンケートを部屋の入り口の看護師に渡す。娘のダンナのあっちゃんが紘人を見ている。

 

 

乳臭い匂い。久しぶりだ。娘からのLINEで見ていた点滴や鼻の管はみな取れ、すっきりとした表情。母乳もしっかり飲んでいるという。やつれを感じさせず、時折ニコッと笑う。大きく見開いた目に強い力があると感じる。

 

帰り際、暁人に「明日から相撲始まるぞ、栃ノ心がんばるといいな」と声をかけるも、娘に引っ付いて心ここにあらずの表情。かろうじてハイタッチをして別れる。4歳になる兄は兄で、堪えることも多いのだろう。

 

クルマの中で二人とも面会者のバッジを返すのを忘れたことに気がつく。

 

見逃し映画の覚え書き⑥


菊とギロチン』(2018年・日本・189分・監督瀬々敬久・木竜麻生・公開2018年7月)★★

期待していただけに少しがっかり。アナキスト女相撲という対照はとっても新鮮。アナキストたちはやんちゃな男の集まり、女相撲には時代の情念が色濃い。それらが交叉するいくつものエピソードが切れ切れの印象。群像劇を意図しているのだとしてもまとまりを欠いていると思う。

 

3時間は長すぎる。思いの強さは感じるけれど、それを伝える精緻な方法が見えてこない。大正末期は表現者にとって魅力的な時代だと思うが、思い入れが強すぎてデフォルメしすぎるとリアリティがなくなる。残念。(TSUTAYA

 

 

『追憶』(2017年・日本・99分・監督降旗康男・主演岡田准一・公開2017年5月)★
幼少の頃に3人の子どもが犯した殺人が、時を経て重みを増して、それぞれの現在へ流れ込む。しかし、脚本の「あな」がたくさん見えてしまって興をそがれてしまう。岡田准一の演技過剰も鬱陶しい。本人のせいではないのだろうけれど、岡田は時代劇の方がよい。天童荒太の『永遠の仔』(1999年)のような精緻な心理描写があれば違うのだが。原案、脚本が安易だと思う。それに邦題であっても『追憶』といわれるとバーブラ・ストライザンドロバート・レッドフォードを思い出してしまう。(TSUTAYA

 

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オー・ルーシー!』(2017年・日・米合作・95分・監督平柳敦子・出演寺島しのぶ/南果歩/忽那汐里/役所広司/ジョシュ・ハートネット・日本公開2018年4月)★★★★

去年、映画館で予告編を何度も見た。あえて足を運ぶまでもないかという判断は、間違いだった。

 

ネットのレビューでは評価は割れているが、とにかく新鮮、随所で笑い、唸った。

 

アラフォーの独身女性(寺島しのぶ)が姪(忽那汐里)の相手である英会話講師に惚れて姪の母親(南果歩)と渡米、そこでのすったもんだが描かれるのだが、描き方が日本的な湿潤さが少なく、全体がよく締まっていてキレがある。

 

人が生きていることなんてこの程度の問題だよ、と切って捨てながら、それでも生きているって、金も必要だし、飯も食いたいし、セックスもしたいということ。

 

日本の映画なら「寸止め」にして情緒に走るところを、この日本人監督は止めずに突っ切っている。

ふつうに真面目に?生きていても、傍から見ればコメディになってしまうことなんてよくあることだ。まるめて捨ててしまいたい日常には、死だっていつも近くにある。その意味で冒頭の駅のホームのシーンは出色。忽那汐里の飛び降りもまた。


何にしても寺島しのぶの演技は第一級品。わずかな表情が万感を表す。南果歩忽那汐里のバランスも良かった。人気のジョシュ・ハートネットの演技がわかりやすくかえって日本的。役所広司を主演にしていないのもいい。小品だけど、満足。(TSUTAYA

 

『ビブリア古書店の事件手帖』(2018年・日本・121分・監督三島由紀子・出演黒木華夏帆野村周平成田凌東出昌大・公開2018年11月)★
三上延原作のベストセラーミステリー小説の実写化。原作はもちろん読んでいないが、なんとも軽い。黒木華古書店主、つくりすぎ。黒木の自然さをこわしている。最後まで見るのが辛かった。(TSUTAYA)

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『音量上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ』(2018年・日本・107分・監督三木聡・出演吉岡里帆/阿部サダヲ/松尾スズキ/麻生久美子/田中哲司・公開2018年10月)

           

ついていけず、30分で見るのをやめた。

 

後日、気になって見直してみた。

 

よくわからないうちにどんどん引き込まれ、最後までみてしまった。

 

これっていい映画だよね?と自問、うん、たぶんねと答える。

 

細かいところにいろいろなギャグが埋め込まれているようだが、私にはほとんど理解できない。それなのに映画に「力」があるように思えた。

 

ネットの映画紹介では賛否の分かれ方が激しく、数字的にはかなり低い。しかし平均点にはなんの意味はない。

 

3日経っても強烈な印象が薄れない。吉岡里帆、全力投球。阿部サダヲの狂気?最大限発揮。素晴らしい。映画の中にはないが、この歌、あとをひく。

 

読み飛ばし読書備忘録④文子、この時23歳。人生のほとんどを学校や師と無縁に過ごしたいわゆる無籍者。文字も思想もすべて自分の家族や虐げられた生活の中から掴んだもの。文子の凄絶ともいえるものの「掴み方」に驚かされるばかりだ。

7月6日

今日(4日)で3日連続の境川遊歩道の雨中散歩。らいは一緒に行けないので不満げ。

傘をさしていても風がないから気にならない。


雨でもカワセミは朝食の捕食に懸命。鮮やかな青を翻しながら水面すれすれを空気を切るように滑空する。細い枝にとまって上から餌を物色している。今日も小魚を食べているシーンを目撃。


この間まで、ランドセルを背負った姉弟と若い母親の3人連れをよく見かけたが、このところ姉だけが別行動。課外活動の都合なのか。家族のささやかな変化。

 


埼玉のYさんから「気まぐれ通信12号」が届く。B4版20ページ。不定期刊で近況が掲載されている。

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Yさんは埼玉の教員の独立組合の方。小学校の教員を43年間つとめた。私より2年ほど年長だ。お付き合いしていただいてかれこれ40年近くなる。今も現役の労組活動家。普段は公民館の夜間休日管理の仕事をしているとのこと。


通信には、読んだ本の紹介や「今日のお出かけ」「短信」などがあり、今回のメインは春のウオーキングイベントのレポートが2本。。

 

4月13日の28㌔「俳句の里・皆野吟行」は読んでいて、こちらまで気持ちが和らぐ春の一日の報告。皆野は金子兜太の故郷ということで「吟行」に。Yさん「…周りの山々や里が、濃淡の異なる緑を中心としたグラデーションで彩られているのを見て」
           「困民の里はまだらに春の色」
と一句ひねる。ゴールの秩父市役所広場で「投句掲示板」を見つける。短冊は80枚。金賞が1枚、銀賞が6枚。「銀の中の1枚に私の作品があったのにびっくり。何度も確かめてしまった」。入選では終わらずに、後日秩父市役所から荷物が届く。「入選句をボランティアが絵葉書にしました」。さらに秩父特産のメープルシロップを使ったお菓子の詰め合わせも。義理深いYさん「市役所にお礼状を書いた」とのこと。読んでいてこちらもうれしくなった。

Yさんらの案内で秩父困民党の足跡を歩いたのは、30年以上も前のこと。からだが動くうちにまた「秩父歩き」をしてみたいものだ。

 

 

読み飛ばし読書備忘録④


『星々たち』(桜木紫乃・2016年・実業之日本社・単行本2014年実業之日本社★★★★
「夫からは何の反応もなかった。桐子が和雄の態度に動揺することも、和雄が桐子や息子のことで心を動かすことも、もうないのではないか。寺から自宅までのあいだ、幾度となく右手に師匠の骨の軽さが蘇った。いつの間にか、からだは義務でしか、心は体裁でしか動かなくなっていた。」(151頁)

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塚本千春というという女性の遍歴を描いた9編の連作短編集。これも北の大地をさすらう女の物語。桜木紫乃の小説からはいつも北の海の潮の香りがする。新聞に連載されたカルーセル真紀の半生を描いた『緋の河』が新潮社から出た。地方紙で1年3か月連載したもの。私たちも毎日ほぼ欠かさずに読んだ。桜木は連載終了の文章に「ほかの誰にも書かせたくなかった。」と書いている。カルーセル真紀とは同じ中学の出身だとか。単行本となったのは第一部。第二部はこれから「小説新潮」で読めるらしい。

 

 

『女たちのテロル』(ブレイディみかこ・2019年・岩波書店)★★★★
 100年前の19世紀から20世紀にかけて、国家と対峙した3人の女性たち、金子文子、エミリー・デイヴィソン、マーガレット・スキニダーの生き方を国家を超えてつないで見せてくれた力作。エミリー・デイヴィソンはサフラジェット(イングランド女性参政権活動家)の武闘派活動家、マーガレット・スキニダーはアイルランド独立のイースター蜂起のときの凄腕スナイパー、金子文子の闘いの場のほとんどは獄中と裁判ではあったが、残された文章は、二人のラディカリズムにけっして見劣りしない。

 

こういう規格外れの悪魔が文子の内部に生まれた理由について鶴見俊輔は、彼女は小学校、中学校、高校という国家がデザインした教育の階梯を上らなかったからだと分析している。
「自分の先生が唯一の正しい答えをもつと信じて、先生の心の中にある唯一正しい答えを念写する方法に習熟する人は優等生として絶えざる転向の常習犯となり、自分がそうあることを不思議と思わないのに対し、文子には「これでいい」と認めてくれる先生は居なかったから、十分に分かった、これで卒業、ということはなかったというのだ。(思い出袋)」
しかも社会の「もぐり」として育った文子は、どんなに整然と解決しているように見える事象にも、その裏側にオルタナティヴが、必ずちょっと違う事実や次元やベクトルがあることを知っていた。だから、彼女の黒い知識欲は無限だったのである。(18頁)

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冤罪であった文子と朴烈の大逆罪の容疑の根拠は爆弾である。エミリーもマーガレットも直接的な武闘でもって国家に対峙した。国家は暴力をもって国家に立ち向かおうとする者に対して、己の暴力性を隠蔽しながら民主主義の仮面をかぶって(裁判で、法律で)徹底して弾圧、抑圧する。そうして国家自体が暴力装置であることを失念させるような仕組みを巧妙に準備する。100年後の香港政府しかり、辺野古の日本政府しかりである。社会に対して、体制に対してラディカルに向き合わざるを得ない状況に置かれたとき、テロリズムは一定の意義を獲得する。それは非暴力主義とはきわめて非対称な行為である。
 国家は執拗に転向を求める。それは処刑よりもさらに敗北感を募らせる。
 朴烈と金子文子に対して国家はすぐに「恩赦」を用意する。それは処刑するよりも民衆を慰撫するのに効果的であるからだ。

「・・・広大無辺なる聖恩に接した以上は、反省して真人間になることを信じます。くれぐれも広大なるご仁徳に感泣の外ありません。」(当時の首相若槻禮次郎の公式コメント)

これはまさに転向の勧めだ。死ぬことで自分を貫くことを国家は許さない。朴と文子の転向こそが天皇制国家に帰依する国民の「物語」の完結だ。

 

ふざけるな。と文子が思ったのは当然だろう。市谷刑務所長から恩赦の減刑状を渡されたとき、文子はそれをビリビリと破り捨てた。(略)あろうことか「聖恩」の書状を文子が破ったことはさすがにアナーキー過ぎて、こんなことが世間に知れたら政権が潰れる可能性があるかも、と心配した刑務所長は、記者団には嘘をついた。ふたりとも感謝して恩赦場を受け取ったなどという作り話を発表したのである。おかげで「東京朝日新聞」などは、さらにそれに尾ひれをつけ、規則さえ守れば釈放される日もあるだろうと言われた文子の眼に涙が光っていた、みたいなことすら書いていたそうだ。(214頁)

 

事実は伝わらなかったにせよ、これこそが文子のラディカリズムだと思う。形はどうあれ、20歳そこそこの女子が国家を震撼させたテロリズムそのものであったろう。

 

 

『何が私をこうさせたか 獄中手記』(金子文子・2019年・岩波書店、底本は1931年の『何が私をかうさせたか―獄中手記』)★★★★★

 文子の朴烈への同志としての思いは、公判で読み上げられた有名な言葉によく表れている。100年前のこの国の裁判所で声に出して文子はこれを読んだ。

「私は朴(ぱく)を知っている。朴を愛している。彼におけるすべての過失とすべての欠点を越えて、私は朴を愛する。私は今、朴が私の上に及ぼした過誤のすべてを無条件に認める。そして朴の仲間に対しては言おう。この事件が莫迦(ばか)げて見えるのなら、どうか二人を嘲(わら)ってくれ。それは二人の事なのだ。そしてお役人に対しては言おう。どうか二人を一緒にギロチンに抛りあげてくれ。朴と共に死ぬるなら私は満足しよう。そして朴には言おう。よしんばお役人の宣言が二人を引き分けても、私は決してあなたを一人死なせては置かないつもりです」

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文子、この時23歳。人生のほとんどを学校や師と無縁に過ごしたいわゆる無籍者。文字も思想もすべて自分の家族や虐げられた生活の中から掴んだもの。文子の凄絶ともいえるものの「掴み方」に驚かされるばかりだ。

 

「…それにしても村の人の生活をこんなにみじめにするものは何だろう。遠い昔のことは知らない。徳川の封建時代、そして今日の文明時代、田舎は都市のために次第次第に痩せこけて行く。/私の考えでは、村で養蚕ができるのなら、百姓はその糸を紡いで仕事着にも絹物の着物を着ていけば良い。何も町の商人から木綿の田舎縞や帯を買う必要がない。繭や炭を都会に売るからこそそれより遙かに悪い木綿やカンザシを交わされて、その交換上のアヤで田舎の金を都会に取られて行くのだ。/ところが、部落はもちろんそんなことをし得なかった。お金という誘惑があるものだからお金欲しさに炭や繭を売る。すると町の商人は、これにつけこんでこんな部落にまで這入ってくる。行商人は半襟を十枚ばかり入れたのがひと函、昆布や乾物類がひと函、小間物がひと函、さまざまな乾菓子を取り混ぜてひと函、といった具合に積み重ねた高い一聯の重ね箱に‥‥。(73頁)

 

家族との離合集散、あまりに主体性のない母、我まま勝手な父親、女中のように文子をこき使う朝鮮に住む祖母、文子のからだが目的の寺の住職の叔父、ご都合主義の社会主義者、優柔不断なキリスト者・・・まともに文子を認めてくれたのは朴烈だけだった。その朴烈に女として付き従うのではなく、アナキストとして対等に向き合おうとする文子の思想形成の凄さに何度も驚かされる。文子は、社会主義者も所詮権力を持ってしまえば民衆を抑圧することを先験的に掴んでいた。アナキズムこそ人々を愛することのできる「思想」であることを朴との関係の中で掴んでいった。


文子に在日朝鮮人に対する差別意識が皆無であることに驚く。家庭や学校における「教育」から無縁であったこと、最下層の生活で助けてくれたのが朝鮮人であったことがその理由として挙げられるが、権力構造を否定するアナキズムが文子の独自の「生活の思想」を支えたことも事実だろう。

 


『父と私の桜谷通商店街』(今村夏子・2019年・角川書店)★★★★

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6編の短編。「モグラハウスの夢」以外は、2016年から2017年にかけて雑誌に連載されたもの。寡作でありながらこの数年注目されてきた作家の作品集。どれも日常なのに日常から少しだけずれている。ずれているところにリアリティがある。「見慣れた風景が変容する」(帯のことば)、その方法というか仕掛けが鮮やか。

最新作『むらさきのスカートの女』も買ってしまった。

 

『路上』144号(2019年7月)
仙台の佐藤通雅さんの個人発行誌。20年以上毎月購読していて、何度か文章も書かせていただいたが、お会いしたことはまだない。河北新報の「河北歌壇」の選者を30年務める歌人。今号の「22首詠 訃の人として」からいくつか。


いつの間にか視野より消えしタレントが今朝よみがへる訃の人として


メール送ればすぐ返信の世となりて三日ほつとけば死んだかと思はる


「障がい」と書くを嫌ひなうたびとをひとり見つけしはけふの収穫


ひりつけるまぶたを見むに鏡面を開けば老いを深めゆく貌


柘植の実裂けず砕けず鉄色となれるを二階出窓に飾る

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ブカレスト在住のYさんがチェルノブイリツアーのレポートを送ってくださった。

 ルーマニア在住の友人Yさんが、6月に参加したチェルノブイリツアーのレポートを送ってくれた。彼はこのブログの最も遠隔地の読者(たぶん)。貴重なレポートなので皆さんにも紹介したい旨伝えると、快諾してくださった。

本文には写真が何枚もついているのだが、私のPCの技量の問題もあってうまく張り付かない。申し訳ない。悪しからずお許しのほどを。

Yさん、ありがとう。  

 

       

 

          チェルノブイリツアーに参加して
                                                                                 

                           ブカレスト在住 Y生
 

 6月16日(日)朝7時30分にホテルを出発。歩いて20分ほどのところにある「Kozatsky Hotel」が集合場所である。7時50分にホテルに到着。すでに10名近くの人が集まっている。国籍は様々だと思われるが、日本人の若い女性の方の姿も見えた。留学生?だろうか。ガイドへの受付を済ませバスに乗車。パスポート番号と名前があっているかどうか、しっかりチェックされる。申し込み時にアルバムを注文していたので、受け取る。5ドルだったと思うが結構厚みがあり、ずっしりと重い。

 

20人乗りのバスであったが、参加者は18名で、ドライバーとガイドを合わせると満席だった。バスは2台編成であったが、2台とも満席。ちなみに、私が参加したツアー会社は「Solo East Travel」であったが、他のツアー会社からも参加できる。人気のツアーということはネットの情報で知っていたが、予想以上の人気であると感じた。
 

 

8時15分、予定通り出発。キエフ市内も含め道路事情は良くないらしい。道が凸凹しているため、バスはかなり揺れる。車内ではチェルノブイリ原発事故に関するビデオが上映される。すでに見たことのある映像もかなりあった。英語だったので言っていることは半分も理解できず。こういうときに英語をもっと勉強しておけばなぁと思うのだが・・・。

 

車内でガイドから回される「重要事項説明書」にサインをする。「①長袖、長ズボンを着用すること。靴下は肌を露出しないもの。②制限区域内にあるものに手を触れないこと。③立ち入り制限区域内のものを外に持ち出さないこと。④立ち入り禁止区域内の地面に座らないこと。⑤屋外で飲食しないこと。⑥食べ物は密封されたものにすること。」など多くの注意事項が書かれてあった。

 

 10時25分検問所に到着。ここでガイドが検問所の係員に立ち入り許可もらっている。バスが何台も停まっており、かなりの人がツアーに参加していると思われる。写真をとってはいけないはずであったが、取っている人がいたので便乗して1枚撮影。特に注意はされないようだ。近くに小さな売店があり、チェルノブイリグッズ(Tシャツやマグカップなど)が売られていた。行列ができていたので、購入する人もいるのだろう。

 

 

10分ほど待って出発。次は本格的な入場(?)である。車内でe-Ticketを受け取る。バーコードが書いてある。受付に並び、バーコードをチェックしてもらう。ここでガイドからガイガーカウンターを受け取る。8組がガイガーカウンターを受け取っていた。ガイドが1台持っているので必要ないかとも考えたが、自由に測ったり写真をとることができるので、借りておいて正解だったと思う。車内でも、「今いくつだ。」という会話が聞こえてきたので、みんな心配なのだと思った。車内の放射線量は0.13~0.14マイクロシーベルト。前述ビデオの中で、キエフ市内は0.12くらいだということだったので、この辺りは市内と変わらないということか。

 

 

 最初に訪れたのはチェルノブイリの町。原発からは20キロほど離れており、それほど被害は大きくなかったようである。ここでは色々なモニュメントを見学。消防署の前には、事故直後に活躍した消防市たちのモニュメントがあった。この人たちも、真実を良く知らされないまま現場に行ったことを思うと、気の毒でならない。看板が並んでいる通路を歩く。これは事故のために退去させられた村や町のものだろうか。かなりの数である。ネット情報によると、ここは希望すれば戻ってきて生活してもよいということなので、高齢者を中心に戻ってきた人もいたようである。しかし、見学中に人を見かけることはなく、建物から音が聞こえたり、消防士が働いていたりという程度で、人が住んでいる感じはしなかった。ここもやがてゴーストタウンになるのだろうと思う。

 

 

 11時50分レストランで昼食をとる。車内で「ベジタリアンか、ポークかチキンか」と注文を聞いてくれた。妻はポーク、私はチキンを注文。イスラム系と思われる人もいたので、今はそういう配慮は当然のことなのだろうと思う。メニューはパン、サラダ、チキンとピラフのプレート、水であった。あまり期待はしていなかったが、それなりに美味しかった。チキンとポークなら、ポークの方が個人的には美味しいと思った。ここの線量も0.14とそれほど高くない。

 

 

 昼食後はいよいよ事故を起こした4号機へ。建設中のままストップしているの5号機と並んで、シェルターで覆われた4号機が見えると、車内の空気も変わる。窓越しにカメラを向けて写真を撮っている人が多い。4号機と5号機が見える場所でバスは一旦停車。外へ出てガイドが説明しているが、ここでもほぼ理解できず。もう少しゆっくり話してくれたら、わかることも多いのだが・・・。線量も0.90前後と高くなってきた。

 

 

再びバスに乗車する。バスはだんだん4号機に近づいていく。4号機のすぐ近くに停車、ガイドが「降りろ。」という。降りて大丈夫か?といささか不安になったが、とりあえず降りてみる。線量は1.27と、やはり高い。キエフ市内の10倍だ。目の前で見る4号機は、大きなシェルターに覆われているので、非常に威圧感を感じる。原子炉内部の様子を見ることはできないが、厚いコンクリートの壁で「石棺」を作り、それも老朽化したのでシェルターが作られたということだ。このシェルターが何年もつかはわからないが、数十年後にはさらに外側を覆う工事が必要なのだろうか。終わりの見えない作業である。4号機に向かう途中、数名の作業員を見かけた。

 

 

 

 4号機を後にして、次は原発から4キロのところにあるプリピャチの町へ。ここは原発で働く人のために作られた町で、いわゆる「原子力村」ということになる。町に向かい途中Red Forest(赤い森)付近に停車。ここは今でも線量が高く、人が立ち入ることはできない。原発事故があった時、放射線の影響で松の木がオレンジ色に変色してしまったため「赤い森」と呼ばれるようになったとか。ガイガーカウンターを見ると、線量が急に上がり、警報音が鳴り始める。嫌でも緊張感が高まる瞬間だった。線量は最大4.0を超える。実にキエフの40倍の線量だ。事故から30年以上が経過しても、なおこれだけの線量が残っている。原発事故の恐ろしさを実感した。

 

 

 バスはプリピャチの町へ。ガイドが「ここはゴーストタウンだ。」というだけあって、まったく人気はない。もともとはきれいに整備された道路や建物が立ち並んでいたところが、いまは木が生い茂り、森になっている。ところどころに建物や看板が見えるので、確かにここには、かつて町があったようだ。

 

 

車を停めて下車。水を忘れずに持っていくようにと、ガイドから指示がある。ここからはかなり歩くようだ。森の中の小路(かつてはにぎわっていたであろう道路)を、ガイドの後に続く。途中子どもが歩いている看板が見えた。通学路か横断歩道の標識だろうか。こういう標識が、かえって生々しく感じられる。森を抜けたところで、ガイドの説明があった。事故前の“この場所”の写真を見せてくれる。かつては大きな道路があり、その向こうに大きな建物が見える。スポーツセンターだったところである。今は木しか見えない。33年という歳月の長さを感じる。さらに奥へ入っていくと、そのスポーツセンターが現れた。壁はなくなり、がれきや板が散乱している、まさに廃墟ということばがぴったりの場所である。建物の中に入っていくと、広い部屋に出た。体育館だ。リングとネットがなくなり、ボードだけになったバスケットのゴールが、ここか体育館であったことを物語っている。階段を上って2階へ。ここはプールだ。飛び込み台もある、かなり大きなプール。プールのまわりはかつて大きなガラスに囲まれており、明るい日差しがプールに差し込んでいたと思われるが、今は木に覆われているので薄暗い。森に囲まれているだけあって、蚊が飛びかっている。虫よけスプレーを持ってくれば良かったと思った。

 

 

 

 スポーツセンターを後にし、さらに進んでいく。次の訪問地は学校だ。机やロッカーらしきものが散乱している。2階に上がると、ガスマスクが大量に、無造作に置かれていた。放射能を防ぐためのマスクであろうか。テキストらしきものも一緒に開いたまま置かれている。ロシア語(ウクライナ語か?)なので全く読めないが、さし絵からマスクの付け方とか、そういった内容だと想像した。しかし、マスクをつけるとかつけないの前に、何よりもその場を離れることが第一ではないかと思うが、当時のプリピャチの人々には、その場を離れることは選択肢になかったのだろう。いち早く、正しい情報を提供することが、どれだけ多くの命を救うことになるか、当時の為政者たちは考えなかったのだろう。もっとも2011年3月12日の日本でも、それほど差はなかったと思われるが。チェルノブイリの教訓を何一つ学んでいなかった、学ぼうとしていなかったかがよくわかった。

 

他の参加者も熱心に写真をとっている。私と同様にスマホの人もいるが、本格的なカメラを持ってきている人も数名。教室には掲示板や椅子、机が散乱している。確かにここは学校だったのである。外に出て線量計を見ると、0.94を示していた。キエフ市内の8倍程度の線量である。
 

 

さらに奥(奥という表現が正しいかどうかわからないが)へ進むと、サッカーのスタジアムだったところに到着した。かつて照明があった鉄塔から、スタジアムを忍ぶことができる。荒れ果てたスタンド、その正面には緑の芝生のコートがあったはずだが、今はもうない。やはり木に覆われ、アスファルトの下から根が盛り上がっている。「次はとても面白い場所だ。遊園地だぞ。」とガイドが話すと、「イェーイ。」とノリの良い参加者が声を上げた。まさにその通りで、遊園地は楽しい場所なのだ。しかし、ここはちがう。もう動くことのない観覧車。ゴンドラの下にガイドが線量計をセルフィーにくっつけて差し込むと、激しく警報音が鳴り響いた。線量計は、何と9.1を示している。参加者も一斉にカメラで写真を撮っていた。場所によっては、このように今でもかなり高い線量の場所があるという。目に見えない放射能汚染の恐ろしさを体験することになった。

 

次に訪れたのはスーパーマーケット。カートが置かれていたり、商品案内の看板がそのままになっている。ここでも、ガイドが事故前の写真を見せてくれたが、多くの人々が訪れ、にぎわっているようであった。
 

 

ツアー最後の訪問地は、ソ連の対ミサイルレーダーである。バスを降りて少し歩くと、巨大な建造物が突然現れる。幅700メートルというから、かなりの大きさである。冷戦時代の遺物といったところだろうか。

 

これでツアーは終了。帰りにお土産や飲み物を売っている店に立ち寄る。お土産といってもマグカップやTシャツくらいで欲しいものは何もない。飲み物やアイスクリームを買っている人が多かったが、何も買わなかった。立ち入り制限区域を出る際には、放射線量を測定する機械を通ることになっている。2か所あるので、そこで高い放射線量が出ると区域外に出られなくなるとか(ネット情報)。無事に通過し、最初にパスポートチェックを受けた場所に停車する。売店は相変わらず10名くらいの行例ができていた。午後7時頃キエフ市内の独立広場に戻ってくる。ドライバーに100UAHとガイドに200UAHのチップを渡して11時間以上のツアーが終了した。

 

 

気温は30度を超えている上に長袖を着ているので、とにかく暑かった。バスもエアコンをかけているものの、効いているのか効いていないのか、ないよりまし程度だった。バスはまあまあいいバスだったのに。ガイガーカウンター、アルバムと合わせて、二人で190米ドル。日本円で20000円と少し。これだけのものを見ることができたので、行くだけの価値は十分あると思う。
 

チェルノブイリ原子力発電所の事故が起こったのが、1986年4月26日。あれから33年以上経過しているが、立ち入りは厳重に制限・禁止されており、当然人が住むことも難しい。放射線量も、キエフ市内と比べるとずっと高い。横浜市放射線量が0.046マイクロシーベルト(6/22)となっていたので、いかに高いかが良くわかる。チェルノブイリは、ウクライナ政府が2010年12月から立ち入りを許可してから、ツアーが行われるようになったようだ。事故から24年後のことだ。ツアーに参加すれば、チェルノブイリの現状を誰でも見ることができるし、ツアーに参加した人たちは、嫌でも原子力発電の安全性について考えるようになるだろう。

 

福島はどうだろう?事故から8年経ち、メディアで報道されることもほぼなくなっている。今どうなっているのか、今後どうするのか、よくわからない。また、20年後に福島第1原子力発電所ツアーなんてできるのだろうか。できるレベルまで放射線量を下げることができるのか。ツアーを実施するかどうかは別として、きちんと現状を公開するような仕組みは作るべきだと思う。チェルノブイリであったことをなかったことにできないのと同じように、福島で起こったことをなかったことにはできない。

 

もっとも、あったことをなかったことにするのは、現政権の得意技のようにも思えるのだが。福島原発の現状について、自分自身も関心が正直薄れていたところだったので、今回のチェルノブイリツアーに参加したことは、改めて日本の原発事故について考えるよい機会であったと思う。

 

福島の事故処理がどうなっているのか、今後の見通しは立っているのか、わからないことばかりだ。汚染水の処理はどうするのか、作業員の健康はどうやって守るのか、考え始めるときりがない。私たちの命や生活に直結する問題なのだから、一人ひとりが主体的に考えないと、なあなあで物事は進んでしまう。オリンピックなんてできるのですか?とあらためて思う。もっとやらなければならないことは他にあるのでは?もっとも、そういう人たちを選んでいる我々の責任もあるのだが。これからも、自分自身原発の問題には向き合っていきたいと思うし、子どもたちにも考えてほしいと思う。そのためにも、色々な視点から情報を収集したいし、現地にも行ってみたい。帰国したら福島にも行ってみようと思った。

                               終わり