4年半ぶりの会津。

久しぶりの帰省。コロナに阻まれた4年半。

大学入学で会津を出てから、こんなに長いこと帰らなかったことはない。

2泊3日の小旅行。

新横浜から新幹線を乗り継いで北上する。

こだまは案外込んでいる。通勤の人たちだろうか。

東北新幹線からは旅気分。久しぶりに午前中のビール。

 

郡山から磐越西線に乗り換える。

帰省するごとに乗り継ぎのいい時は乗るのだが、本数が少ないので、近年は磐越道を走る高速バスを利用することが多かった。込まなければこっちの方がかなりはやい。

久しぶりに車窓から眺める磐梯山はまばらに雪を抱いている。

遠くに見える飯豊連峰?は真っ白。冬と変わらない。富山市から見える立山連峰とまでは言わないが、違うのは高さだけ。(写真は会津美里町あたりから)

会津若松のホテルに2泊。2人の実家はもうない。

Mさん運転のレンタカーで、会津若松から会津坂下会津美里、喜多方、会津柳津などをめぐった。

横浜は桜が散りかけだったが、会津はちょうど真っ盛り。ソメイヨシノだけでなく、枝垂れ桜が至るところに。

 

通り過ぎる集落の中には、庭に桜の木が植えてある家が何軒も。横浜ではあまり見かけない珍しい光景。

大ぶりの桜で、花見に行かずとも、花見ができる。

阿賀川の支流の何本もの川の河岸にも等間隔に桜が植えてあって並木になっている。

親戚の人に案内してもらったが、しかし人出があるわけではない。

 

人出が多いのは特定の場所。

レンタカー屋にいく時に乗ったタクシーの運転手によると、13日には会津若松鶴ヶ城公園の駐車場は進入禁止になっていたとか。花見客で大渋滞だったそうだ。

 

もう一つ、近年、花見の名所となっている旧国鉄日中線あとしだれ桜ロード。こちらはMさんの親戚の方々とともに歩いたが、大変な人出。

ほとんどが旅行者のようだ。外国人も多い。

この通りが3キロほども続いている。SLや線路も展示されている。
サイクリングロードにもなっているらしい。

 

親戚まわりに2日。最終日は観光を少し。中田観音を経てパールラインという信号のない農道を西に向かう。柳津に近い道路の両側には水仙が数キロにわたって植えてある。

車はほとんど通らないが、人の手が入っているのが嬉しい。

 

会津柳津の斉藤清美術館。ちょうど新しい企画展が始まったばかり。

斎藤は1959年、損保会社AIGの創業者コーネリアス・ヴァンダー・スターの招きでパリの地を踏み、1ヶ月半にわたってパリの街を歩き尽くしたそうだ。その時の膨大なスケッチを帰国してから作品化していったという。

デッサン、版画が展示されている。どれもこれも声が出そうになる程、センスに溢れている。

 

時代は100年ほどもずれているが、絵の背後からエリック・サティの明るい三拍子のピアノが聴こえてくるようだ。

 

もう一つの企画は、PHISICAL BEAUTY 斉藤清✖️ヌード。

こちらは抽象度が増してデフォルメされた造形美の版画群。木肌の違いが面白い。

斉藤は会津を描いた作品群の印象が強く、常設もそうしたものが中心だったように考えていたが、今回全く違い傾向の作品が並んでいて新鮮だった。

 

www.town.yanaizu.fukushima.jp

館内には塗り絵のコーナーや版画のコーナーも。どちらも実際に作業ができるような仕組みになっている。

 

また、筑波大学の学生とのコラボによるさまざまな取り組みも展示されている。よくわからないが、どれも斬新で新鮮に感じられた。

館内の只見川に向かって開いている大きな窓から、桜と菜の花畑を散策する人々の様子が見える。

穏やかな春の日、私たちも風に吹かれながら散歩。この日の最高気温29℃。

もう1ヶ所、いつも寄るところがある。

私が生まれた町にある国指定の重要文化財、恵隆寺というお寺にある立木観音。高さ8.5mの千手観音だ。

一木彫で現在も床下には根があるのだそうだ。

その左右には二十八部衆が四段、一番上に風神雷神が配されている。

拝観できるのは、お堂の中のわずかなスペース。人が7、8人しか立てない。下から見上げる観音立像と二十八部衆はすごい迫力だ。

恵隆寺は真言宗のお寺。創建は舒明6年(634年)、恵隆によって高寺というところに作られる。

775年、北越蝦夷の反乱で焼失、804年に再興が企図され、空海坂上田村麻呂が協力したとされる。

808年、この千手観音像が開眼、伽藍も建立される。1190年に現在地に移転、再出発したとされる。奈良、平安から仏都会津と称された地域の一つのメルクマールだったようだ。

生家のあった会津坂下は昔も今もこれといった特徴のない町だが、こんな貴重な仏像がある。

町名は坂下と書いて「ばんげ」と読む。アイヌ語のバッケ(坂の下という意味)に由来するという。

 

観音堂もやはり国指定の重文。明治、大正時代にはともに国宝に指定されていたとリーフレットにある。

この観音と、野口英世の母がお参りしたという中田観音、喜多方の西、野沢というところにある鳥追い観音の三観音を「ころり観音」と称して、観光バスが訪れる。

いずれも抱きつき柱が堂内に配され、抱きつけば長患いすることなくころりといけるという。

恵隆寺の山門。本堂はこの奥にある。

 

 

2024年4月の映画寸評② 『青春ジャック止められるか、俺たちを2』 『戦雲(いくさふむ)』

2024年4月の映画寸評②

<自分なりのめやす>

お勧めしたい   ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

みる価値あり   ⭐️⭐️⭐️⭐️

時間があれば     ⭐️⭐️⭐️

無理しなくても  ⭐️⭐️

後悔するかも   ⭐️

 

『青春ジャック止められるか、俺たちを2』(2024年製作/119分/日本/脚本・監督:井上淳一/出演:井浦新 東出昌大 芋生悠 杉田雷麟 他/劇場公開日:2024年3月15日)   4月10日日kiki ⭐️⭐️⭐️

 

若松孝二監督が代表を務めた若松プロダクションの黎明期を描いた映画「止められるか、俺たちを」の続編で、若松監督が名古屋に作ったミニシアター「シネマスコーレ」を舞台に描いた青春群像劇。
熱くなることがカッコ悪いと思われるようになった1980年代。ビデオの普及によって人々の映画館離れが進む中、若松孝二はそんな時代に逆行するように名古屋にミニシアター「シネマスコーレ」を立ち上げる。支配人に抜てきされたのは、結婚を機に東京の文芸坐を辞めて地元名古屋でビデオカメラのセールスマンをしていた木全純治で、木全は若松に振り回されながらも持ち前の明るさで経済的危機を乗り越えていく。そんなシネマスコーレには、金本法子、井上淳一ら映画に人生をジャックされた若者たちが吸い寄せられてくる。

前作に続いて井浦新若松孝二を演じ、木全役を東出昌大、金本役を芋生悠、井上役を杉田雷麟が務める。前作で脚本を担当した井上淳一が監督・脚本を手がけ、自身の経験をもとに撮りあげた。

全編、80年代前半の小ネタ満載。懐かしいし、笑える。いつもはクールな役どころが多い井浦新がかなりデフォルメした形で若松孝二を演じる。解けることなく最後までなり切っていた。

木全を演じる東出も毒がなく、らしくないのがいい。監督自身を演じる杉田雷麟もちょっとありえないほど間抜け。

金本を演じる芋生悠は存在感あり演技もいい。80年代の在日の指紋押捺拒否の時代。

女で才能がなくて在日であることが三重苦だという「鬱屈」をよく表現していると思った。この辺りの脚本に共感した。

高校生で指紋押捺を拒否、大学卒業後、東京新聞に入社、スポーツライター記者となった横浜の辛仁夏さんのことを久しぶりに思い出した。

85年は指紋押捺をめぐるあつい時代だった。押捺拒否の運動を支援し、在日文学を意識的に読むようになったのもこの頃だ。

そんなこんなを思い出させる映画だった。

 

 

『戦雲(いくさふむ)』(2024年製作/132分/日本/監督:三上智恵/劇場公開日:2024年3月16日) 4月10日kiki ⭐️⭐️⭐️⭐️

 

「標的の村」「沖縄スパイ戦史」の三上智恵監督が、沖縄など南西諸島の急速な軍事要塞化の現状と、島々の暮らしや祭りを描いたドキュメンタリー。
日米両政府の主導のもと、自衛隊ミサイル部隊の配備や弾薬庫の大増設、全島民避難計画など、急速な戦力配備が進められている南西諸島。2022年には台湾有事を想定した日米共同軍事演習「キーン・ソード 23」と安保三文書の内容から、九州から南西諸島を主戦場とする防衛計画が露わになった。
三上監督が2015年から8年間にわたり沖縄本島与那国島宮古島石垣島奄美大島などをめぐって取材を続け、迫り来る戦争の脅威に警鐘を鳴らすとともに、過酷な歴史と豊かな自然に育まれた島の人々のかけがえのない暮らしや祭りを鮮やかに映し出す。(映画.com)

与那国、石垣、本島、奄美馬毛島と、九州から南西諸島に至る自衛隊の配備やミサイル部隊の配備などの実態が克明に描かれている。

数年前に石垣島を訪れた時に、自衛隊配備で揺れていたが、今ではかなり実体化が進んでおり、暗澹たる気持ちにさせられる。

映画は、島の歴史や反対運動の実相、賛成派、反対派の論理を丁寧に掬おうとしている。

見ておくべき映画だ。

ただ、テレ朝系のテレメンタリー2024は、宮古島石垣市への合併反対運動から説き起こし、自治体として台湾はじめ独自の自治体交流が、自衛隊配備によってその力が削がれていく過程を丁寧に描いていた。

自衛隊配備の問題を住民自治の問題としてきちんと捉え、その政治活動についてもしっかりレポートされていた。

それに比べ、「戦雲」はやや個人や文化に傾きすぎたかとも思えた。

タイトルの「いくさふむ」は、石垣につたわる「とぅばらーま」の歌詞「また戦雲(いくさふむ)が湧き出してくくる、恐ろしくて眠れない」に由来しているという。

 
 

「大丈夫、誰も私を刺すことは出来ないわ」という自信が小池にはあるのだろう。 権力者の間を渡り歩いてきた彼女なりの処世術が、今度もものを言うのだろうか。

小池百合子が記者会見。

文藝春秋youtube、テレビでのいくつかの学歴詐称についての報道にコメントをしている。

カイロ大学から卒業証書をもらっている、なんの問題もない、選挙になるとこの話題が出る、残念だ、といったところ。

堂々としたものである。

政治家が嘘をつく時は、逡巡や狼狽は御法度。悠揚迫らぬ態度で、が原則。

安倍元首相のように、だ。

先日の裏金問題での政治家諸氏はやや狼狽の色が見えた。

小池百合子には敵わない。嘘は彼女のようにつくべし。

凡人にはできないこと。

政治的判断というのは、事実を捻じ曲げてクロをひたすらシロと言い続けることだが、

中には、一度ついた嘘が事実だと勘違いし、そのまま思い込んでしまう人もいる。

こういう人は、証拠を突きつけられても、証拠が間違っていると言う。

 

 

石井妙子氏の『女帝 小池百合子』(2020年・文藝春秋・1650円)は、読み応えのある小池の一代記。カイロで都合3年間同居していたという女性は、文庫版では北原百代さんという実名で登場している。

今回はyoutubeで石井氏の質問に答えている。

 

また、都民ファーストの会の元事務総長小泉敏郎氏のyoutubeも見た。カイロ大学の声明は自分が小池氏に相談して画策したという。

 

しかし、状況証拠は山ほどあるが、いずれも確たる証拠はない。そこが小池の強みである。

 

政治家の学歴詐称は、公職選挙法235条で、当選をする目的で候補者の身分、職業、経歴などに関して虚偽の事項を公にした者は2年以下の禁錮または30万円以下の罰金に処する、としている。

しかし、規定は故意犯だけが対象で、仮に公表した経歴が虚偽でも、本人が認識していたと立証できなければ罪には問われない。

 

本人が認識していたどころか、小泉氏が自分で画策したことを暴露しているのだが、小池は「記憶にない」としらばくれている。

相談の時の録音があれば。証拠になるが。

 

同居していた北原百代さんは、小池が2年に編入したことと3年の試験に落ちたことをを記憶している。お話の信憑性は十分だが、これも伝聞証拠。

 

捜査当局が動かなければ、嘘は嘘にならない。

ここが政治。「大丈夫、誰も私を刺すことは出来ないわ」という自信が小池にはあるのだろう。

権力者の間を渡り歩いてきた彼女なりの処世術が、今度もものを言うのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

『椿の海の記』をみる。

ずいぶん春めいてきた。境川河畔をわたる風はやわらかく、微風が桜の花びらを散らしている。

今年の桜は長持ちした。入学式どころか今日明日の土日も十分花見が愉しめそうだ。

 

柴犬のリクちゃんを連れた安藤さん、オオシマザクラの下で3人+1匹で立ち話。安藤さんは、ソメイヨシノに比べオオシマザクラはどことなく品があるという。花びらが小さく凝縮しているからだという。

大ぶりなこのオオシマザクラは、片道30分ほどかかる散歩道の中で、ひと木ウェア目立つ存在。立ち止まって写真を撮っている人も多い。

安藤さんの話は、問わず語りに続く。

 

46年前の結婚したこと。大学が一緒だった奥さんは都心の会社のOLで、自分は相模原の三菱。やあ、差がつきましたよ、という話や、横浜線が冠水すると総務課の同僚に連絡し、早めの退社を催促し、実際15時ごろには退社できたこと、自分達の世代は会社のバッジを常時つけずに課長に怒られたこと、退職しても自分は退職者バッジは無くしてしまったことなど、伺うほどに安藤さんの人生が少しずつ見えてくる。団塊の世代の安藤さん、どこか反骨なのだろうか。同じ話は出ない。

 

岸政彦さんの『東京の生活史』(筑摩書房・2021年・4620円)は150人の市井の人々の個人史の聞き書きだが、安藤さんのお話はこの本を読むような感覚。

寝床に置いて、折々に読むのだが、面白い。昨年、『大阪の生活史』も出たが、こちらはまだ手が出ない。ごく普通の人々の人生は、百人百通りだが、その語り口によっても

受ける印象は違う。同じような経験ではあっても、人生の節々の出来事を心残りとして語るのか、心残りはあってもいくばくかの満足感を込めて語るのでは、受ける印象はかなり違う。東京と大阪でも語り口はかなり違うのではないか。

 

安藤さんのお話は、「いい人生を送ってきた」という満足感がこもっている。

自分はどうだろうか。個人史を個人的に話す機会などないが。

 

4月8日(月)鵠沼海岸井上弘久さんの

『椿の海の記 もうひとつのこの世を求めて 第2章「岩どんの提灯」より』(原作:石牟礼道子 出演・構成・演出井上弘久)

を見に、2人で出かける。

 

鵠沼海岸は、小田急江ノ島線藤沢駅から2つ目。初めて降りた。

駅前の通りは狭いが、下町ぽくっていい感じの街並み。

徒歩3分くらいのところにある「シネコヤ」という映画館が会場。

座席数20席という、日本でも極小の部類に入る映画館。

14時前に着いたが、すでに並んでいる人たちがいる。

入口を入ると、

サロン風のスペース。映画に関する本が並んでいる。

今かかっている映画は、エリセの『ミツバチのささやき』と『瞳をとじて』。

 

チケットは事前予約制。電話で予約した。電話口には井上さんが出た。

 

窓口で順に購入するのだが、人数は少ないのに、これがなかなか進まない。自分の番が近づいて理由がわかった。

皆それぞれ、チケットを受け取ると同時にドリンクを注文している。ドリンクはあとから座席まで届けてくれるシステム。

受付の女性は、穏やかなおっとりした雰囲気を纏っていて、急がない。

 

スクリーンは急な階段を上った2階。

こんな雰囲気。

普通の映画館の座席を並べれば、40人程度は入るかもしれないが、あえてソファとテーブルを備え付け、ゆったりと鑑賞できるようになっているようだ。

 

2人掛けのソファに坐ったらすぐに「赤田さん!」と声をかけられる。

教科書問題に取り組んでいる厚木のYさん。

通信を送ってくださるときには、必ず一言文章を添えてくださる方。

 

さて本編。

最初の30分は作品紹介。石牟礼道子と「椿の海の記」をめぐってのお話。

そして第二部が「カリンバ弾き語りによる独演「椿の梅の記」。

 

たった1人で、カリンバと鈴を伴奏にして語る。

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90年前の水俣の世界。4歳の幼児である石牟礼道子(みっちん)の視点から語られる水俣の川向こう「とんとん村」の人々。隠亡の岩どんやハンセン病患者の徳松どん、父親の亀太郎、祖父の松太郎。楽天的な母親の春乃。

ときにどっしりした老人、ときに精神を病むおもさまと呼ばれる祖母、ゆったりした岩どんを演じながら、井上さんはみっちんになったとき、顔もカラダもかわいらしく小さくなる。

語り手は執筆当時40歳後半の石牟礼道子

目の前に水俣の海がたゆたっているような、不思議な感覚。

井上さんの全身から伝わってくるなんとも言えない温かい世界。70分を超える舞台を井上さんは滞ることなく演じ切った。大変な熱演。

これもまた貴重な民衆の生活史。

 

いい時間をすごさせてもらった。

www.tsubaki-dokuen.com

 

 

 

 

 

辻原登さんと山内若菜さん

今朝、散歩時の気温が18℃。ツバメを見た。これもまた春の兆し。

鶴間小学校ではグランドで始業式だろうか、児童が全員整列して坐っているのがみえる。

「また、学校始まるんだね」とMさん。

 

帰途、再び鶴間小学校。式はまだ続いている。離退任式でもやっているのだろうか。

40分以上経っているが、児童は地面に体育すわりですわったまま。

曇り空とは言え、そこまでしてやることだろうか。

意味のある我慢ならわかるけれど。

 

昨日、神奈川近代文学館

   「文学・どこへいくのか 第II期 作家が受け継ぐもの」

 

講師は作家の辻原登さん。編集者・文芸評論家の湯川豊さんと尾崎真理子さん。

通路側の座席を取ろうと早めに着いた。

整理番号をもらってから、開催中の「帰って来た橋本治展」

を早足でみる。20日も来るので、そのときはゆっくりと。

 

2階ホールの会場前の長テーブル3つに本が積み上げられている。

全て辻原さんの著作。サイン会と販売かと思いきや、

「無料配布しています」

とのこと。びっくり。10数種類の著作がランダムに並んでいる。

中から読んだことのないもの5冊をいただく。どれもきちんと保管されていたことがわかる。

 

3人のお話、面白かった。

辻原さんは自分の作品の源流を谷崎潤一郎大岡昇平だという。

しかし、2人が源流だということを知られないように書くことに気をつけて来たそうだ。

大学で近代小説論を論じていただけに、ヨーロッパの近代小説の影響を受けた日本の小説についての分析が精細で興味深かった。

小説は所詮、放蕩息子と不良少女の話、だという。

 

湯川さんとのやりとりも面白かったのだが、最後に尾崎さんが

「現在のような風潮にあって作家はどのようにものを書いていくべきか」

といった質問をした。

辻原さんは、

「作家も編集者も、そういう流れに必要以上に敏感になっていて、なぜそうしたものが出て来たのかということを考えない思考停止状態になっているのではないか。」

「やっていけないのは、盗作だけ。作家は、自分が書きたいものを書き、物議を醸せばよい。作家というのはそういう存在」と。

 

 

朝、

東京新聞で山内若菜さんの文章を読んだ。

上・下2回の連載。

「上」を読んだ時、いい文章だと思い、その旨メールで伝えた。

「美術界からは嫌われているこの頃、なんだか勇気づけられました」と返信があった。
「下」には、
「善の顔をした悪は、正義の名の下に戦争を始めたり、原発を動かし事故があれば、なかったかのようにする。だが、どんな戦争も絶対悪であり、原発のように人道を脅かす存在には声を上げ、わかりやすく描き、絵で大騒ぎするのが、表現の中で最も大切なことのように思う」
とあった。
小説で「物議を醸す」という辻原さん、絵で大騒ぎするという山内さん、共通するものがあると思った。
 
20日松家仁之さんの話がある。楽しみである。

 



 

散歩、病院、3人展

朝刊がビニールで包まれている。明け方まで雨が降っていたようだ。開けた玄関ドアから入ってくる空気が少し湿気を帯びている。乾燥に慣れたカラダには気持ちがいい。明るくなるにつれ、日差しも出てくる。春らしい朝。

 

散歩の途中、そろそろ亀が出てくる頃だねと話していたら、向こう岸に体長30cmほどあるクサガメが2匹、並んで崖をよじ登ろうとしている。カワセミも上下を行ったり来たり。鶯の初啼きは、今年は瀬谷図書館の前の林で聴いた。

 

歩いていると、そこここの名前の知らない樹木の新葉がいちように輝いている。まさに万物が萌え出づる季節。

 

桜は散る兆しもなく、満開の状態を保っている。横浜市の学校の入学式は明日8日の月曜日。入学式は5日というのが通例だったのだが、3日も遅い。入学式に桜が満開だったというのは1、2度ほどしか経験がない。8日で満開は珍しい。

 

今月半ば、4年ぶりに帰省の予定。楽しみの一つは、日中線の桜並木。ネットで見るとまだ蕾状態。例年通り中旬から下旬に咲き出すらしい。

 

金曜日、昭和大学藤が丘病院の診察。2019年に胃がんを手術した。5年目になる。

毎年1回の内視鏡検査。そのための診察。手術をしてくれたYドクター。診察室の入り口には「助教」と書いてある。大学病院の身分制度。でもやることは変わらない。

病院に着いて会計が終わるまで35分間。以前はもっと待たされたのだが。検査は2ヶ月後に。

 

地下鉄とバスを乗り継いで、鶴見駅へ。

同僚だった郷右近さんの3人展。

受付にいた郷さんと30分ほど立ち話。病気の話と卒業生の話。

写真の説明はありません。

郷右近健二「横浜百景」から

2024年4月の映画寸評①と大谷のファインプレー

11時からBSNHKでドジャースジャイアンツ戦を見る。前半は真面目に、後半は大谷中心に。2打席目だったか大谷はファーストゴロで全力疾走。打球は早く、普通なら捕球したファーストがカバーのピッチャーにトスしてアウトのケース。しかし驚くことに大谷はピッチャーより1m近く早く1塁ベースに辿り着いていた。ピッチャーがカバーに入るのが遅れたのかとリプレイを見るが、そんなことはない。これで1、3塁。

続く次打者のフリーマンが3塁線を抜くヒット。どう見ても1塁ランナーの大谷は3塁までの進塁が限度。下手すれば3塁でアウトになることも。しかし、大谷、これも全力疾走でホームにスライディング。セーフ。リプレイを見ると、瞬時躊躇してからのスタート。加速の速さとベースランニングのうまさ。

二つのプレイに唸っていたら、4打席。とうとう来た。乾いた音がスタジアムに響く。右中間スタンドへのホームラン。1点差でドジャースの勝ち。結果的に大谷のホームランの1点が効いた。

大谷のファインプレーだらけの一戦。

 

 

2024年4月の映画寸評①

<自分なりのめやす>

お勧めしたい   ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

みる価値あり   ⭐️⭐️⭐️⭐️

時間があれば     ⭐️⭐️⭐️

無理しなくても  ⭐️⭐️

後悔するかも   ⭐️

 

『コットンテール』2023年製作/94分/イギリス・日本合作/原題:Cottontai/脚本・監督:パトリック・ディキンソン/出演:リリー・フランキー 錦戸亮 木村多江 他/劇場公開日:2024年3月1日) 4月3日kiki ⭐️⭐️⭐️⭐️

 

リリー・フランキー演じる妻を亡くした男の家族再生を描いた日英合作映画。
兼三郎は妻・明子の葬式でしばらく疎遠となっていた一人息子の慧(トシ)とその妻さつき、孫のエミに久しぶりに会う。酒に酔い、だらしない態度をとる喪主の兼三郎に、トシは苛立ちつつも気にかけていた。開封された明子の遺言状には、明子が子どもの頃に好きだった「ピーターラビット」の発祥地であり、夫婦で行きたいと思っていたイギリスのウィンダミア湖に散骨して欲しいという内容が描かれていた。兼三郎とトシ一家は、明子の願いをかなえるため、イギリス北部の湖水地方にあるウィンダミア湖へ旅立つ。兼三郎役のリリーのほか、錦戸亮木村多江高梨臨らが顔をそろえる。
監督・脚本は、英国アカデミー賞US学生映画賞とヨーロッパ人として初めて学生エミー賞をドラマ部門で受賞したパトリック・ディキンソン。

リリー・フランキーの映画は見る、というだけでなんの前知識もなく見たのだけれど、最初の5分ほどの彼の芝居のリズム、画面の切り取り方が日本の映画とはかなり違うように感じられた。日英合作映画の成功。

脚本がいい。隠すところ隠さないところのバランスがいい。静かでいい映画。見る側の想像力をゆったりと刺激し続けてくれるリズム。上質の映画だと思う。

ただにおいが感じられない。においを感じる芝居がないのは、においがないのと同じ。木村多江の便失禁を息子に見せずに処理しようとするシーンやイギリスの牧場、湖の雨のシーン、自転車で行く雨の草原・・・・。もっともっとにおいを感じさせて欲しかった。

もう一つ、出会いの時の兼三郎と明子の間に流れる空気と、長い間、家族と交流せずに閉じこもっていく兼三郎と明子にやや違和感。劇中では「仕事云々」と言っているが、やや唐突。何故明子は兼三郎をそこまで信頼し続けたのか?そんな兼三郎への向き合い方があれば、決定的ともみえるトシとのズレは出てこないのではないか。

冒頭の5分の兼三郎のバランスを欠いた言動は、意表をつくものばかりで素晴らしい。

イギリスロケのシーンもいい。セリフは少ないが、十分に伝わってくるものがある。

コットンテールはピーター・ラビットの妹の名前。幸せを呼ぶうさぎだそうだ画像8

 

『ソウルメイト』(2023年/124分/韓国/原題:Soulmate/監督:ミン・ヨングン/出演:キム・ダニ チョン・ソニ ビョン・ウソク/劇場公開日:2024年2月23日)

                      4月3日 kiki ⭐️⭐️⭐️⭐️

香港のデレク・ツァン監督が手がけた「ソウルメイト 七月と安生」を、韓国・済州島に舞台を移して新たに映画化。幼い頃からの無二の親友だった2人の少女のすれ違いや絆を、切なくも温かく描いた友情の物語。

絵を勉強しながら世界中を旅したいという夢を抱く自由人のミソ。そんな彼女に憧れを抱きながらも堅実に生きることを願うハウン。性格も価値観も真逆な2人の幼なじみは、楽しい時もさみしい時もずっと一緒だった。そんな日々がずっと続くと思われたが、ある出会いをきっかけに2人の関係は急激に変化していく。互いのことを思い合いながらもすれ違い、やがて疎遠になって16年が過ぎたある日、ハウンはミソにある秘密を残し、こつ然と姿を消してしまう。

ミソ役は大ヒットドラマ「梨泰院クラス」や映画「The Witch 魔女」で知られるキム・ダミ、ハウン役はドラマ「ボーイフレンド」のチョン・ソニ。2人の関係に深く関わることになる青年ジヌを「力の強い女 カン・ナムスン」などのドラマで活躍するピョン・ウソクが演じた。

 

香港映画のリメイク。どこで見たのか調べてもわからないが、このストーリーはしっかり記憶している。

その上でも、非常に情感豊かに丁寧につくられていて、惹きつけられた。

やや長いと思われたが、さまざまな布石が自然に回収されていく。

2人の互いを思う気持ちと反発が胸を打つ。感情のもつれの深さをじっくりと描いている。

性格的に激しいミソにおっとりしたハウン、という構図。しかし、一筋縄ではいかない。

ストーリーを超えるものが確かにある。

もう一つの主役は絵。写実的な鉛筆画?が、効いている。

ミン・ヨングン監督はこれが2作目の映画というが、信じられないほど巧緻だと思う。

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